基本的に私服校とは言え、目立つ服は目立つ。
 例えばスーツ。
 教師以外の者が着るそれは、不思議と目を引くものなのだ。

珍しいスーツ姿の人。

「…あ」
 職員室へ向かう廊下で磨智が小さく呟く。
 その隣で歩いていた芽以も、その目線を辿る。
 そして。
「…なんか驚くようなもん、あるか?」
 不思議そうに呟く彼に、磨智はこくりと頷いて、すっと指を上げる。
「あの人、珍しく学校に来てる、と思って」
「…どの人?」
「そこのスーツの人」
 言われて、再度窓から外を覗く。スーツ、スーツ、スーツ、と呟きながら探せば、茶色い髪の人物がそれを着ていた。
 短くまとめられた髪も、今まとうスーツも、一見すれば男性的なもの。けれど、その背は男性としては低い方。そこまで観察し、ピンと来る。思い出した。
「…ああ。あの、噂の」
 彼―――に見える彼女は、ダージリンと女子生徒だったはずだ。
 素行が悪いというよりは、素行が奇妙。成績はとてつもなく優秀なものもあれば、目も当てられないようなものもある、そんな彼女。
 その登校率の低さに関わらず、彼女が噂になる所以は、まず服装が変わっているから。れっきとした女子生徒なのに学ランかブレザー。今日はなぜかスーツだが(まあ、なにか理由があるのだろう)、それも男物っぽい。騒ぎが起きる度に顔をつっこんできたり、自らが校内に巣とでもいうべきものを作ってしまう辺りも大きい。
 ともかく、目立つ生徒なのだ。悪目立ち感はぬぐえませんけどねえ、とは風矢の談。なぜと問いかけたらすげえ嫌な顔されたっけ、と芽以は回想した。どちらかといえば噂に疎い彼が彼女を知っていたのは、いつだったか彼が話ていたからと言うのが大きい。
「かっこいいよね」
「は? 変人伝説の数々が?」
「いや、その変じゃなくて。むしろヒトじゃなくて、スーツが」
「はぁ?」
 訝しげな声を上げる芽以。
 その顔に、磨智は「分からないかなあ」と呟いた。
「スーツの似合う人ってかっこよくない?」
「そぉかぁ…?」
「むしろ、スーツの似合う人はカッコイイって感じ?」
「じゃあ着てる奴は関係ねえの?」
「うーん、そう…とも言えないかな。やっぱりほら、内面も『お仕事してますっ』って感じのヒトが着てるとかっこいいよ。
 だらけた先生とかが着てても駄目だね、やる気のある教育実習生とか着てるとかっこいい」
 楽しげに語る磨智に、芽以は首をひねる。
 彼女はたまによく分からないことを言う。
 女の子だからだよと姉辺りなら嘯きそうなものだが、彼はそれでは納得できない。
 彼にとっては、女の子という表現自体、なんだか違和感がある。
 磨智は磨智だ。それ以上でも、それ以下でもない。
 芽以は僅かに眉を寄せる。なんだか、もやもやとした心地に襲われた。
「…なに変な顔してるの、メー君。お腹でも痛いの? 拾い食いは駄目だって、あんなに言ったじゃない」
「言われたことねえししたことねえよ! お前の中の俺はどんだけ飢えてんだ!」
 吠える芽以に、磨智はクスリと笑う。楽しそうに。
「じゃ、その黒板が重いの? まったくもう、男の子のわりに根性がないなぁ」
「重くねえよこんな薄っぺらい奴…っていうか、お前、ヒトに持たせといて、その言い草はねえだろ…」
「えー? でも、君が自発的にもってくれたんじゃない」
 磨智の言葉通り、彼はこの黒板を自発的に持っている。
 部活に向かおうと身支度を整え、廊下を歩いていたその時、彼女が廊下を歩いていたから。
 授業で使った黒板を職員室に返しに行くところだったらしい。
「お前の身長じゃ辛そうだったから変わってやったんだろうが!」
 言って、芽以はしまったと舌打ちする。
 身長。童顔。色気がない。
 長い付き合いの中で口にする度、幾度となく幼馴染を怒らせてきたた言葉である。
 だから、今度も怒り出すのだと思った。にっこり笑ってちくちくイヤミを言われるのだと思った。けれど。
「そうだね…ありがと」
 告げられたのは、実に素直な言葉。
 添えられたのは、非常に穏やかな微笑。
 芽以は静かに口元を緩ませる。得意げな笑みを浮かべている自覚など彼にはない。
「珍しく素直じゃん」
「私はいつだって素直だよ、君で遊びたいって欲求にも素直に従ってるし」
「それはわがままっつうんだよ!」
「えー? そんなことはないでしょ」
 言いあう内に、職員室にたどり着く。
 持っていた持ち運び式の黒板を定位置に戻して、芽以はふうと息をついた。別に重かったわけではない、一仕事を終えた条件反射である。
「じゃ、俺部活行くわ」
「うん、ありがとね、わざわざ」
 軽く手を上げ、じゃあと呟く芽以を、磨智はどこか嬉しそうな笑みで見送った。

 駆け足で校庭に向かう芽以は、なんとなしに先ほどの会話を反復する。
 ―――スーツがかっこいい。
 その思考回路は理解不能だ。いつもやたら可愛らしいタペストリーとか作ってるのに、なぜかっこいいものを好むのか。いや、フリルで彩られたクッションを笑顔で自分に押し付けてくる変な女の思考を理解したいとは思わないのけど。けど。
 似合う方が、いいのか。
 それは、ブレザーすら似合わない言われてる自分には難しそうだ。
 胸のうちで小さく呟く。
 彼が自らの内面を追及することはない。
 ただ、僅かに重くなったような足に、小さく首を傾げる。
「…ゲームで夜更かしたから?」
 その呟きを聞いた者も、答えを与える者も、どこにもいなかった。



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