「私は何度見ても疑問なんだよね、なんで君の机はこんなに散らかっているのか」
 大して勉強もしないのにねえ、と言いながら少女がその机の上のプリントの山を整理しようと手を伸ばしたのと、慌てて半身をベッドから起こした少年が声を上げたのは同時。
「止めろ磨智! くずれる!」
 その声は、崩れたプリントの上に空しく積もった。

散らばるテスト用紙。

「…うわあ」
 崩れたプリントの山、その中腹辺りに位置していたと思わしきテスト用紙をつまみ上げた磨智は、呆れたような声を上げる。
「またすごく赤いね……真っ赤だよ、なに、紅葉と競い合ってるの? 紙面で秋を先取り? そう言う挑戦なの? ねえ、メー君?」
「うるせえほっとけ見んな!」
 メーと呼ばれた少年――正確には芽以と書いてメイと読む―――は顔を赤くしてテスト用紙を奪取する。
 そのこの上なく慌てた様に、磨智は小さく溜息をついた。
「隠そうとするってことは、恥ずかしとは思うわけだよね…」
「いや、お前は全力でからかってくるからヤだ」
 ぷいと顔を逸らす芽以に、磨智の目がきらりと光った。
「からかう? なに人聞き悪いこと言ってるの、世界史11点のメー君。
 成績の最悪な幼馴染へ、早く勉強してマトモなレベルに更生しなさい、っていう真心からの忠告だよ?」
「いやいやいや、今まさにからかっただろ! さっそく仕入れたネタでからかっただろ!」
「やだなあ、本当失礼なんだから。現代文16点のメー君は」
「なんでクラス違うのにそれを知ってんだお前は!?」
「女の子には秘密がいっぱいあるんだよ、生物39点のメー君」
「俺のプライぺートはどこだ!?」
「君のお姉さんの手の平の上、かな。英語19点の弟の身を案じた彼女は私に君の家庭教師もどきをしろと…モンブラン片手に迫ってきたから」
「買収されたんだな!? ケーキに!」
 はーはーはー。
 ひとしきり叫んだ芽以は、荒い息を落ち着ける。
 その様子を見つめた磨智は、にこり微笑んだ。
「と、いうことで、おねーさんが勉強教えてあげよう」
「お前のどこがお姉さんだよ。ちび」
 ケッと呟く声すら聞こえそうなその様子に、彼女は再びにこりと笑う。
 ただし、今度は、幾ばくか冷たさを帯びた笑みだった。
「うふふっ。まずは国語の勉強だね―――口は災いのもと。今まさに君の状態だから、体で覚えてねえー?」
 はい、復唱ーと不自然なほど明るく言う磨智に答える声はない。ぎゅむと両頬をつねられて答えるどころではなかったからだ。
 しばしそのままむにゅーと頬を引っ張った後、気が済んだように離す。
「…大体、同い年でお姉さんはねえだろ。俺の方が誕生日先だし」
「その辺にこだわる辺りがまた小さいんだよねえ…。可愛い女の子のお茶目な冗談ぐらい聞き流そうよ」
「可愛い?」
 どこにいるんだ、そんなの。
 口にせずとも雄弁にそう語る表情に、磨智は再びにこりと笑う。
「ステップ2−。今の君の状況は、目は口ほどにものをいう、って感じでむかつくよー?」
「むがっで…」
 くぐもった声で反論しているらしい芽以。
 それを封じるかのごとく、磨智の手にはぎゅうと力がこもった。
 さすがに無視しきれなくなった彼は、ばしっとその手を振り払った。
「っぅー……ちぎれるっつってんだろうがこの馬鹿女ぁ!」
「理系のくせにヤモリが両生類だと思っていた君に馬鹿と言われる筋合いはないね」
「そ、それは中学の時だ!」
「今は覚えてる? じゃあイモリは何類?」
「つられて爬虫類とか言わないからな!?」
「そっか。じゃあタ○リは」
「人間じゃん! お茶の間のアイドルそこに並べるなよ!」
 はーはーはーはー。
 再度息を乱す芽以。磨智は呆れたようにふぅ、と息をついた。
 そして、机に散乱したプリントを手際よく整理していく。
「じゃ、ふざけたとこで本当にお勉強しようか」
「俺をからかって遊んでたんじゃねえの…?」
「それだけのために私の貴重な夏休みをつぶすほど暇じゃあないよ。
 ほら、とっとと机すわって。分からないとこを挙げて」
「…いや…それが…分からねえ」
「…うん、それも予想してた。うん、分かった、じゃあ順々に説明してくね、まず―――って、なに嫌な顔してるの、そこまで勉強嫌? 嫌なんだろうけど、これじゃ部活出れないでしょ。課題とっとと終わらせな?」
 部活。その一言に、芽以の顔が僅かに上がる。
 強引に広げられた課題を死人のように見つめていたその瞳に、不意に覇気が宿る。
「…俺この間記録出したんだよな、部活」
 突然の呟きに、磨智はきょとりと目を見張る。
 そして、不思議そうに呟いた。
「………もしかして、それを褒めて欲しかったの?」
「ば、お前に褒められても嬉しくねえよ!」
 なにやら赤くなって必死に否定する芽以。
 その様子に、磨智はくすくすと笑う。楽しげに。
 楽しげなその影にある、僅かな暗さに彼が気づくことはない。
「じゃあ誰に褒められたらうれしいの? あ、あれかな、君のお姉さん? まったくもう、シスコンだなあ、メー君は」
「いや、大会でる度『足の遅い私への当てつけかぁ!』とか言ってくる姉に褒められるとかありえねえ。今更褒められても全然嬉しくない…」
 芽以がうんざりと言ったきると、しばし沈黙が落ちる。
 扇風機の回る音が空しく響き、ひどく居心地が悪い。
 ひどく不自然な沈黙を破ったのは、静かな問いかけ。
「じゃあ、誰」
「…別に、俺は、褒められたいなんて一回も言ってねえだろ。風矢の鼻あかせて嬉しいぐらいだ、精々」
「…ふぅん、そ。なら、問題ないよね、さっさと演習を始めようか!」
「いや、それは別問題―――」
「さあさあさあ! さっさと始めようね! メー君!」
「いや、磨智、その―――」
「じゃあ言ってみようか、1+1はー」
「分かるに決まってんだろうがぁあ!」
 叫ぶ芽以を眺め、磨智はきゃらきゃらと笑う。
 その姿にもその声にも、先ほどほんの少し混じった暗さも重さもなかった。


 ―――そして、それから時は流れて。
 夏期休暇が明け、新学期恒例学力テストがあった、その数日後。
 廊下を歩いていた磨智は、見知った少年を2人見つけた。
 なにやら言い争う彼女の幼馴染と、その友人(本人同士は全力否定中)だった。
 となれば、彼女のやることは一つ。
「やっほー。風矢君、メー君♪」
 飽くまで明るく呼びかけつつ、芽以の背中を必要以上に強く叩いてみる。
 ぐえ、とか呻いているが、本当は対して痛がってなどいないことを彼女は知っていた。用は条件反射なのである。
 だが。この日は。
 叩かれた拍子に、芽以の手からファイルが滑り落ちた。真中で金具が髪を固定するあのタイプのファイルだ。
 滑り落ちたファイルは、壊れかけていたのか、ぱちんと音を立てて中身をぶちまけた。
「あ゛…」
 床に散らばったそれを見て、芽以はどこまでも苦い声を上げる。
 そして、おそるおそるとでも評するべき風情で、ゆっくり振りかえった。
 そこには、彼の予想したとおり、笑顔の磨智がいる。
 目の全然笑っていない、全力で作り物の笑みを浮かべた磨智は、床に広がったはずのテスト用紙数枚を早くも拾い上げていた。
「あの、磨智、これは」
「ねえ、メー君v 私が夏休みの間に教えてあげたあれこれ、その頭には入らなかったわけ?」
 みなまで訊かずそう言って、磨智はそっと手を伸ばした。
「いや、その、それより、磨智。ネクタイひっぱんのはヤバイ、マジやばい、締まってる」
「クーラーもない部屋で、あーんなに色々教えてあげたのに、すっかり忘れちゃったのかなあ?
 ほら、ここの問5なんて、まさに例題にあったと思うんだけど、なぁ…?」
「そ…の……あ……」
「磨智さん、磨智さん、メー、ぴくぴくし始めてます、絞めすぎです」
 横から遠慮がちにそう告げる風矢に、磨智は我に返ったように手を離した。
 芽以はネクタイを直しつつ(備考:この学校は私服校。制服はセーラーとブレザーの選択制)、げほげほとせき込む。苦しそうだ。
 けれど、彼女はその姿を冷たく一瞥する。そして、悔しげな顔をした。
「もう、君なんて知らないよ!
 今度君んちにおすそ分け持ってく時、君の出かけてる時を選ぶんだから! 精々お姉さんに食いつくされて泣け!」
「あいつ本当にするからやめろって!」
「知らないよ、メー君のバーカ。本気でバーカ。君なんて一生2×9にく美味しいとかすべった答え言ってればいいんだよ」
「いつの話だぁぁああ!?
 あれはさすがに洒落だってずっと言ってるじゃねえか!」
「あの頃からたいして進歩してないくせに良く威張れるね、もう本当―――私の夏休み返せ!」
 言いたいことを言いきって、磨智はつかつかと歩いていく。
 芽以はその後ろ姿を苦い顔をして見守った。
 黙ってプリントを拾う芽以に、風矢はそっと声をかける。
「…メー」
「んだよ、笑いたきゃ笑え」
「それは後で存分に。―――ですが、その前に答えてください」
「あぁ? 賢い賢いふーやさんが俺に訊きたいこととかあんのかよ」
「僕は努力してるんですよ、世界史20点。
 …じゃなかった、そんなことじゃない、貴方、磨智さんに家庭教師されてるんですか?」
「家庭教師ってほど上等なもんじゃねえけど。盆の間だけ、ちょっとな」
「…わざわざ?」
「わざわざっつても、家、向かいだぜ? 徒歩30秒。それにあいつ、俺の姉に会いに来てるんだよ」
「距離の問題じゃありません。わざわざ教えてるんですか? 貴方みたいな記憶力ザル男に?」
「とどまらねえで流れてるって意味か!?」
 眉を吊り上げる芽以に、風矢ははぁーと息をつく。
「…磨智さんは物好きです」
「善意でやってんじゃねえよ、あいつ。自分より頭悪い俺見て楽しんでるだけ。自分だってたいして頭良くないくせにさ。
 ほんっとう性格悪いったらねえよ」
「……磨智さんは、心から物好きですね」
 この単細胞にあんなに尽くして。
 小さな呟きは、芽以には届かなかった。



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