「邪魔をしないで」
 それが、助けた娘の第一声だった。
 至る所から血を流しながら。それでも握った槍を放さずに。
 前だけを睨みすえる彼女の目にあったのは、きっと、憎悪。あるいは、狂気。
 苛烈なそれは、小さな身体に収まりきるものではないように見えた。
 内側からそれに焼きつくされるのが早いか。外側から敵に殺されるのが早いか。
 どちらにしろちっとも長生きできなそうな少女を助けた理由は、きっと。
 代償行為以外のなにものでもないのだ。

3

 …先日、魔物に襲われ、食われかけた少女を、応急処置をして病院に担ぎ込んだ。
 それから、諸々の事情があって―――
「鈴ー。ごめんなさい、このタオルどこしまうか悪れちゃった。どこだっけ?」
 初仕事で死にかけてた退治屋もどきこと神宮舞華は。
「…洗面台の棚の二段目」
「ああ、そうだった」
 部屋を借りて1人暮らしをしていた私のところへ転がり込んでいた。

 洗い終えた食器をふきながら、ちらりとその姿を眺める。
 1人では少し広かった部屋は、二人だと少し狭くなった。
 けれど、不快だとは思わないのは、寂しさを感じていたということなのだろうか。それとも、既に退治屋としてコンビを組んで、こいつがいることに慣れてしまったのか。
 どちらにせよ、生活はむごく賑々しくなった。
 私より一つ下の同居人は、いちいち些細なことに喜んで驚いて、落ち込んで怒る。
 その様は、少し養母に似ているけれど。養母よりもっと、なんだろう。頻度が激しいというか、気性が激しい。
 あの人は…抜けてるというか、ほのぼのしてるというか。…その割に人の話を聞かないというか。とりあえず声をあら上げることは少ない。
 こいつもまた、抜けてはいる。ただし、養母とは違い、危機感とかそういうものが、すっぽりと抜けている。
 危なっかしくて仕方ないと思う。
 だから、どうにも目が離せなくなってしまった。
 せっかく知り合った人が、のたれ死んでしまったのでは、あまりに悲しい。
『そうだな。お前はもっと、そういう感覚を知った方がよい』
 相棒が出来た、と電話で告げる私に、養父はそう言って笑った。
 とても珍しい反応である。あの人が笑うなど。
『…良かった』
 心から安堵したような声に、どこかひっかかるものを感じたが、なにも言わなかった。
 この人が良かったというのなら、それは良いことなのだろうと、そう思ったから。
「あ。笑った」
 いつのまにやら洗面台から戻ってきた舞華は、そう言ってこちらにかけてくる。
「…え?」
 当然のように拭き終えた皿を棚へ片付けるそいつは、私の間の抜けた声に笑った。
「いつも難しい顔してると思ったけど、ちゃんと笑えるんじゃない。良かった」
「なにが良かったんだ?」
 別に私が笑っていても、こいつの生活に変化があるわけじゃあるまいし。おかしなことを言う。
 ただ不思議だから尋ねてみたのだが、舞華は大いに顔を曇らせた。
「ごめんなさい」
「…今度はなんだ。なんで謝る?」
 私が理不尽に責めているようではないか。それとも、なにか傷つけることを言ってしまったのだろうか。こいつは、たまに、そういうことで謝るから。
「…迷惑かけてるから、不機嫌なのかと思ったのよ。だからニコリともしないのかと思ってたの」
 けれど、告げられたのは、予想もしなかったような言葉。
 自分の眉が夜のが分かる。それは、随分と。
「…可笑しい奴だな。迷惑をかけてると気にするなら、出ていけばいい」
「……私はどうせ図々しいわよ」
 さっきまでしおらしく申し訳なさそうだった顔が、拗ねたような表情に変わる。めぐるましい。くるくると変わる。
「でも! あんたが最初にコンビ組んでくれるっていったんだから、そこは譲らないわよ!?」
 いや、そんなことを聞きたいのではない。
「なんで怒るんだ」
「なんで、って…」
 怒るでしょ、普通。罰の悪そうな顔で呟く声に、思わず首をひねる。
「私は、お前のことを迷惑とは思っていない。出ていかれたらたぶん心配する」
「鈴…」
 紅潮していた頬の色がさっと引く。怒り顔は、ひどく嬉しそうな顔に変わった。
「その辺のチンピラ襲って有り金捲き上げていそうだから」
「…ってあんたそれナチュナルに私もチンピラ扱いしてるよねぇ!?」
「…お前はチンピラではない気もするが、わりと行動は似ている」
「誰がチンピラよ! 意味もなく群れたりしないわよ! 私っ!」
 ぎゃあぎゃあわめき始めた声は、なぜか不快ではない。
 ああ、幸せだな、と。
 少し、思ってしまった。
 窓ガラスに映りこむ自分は、ひどく穏やかにこちらを見返す。
 藍色の目で、偽りの目で。
 馬鹿みたいに穏やかに笑っていた。


「…やっぱり鈴は人が良すぎると思う。勤勉すぎ」
「…何の話だ?」
 拭き終えた皿をテーブルへ置きながら、問うてみる。
 舞華の言葉はたまに要領を得ない。
 ああ、昔もこんな風にして感慨にふけったことがあったなぁ、と思い出していたのだが。それで変な顔をしていた、というわけではないようだ。
「今日は私が全部やるっていったのに…なんでいつのまにか手伝ってるの…?」
「これくらい手伝うに入らない。そもそもいつも分担している」
「でも今日は私だけでやりたかったの。…もー。鈴は本当いいお嫁さんなるわよ!」
「なぜいきなり嫁だ」
「気分よ気分」
 けらけらと笑う舞華。なにが面白いのかよく分からない。
「…それは随分不思議な気分なんだな」
「…改まって言われると、そうねぇ」
 むう、と軽く唸って、言葉を探すように視線をさまよわせる。
 そうかと思うと、またにっこりと笑った。
「ああでもあれよ。大好きよ、鈴っ。ってことなのよ」
「…そういうものか」
「そういうものよ」
 明るく笑う彼女に、つられて唇がゆるむ。
 その感覚に、やはりかつてを思い出した。


「…熱い」
「平気だ」
 無理やり押し込められたベッドから、降りようとする。
 すると、容赦なく頭を叩かれた。
「おでこ触っただけでこんなに熱いのになに馬鹿なこと言ってるの!? 今日はもう寝てなさい!」
 病人だと労わるなら、叩くな。
 注意するのも億劫になって、黙って頷く。
「仕事、できなくなった、って断りいれるわよ? いいわよね?」
 意外すぎる発言に、思わず無言で舞華を見つめる。
「なによ」
「絶対、1人で行く、っていうと思っていた」
「…行かないわよ」
 不満げに鼻を鳴らした同居人は、どこか気まずそうにそっぽをむいた。
「不安なのも、あるけど。こんな状況のあんた、残して行くのも心配だもの」
「……そうか」
「ちゃんと安静にしてるか見張ってるから覚悟なさい」
「なにに対しての覚悟だ?」
「…動かない覚悟よ、うん」
 じゃ、ちょっと連絡いれてくる!
 叫んで、舞華は隣のリビングへと歩いて行った。
 …騒がしい。
 こいつとの生活に慣れた今も、思わずにはいられない。
 けれど、それが、不快ではないのは。
 熱に浮かされた頭が、散漫に言葉を吐く。
 そして、じわじわと睡魔を呼ぶ。
 休むのだと聞くと、奇妙に身体が重くなる。
 五感が言うことを聞かず、ずるずると身体をベッドへ引き込む。
 ぽすん、と身体が沈む。
 自分の熱がうつったシーツは、まったく心地よくないはず。
 なのに、抗うこともできず、身体が沈んだ。

『…鈴様』
 ひんやりと冷たい手が、額へ添えられる。
『…わたしがいないからと言って、髪を乾かさないまま寝たでしょう』
 だからこんなに熱が出ているんですよ。
 とがめる声は、それでも優しい。
『しかも、わたしを待っていましたか? 玄関に、いたでしょう?』
 だって、藍がいないと、寂しい。
 ぼそぼそと言うと、彼女は笑った。
『…嬉しいこといってくれても、帰ってこれない時は帰れないんです』
 藍色をした目が困ったように細くなる。
 ああ、困らせたいわけじゃないのに。
 魔物に食われかける夢を何度も見た。そこで食われば、現の身体も食われると、いつからか本能で理解して。
 怯え起きる私に、彼女は同じような顔をする。
 けれど。
『だから、安全にしててください。廊下に転がる貴女を見た時は心臓が冷えました』
 けれど、最後はいつも笑って、何度も髪を撫でられる。
 甘やかすような、優しい手つき。
 私の生きる世界には、なにやら色々なものが欠けているらしい。
 けれど、これ以上欲しいものなどない。
 藍がいてくれれば、いい。
 穏やかな気持ちで目を閉じる。
 ひんやりとした指先は、離れることなく額を撫でていた。

「………い」
 自分のかすれた声で目が覚めた。
 空しい夢の後には、彼女の名前すらロクに呟けない。
「………あい」
 小さく、名前を呼ぶ。
 響いて掠れた、無様な声。
 ますます空しくなって、身を起こす。
 ずるり、と冷たいものが額から落ちてきた。
「……タオル」
 よく冷えたそれは、こまめに変えてくれたものだと分かる。
 なんとなく目線を巡らせると、たっぷりと氷の浮かんだ洗面器。ああ、これで変えてくれたのか、とすぐに分かった。
 ぼう、と手をつけてみる。
 不自然に熱い身体に、冷たい水が心地よい。
 それでも、思考が、視界が、ぼんやりとおぼつかない。くらりと目眩を感じて、たまらず目を閉じた。
 こんなにひどい熱をもらうほど、無理をしていたのだろうか。
 これでは、舞華のことを無茶だのなんだのと叱れない。
「…情けない」
 呟く。その瞬間。
 がちゃ、と扉が開いた。
「鈴…あんたなんてとこに手ぇつっこんでるの…って手どころか袖もつっこんでるし! ああもうびしょぬれじゃない!」
 慌てたような声に、ゆるゆると顔を上げて、ゆっくりと目を開ける。
 目が合うより早く、舞華は私の手をとった。そして、濡れた袖をまくらせる。
「あーあ…もう着替えなきゃだめじゃない。…まぁ、汗かいてるみたいだし、ちょうどいいかしら」
 諦めたような言葉と共に、軽い溜息が聞こえた。ついで、くすくすと笑声が響く。
「…ごめ、笑っちゃだめよね。でも、いっつもしっかりしてるあんたがこんなの、なんかおかし…」
 袖からこちらへと向いたその顔が、凍る。言葉もまた、不自然に途切れたまま。
 鳶色をした瞳が驚いたように見開かれるのは、朦朧とした意識でも不思議とよく分かった。
「…舞華?」
「…鈴」
 どうした、と聞くより早く、名を呼ばれた。
「あんた、どうしたの」
「どうしたも、こうしたも。風邪、だが」
 言いながら、気付く。
 気付いて、しまう。
 その目線の先にあるのは、私の目。
 真っ直ぐに見詰めてくる瞳に、驚愕の色。
 まさか、と。
 急に冴えた意識が、ばっと顔を逸らさせた。
 冷たい汗を感じながら、氷と水とがはった洗面器を覗き込む。
 ゆらゆらと揺れて、不明瞭な水の鏡。
 それでも分かるくらい、私の目は赤い。
 赤く赤く、本来の色をさらしている。
 いつもは、魔力で隠しているその色が、なぜか写りこんでいる。
 あ、と声が漏れた。
 顔を上げることなど、できるはずもなかった。
 厭われたら。理由を聞かれたら。どう答えればいい?
 こいつには、昔のことなど。まだ何も言ってないし、言う気もなかったのに。
 でも、なにか言わなければ、きっと……
「……もう。そんなにしょげないでよ」
 ぴく、と自分の全身がはねるのが分かる。
「…一個聞くけど、あなたはそれを隠してたの?」
 こくり、と頷く。言葉はうまく出てこない。
「…ああもう! そんなにびくびくしなくても隠してたものをあれやこれやと聞かないし、特に言うこともないわよ。びっくりしたけど。
 …ああ、でもそうね。いいじゃない綺麗で。お花とか炎みたいよ」
「は?」
「は? って…だから、綺麗でいいでしょ。薔薇とかっぽいわ」
 聞き間違いだと思った言葉は、再度紡がれる。
「…な、んで」
「なんでって…しつこいわよ鈴。案外おしゃれに気を遣ってたのねとか褒めればいいの?」
「そうじゃない!」
 思わず声を上げる。
 なんでそんなことを言うのだろう。
 災禍の結晶と呼ばれた瞳を。
「……鈴?」
 ひどく怪訝そうに、そう呼ばれる。
 顔を見ることはできないけれど、同じような顔をしているのだろうと思う。
 なにも言えずに黙りこむ。
 氷のような沈黙を破ったのは、深い―――深い、溜息。
「…なにか隠されてるな、っていうのは。私にもわかってたわ。だから驚いたけど驚かないっていうか…その、あれよ!」
 舞華はひどく穏やかな声で言う。
「良かった」
 その声に、言葉に。私の怯えた拒絶の色はない。
「たまに変に暗くなるから、不治の病でも抱えてたらどうしようかと思ってたわ。…良かった」
「そんなことを、訊いてるんじゃ」
 思わず顔を上げると、目が、あう。
 ひどく穏やかな眼差しに、迎えられた。
「ねぇ、鈴。
 そこまでうろたえられると、なんとなく、色々あったの分かるけど」
 触れることもなだめることもなく、声は穏やかに続く。当たり前の、ように。
「私、鈴のこと好きよ。むしろ大好き」
 にっこりと微笑まれて息が詰まる。
 なにも、聞かないでくれるのだろうか。
 このままでいてくれるのだろうか。
 暴くこともなく、傍へいてくれるのだろうか。
「…お前は」
 なんて―――…強い。
 どうして……そうやって人を信頼できるんだ。
「……ありが、とう」
「…うん、どーいたしまして」
 ようよう紡いだ言葉が、穏やかに受け止められる。
 ああ、きっと―――
 守っていたつもりで、守られたのは自分の方だ。
 無条件に寄せられる信頼に、それに応えられることに、何度も救われた。
 癒えない傷を埋めるように。言えない傷を慰撫するように。こいつの保護者面をしていて。
 本当は、私が誰かに必要とされたかっただけ。その誰かを、守りたかっただけ。
 そうすれば、許されるような気がしたから。
 いつか、許されるような気でいたから。
「…少し、寝る」
「うん、分かったわ」
 ぽつ、と呟く。やはり穏やかな声に、ひどく泣きたくなった。
 守るように守られること。
 それはきっと、これからも変わらない。
 守っているような顔して、私はこいつに守られる。
 心の奥に、消せない憎悪があるくせをして。それを無差別にぶつけてしまいそうなくせをして。…化け物な、くせをして。
 それでもまっとうなふりをして、生きることにしがみついて。
 それの崩れてしまうことに、怯えている。
 けれど。
 かちゃり、と枷の嵌る音がする。
 どろどろと醜いなにかを、枷で戒める音が。
 ふわふわと死を選びそうな心が、戒められる音が。
「おやすみなさい」
 むごく近くに響いた声と共に、聞こえた。


 今、思い出しても。
 あの時は、本当に驚いた。
 熱の所為で、術もとけていたのだろう。魔力がコントロールできなかったのだろう。しかたないと言えば、しかたない。
 おかしなことなどなにもない、と何度も言われた。  気にすることはない、と何度も言われた。
 それでも、綺麗だ、と。
 そう言われたのは、舞華で初めて。
 この目を人目にさらす気など微塵もないが、少し気持ちは軽くなった。
 軽くなって―――誓った。
 私は、こいつを守ろう。
 憎悪を身に宿してなお、明るく笑う娘が、それに焼きつくされないように。
 憎悪ゆえに危険なマネばかりするこいつが、害されることないように。
 自己満足で、代償行為だけれど。
 こいつのことを好きなのも、本当だから。
「…鈴ー。なにぼさっとしてるの? 珍しい。仕事行くわよー」
「…ああ」
 なにがあっても、こいつを守ろう。
 その過去を知るからこそ。それでも強くあろうとするこいつを知っているからこそ。
「行こうか、舞華」
 絶対に、守り抜こう。
 再度誓った胸の奥で、かちゃり、と音を聞いた気がした。

目次

 下手なカップルよりらぶらぶな二人でした。きっとこれからもこんな感じです。
 ちなみにアルビノで黒髪は遺伝的にありえないんですよね。確か。だが単純に私が黒髪好きなんだ。あとあれは視力がないというより、日光が駄目だったはず(調べろや)けどまぁフィクションですから。皆よくやってるし。ファンタジーですから。(でごまかす範疇ではない)…彼女が視力が真っ当なのが気になる方は、なんか霊的な方面の視力で視界を確保してると思ってください。見ているのは精神世界、みたいな。そういう小説を昔見たから。あれ純和風だったけど。
 2010/05/19