A boy and girl
世界は、常に理不尽なものだ。
どんな矛盾を抱えても、変わらず夜は明け日が昇る。
例えどんなことがあろうと。
例え―――
例え―――朝起きたらうっかり性別逆転していても。
最初に感じたのは、視界の低さ。
いつもよりだいぶ低い気がしながら、窓に目をやり、そこに映る影に流は混乱した。
「……えーと……」
混乱していた。困惑していた。
「なんだろうなこれ」
誰にということもなく呟く。当然だが状況は変わらなかった。
と。
急いた印象の足音が迫ってくる。
「流!!」
鍵という文明の機器も暴力の前では無意味だった。ドアそのものを破壊しつつ、一人の人物が部屋に足を踏み入れる。
「希羅ちゃん、…だよね?」
かすかに強張ったその顔は、それなれに見慣れた彼女のもの。
彼女のものなのだが―――……
「一晩見ないうちになんだか大きくなったね」
「…あんたは一晩見ないうちに縮んだわね……」
軽口をたたく己の声はいつもより高かった。
答える彼女の声はいつもより低かった。
どう見ても聞いても―――性別が逆転していた。
「―――つまり、朝起きたら皆こうなっちゃたわけ?」
廊下を歩きにくそうに歩きながら問いかける流。体格が変わってしまった所為で服のサイズが合わない。
これでもまだマシなものを選んだのだが、行動しにくいことこの上なかった。
「みたい、よ…」
希羅は寝巻き代わりに使っていたジャージで事なきを得たらしい。(かなり丈が短く、肩がキツそうだが)
「へぇ」
「…案外冷静よね、あんた」
「希羅ちゃんもじゃない?」
「そうだけど」
短く答えた後、沈黙が落ちる。
目線を合わせようとして、失敗したことに気づいたのだ。お互い背丈がいつもと逆なので、なんとなくやりにくい。
「…雅もかなり冷静そーよね」
「どうだろうねぇ」
流は肩をすくめた。
朝に弱い彼女が起きているかはわからない。
だが、この部屋にはもう一人住人がいる。
もう一人―――白蓮の場合今更性別が変わってもどうってことはない気はするが、これだけ騒ぎになっていればなんらかのリアクションは起こしているだろう。
「雅。白蓮。起きてる?」
『希羅か? 入れ』
予想通りとでも言うべきか。雅の声は落ち着いたものだった。
「…あー…俺達だけじゃなかったんだな」
その態度もまた、うろたえてなどいなかった。
だか希羅は眉をひそめる。
「……。あんたなにやってるの?」
「髪とかしてやってるだけだけだろ」
言葉通りに少し長めの綺麗な髪をすく雅。
妙に嬉しそうな白蓮。
当たり前のように悔しそうな流。
希羅は呆れた心地で呟く。
「なじんでるわね、あんたら…」
むちゃくちゃなじんでる。というかやってることいつもと同じ。
考えて見れば彼女の着ているものはいつも男物だ。
―――あぁ、考えて見れば白蓮は性別どころか伸びるし縮むもの…
しかし。
「………」
―――なんだろう…なにか間違ってるわ…
考え直し納得してもなお、残る違和感にため息をつく希羅。
「雅〜俺もやって!」
そう叫ぶのは流。
「あんた男としてのプライドとかあるの…?」
ない。きっとない。
嬉しそうに髪とかされている白蓮にも、むきになって対抗してる流にもない。きっと。
―――ふと、こめかみを押さえる希羅は気づく。
隙あらば抱きつこうとしている流に、雅は前ほどの抵抗を見せていないように見えた。最も、毒は変わらず吐いているが。
それは、あの大騒動の後の小さな…本当に小さな変化。
あの二人の心境にどんな変化があったがなど―――希羅は知らない。分からない。ただそれはきっとよいことだと思う。
けれどほんの少しだけ…寂しいと思っているのだろうか?
自分らしくない。小さく首をふって笑う。
「…雅、私先に、慶のとこいってくる…
集合は執務室だから」
「おう」
いつも通り腹黒く低レベルな白蓮と流の争いをバックに、希羅は足を動かした。
「慶。入るわよ?」
といっても、慶の部屋にはあまり入りたくはないのだが。
思いつつドアを開ける。
「……まったく……」
―――例えば。
雅の部屋はいつ見ても綺麗に片付けている。
度々押しかけてる竜臣の部屋は銃器だのその弾だの大量の本だので片付いてない…と言いたい所だがしっかりと整然と片付けてある。
だが。慶は違う。
いつみても小汚いというかむしろ汚いというか片付いてないというか…獣道ができていると言うべきか。
せめて服くらいたたみなさいとかどうせ万年床ならいっそベッドにしなさいとかつっこみたくなる部屋だ。
「あー、希羅ー…」
うるうると赤い目を潤ませて服の山の脇から慶が顔をだす。
「なに? 情けない声だして」
「服はダホダホすんのにボタンとまらねー。
なんで? 女ってみんなこんな大変なのか?」
希羅の目が慶の胸元に落ちる。
しばしの沈黙の後、
「いてッ。
なんで怒るんだよ!?」
静かにハリセン(男になっても冷静に持ってた)を振り落とした。
「なにか貸してあげるから部屋に来なさい」
何事もなかったようなクールな態度だった。
「だ・か・ら・なんで怒ってるんだよ!?」
「怒ってないわよ」
「……」
声が怒ってる、声が。
流石にその言葉は飲みこむ。
希羅はなにも言わない。
胸で男に負けた希羅の心の傷はそれなりに深かった。
執務室に向かう途中で五人は合流。
取り留めないことを喋りながら辿り着いたドアの前には、先客がいた。
…というか落ちてた。うつ伏せに倒れていた。
なんだかひどく重っ苦しい希望の感じられない空気にとりまかれている少女だった。
身に纏うのは、フリルがたっぷり使用されたドレス。このなにもない真昼間からこれでもかというくらい女の子らしい愛らしいふりふりしたデザインのドレス。
着用しているのは一見華奢な女の子だった。さらさらと日に輝く銀髪と黒いドレスのコントラストが美しい姿だった。
「「「「「……」」」」」
なんとなく見えない顔が予想できる気がして顔を見合わせる。
このままそっとしておいてあげるべきなのか、それともたたき起こすべきか―――
悩むところだ。
「竜臣。それ、自前?」
一人ちっとも気遣わない人物がくるりとその身体を仰向けになおす。
「んなわけあるか…」
乙女チック少女もとい目が死んでいる竜臣がうめく。
誤解のないように言えば、普段の彼は俗に言う女顔なわけではない。顔の造りが幼く、いじりがいがあると一部の人の餌食になっているだけだ。そう、一部の女性に。一度仕事で女装してからというもの、機会があるごとに延々と。
自室に引きこもり現実逃避した今日も奇襲されて、なす術もなくこんな格好にさせられ、気がついたらここにいた。意識がもどっても、彼に立ち上がる気力はなかった。
西園寺竜臣。女子供に甘ったるい兄と女にはわりと甘い父に育てられた彼が色んな意味で異性に勝てる日は遠い。
改めて、執務室。
いつもと同じような笑顔に見えても覇気がない遥霞と、動揺しているのかそうでないのかまったくわからない無表情の智華がいた。
「…てめぇが糸引いてたりはしねぇだろうな…」
なんとかショクから立ち直り、つめよる竜臣。
ふりふりした格好でつめよったところで滑稽なだけだが彼は気づかない。
「なわけないだろ。俺だって原因なんて皆目検討つかないんだって」
いつもなら揶揄するだろうその格好も無視し、心底疲れきった口調で答える。
「…そもそも、男女の境界だって、曖昧だからな」
ふぅ、と軽くため息をついて、続ける。
動作の一つ一つが物憂げで、どこか艶やかだ。
「―――身体のつくりの違いか? それは確かにある。けど、些細と言ってしまえば些細だ。
他には? 性格? それこそくだらないね。男らしさ女らしさというものは、社会的に求められてきた役割に付属した幻影にすぎない。
なら性別なんて入れ替わってもおかしくはない、問題もない。
世の中には猫に化けるクソガキもいるんだ、驚くことはなにもない」
「…お前実はすげぇ気にしてる?」
「ほっとけ」
彼にしては言葉少な目のその返事は肯定の証だ。
「…遥霞」
智華がその肩に手を置く。
「私はあなたが女でも男でも気にしません」
「智華…」
いつも『どこか遠くに放置』をメリットと言い切ったり、性別逆転しているのを知った第一声が『気持ち悪い』だった(そしてサイズが合わないものを着ているのがみっともないとか言って強制的に着替えさせた)人間とは思えない台詞だった。
「初めて会った時女の子だと思ってましたから」
「智華ぁ……………………」
顔立ちと名前の所為で女に間違いまくられた昔を思い出させる台詞だった。
「まぁこいつらは、ほっといて、だ。
どうする?」
「私は別に…」
「騒いでどうなるものでもないだろ?」
「同感」
「女でもこまらねぇよ? あ。ちょっと背が低くて困るけど。別にこのままでも」
「僕も雅が髪ゆってくれたし…」
「時が経つと直ったりするかもしれませんから、なるようになろうかと」
「お前ら…ちょっとは困れっ! うろたえろ! 悩め!」
―――え? なにこれ困ってるの俺だけ? なにこの疎外感?
希羅、雅、流、慶、白蓮、智華。それぞれの反応でずいぶん好意的な返事を聞かされ、混乱する竜臣。
壁の近くでひたすら落ち込んでいる男もとい女がいるがどんな状況でも一緒になりたくない。
竜臣はいつものように頭を抱える。
その時、明るい声が響いた。
「はぁい♪
皆様お困りのようですわね」
一瞬、希羅が身構えた。殺気を発しつつ振り向いて―――目を瞠る。
声も背格好も『彼』と同じもの。静かに笑む金色の瞳も、窓から侵入して悪びれないところも、彼を髣髴させる。
しかし、肩口で揃えられた髪は染めた黒髪。言葉遣いも明らかに違う。そして、なにより圧倒的な雰囲気は彼にはないものだ。
「…雅夜さん」
「うふふふふ。一瞬雅輝だと思ったでしょう」
「…………ええ」
希羅は少しだけ蒼い顔で頷いた。
流石は双子というところか。しかし、よく見ると雅輝より雅夜の方が性別に関わらず目尻にやわらかな印象の漂う面立ちだ。
「アレ? 眼鏡は?」
と、慶。雅夜はにっこり笑って答える。
「いやね。眼鏡かけてたらあんまり雅輝に似ないじゃない。つまらないわ」
「…誰だ?」
ああ、そういえばここに入り浸る(なんて暇はなく瞬殺されている)のはいつだって弟の方だ。
雅達と顔を合わせたことはなかったかもしれない。
希羅はそう思い、口を開いたが…
「この人は―――」
「はじめまして…ですね。御門雅夜と申します」
本人直々に無駄に丁寧な自己紹介がはいる。
「お話は雅輝から聞いていますわ」
にっこりと笑う雅夜。
笑っているという点では彼と同じはずであり、顔だって似ている。なのに彼にある軽薄なパーツが全く見受けられない笑顔。
神出鬼没のストーカーとはまた違った意味で、嫌なタイプだ。
「いつも愚弟がご迷惑をかけているようで…」
わずかに眉を潜めた雅に構わず、雅夜は微笑み続ける。
「…ああ。すごく迷惑している」
なんだか曖昧な言い方をしようものなら変な意味にとられそうであり、なにより雅輝に義理立てする筋合いはなかったので正直に答える。
すると、ちょっと残念そうに微笑まれた。
「…で、なんの用だ?
一応言っておくけど俺は原因なんて知らないからな」
流石に立ち直った遥霞が問う。
「そうなの? あらアラ…困ったわ」
頬に手をそえて小首をかしげる。
雅輝が乙女ちっくなポーズをとっているようにも見えてコワイ。
「だって、貴方達の仕事ってトラブル集めてくるようなものじゃない」
「…その理屈ならここだけじゃなくてさ…」
「行きましたよ。こんなに適応して女物積極的に着てるのはじめてみたけど」
着たくて着たんじゃねーよ。
いつもは気の合わない数名の心の叫びはこの時確かに唱和した。
「…それとこんなに冷静に話し合ってるのはあなた達だげだったわ。」
ふと遠い目をして語りだす雅夜。
彼女は居座る気満々だ。
「先に武行君のところに行ったら、清清しいくらいひきこもってて。妹さんが一人、過去の文献を漁りつつ手がかりを探していて」
雅夜が口にしたのは、同業者『Averuncus』のトップの名。
「りおさんは面白がって誰かに見せてくるとか言って出かけてしまったそうだし、それじゃあ永遠に帰ってこないから、と紅也君が探しに行ったそうよ」
ある意味いつも通りなのを彼らは気づかない。
「まぁこれはまだマシだったけど……聖那のとこは惨かったわ」
惨いと言う割りにひどく楽しげな口調で続ける雅夜。
「紫音ちゃん、押し倒されかけてたもの。彼女のファンに。皮肉ね…男になった方が女の子なリアクションするなんて」
びしっ。
と空気が固まった気がした。
「……誰に?」
「彼女のファンに。ああ。ちなみに今は男よ」
「あのコ女の子だったよね…?」
「でも押し倒そうとしているコ達は今男だし」
「…どっちにしろ同性じゃねぇか」
未だに女だということを信じてくれないものが多数いて、彼女らにしてみれば求愛行動なのだが。紫音にはいい迷惑だ。
「玲人君は『レディース割引とか使って見たかった』とかって出て行ったらしいけど」
そこまで開き直るとある意味男らしい。
呆れていいのか褒めるべきなのかわからない話だ。
「…それと、ここ、最近ホント人外魔境だもの」
どこへともなくさ迷っていた金の瞳が、はっきりと遥霞を捕らえる。雅夜の笑みは僅かに深くなった。
「少なくともあなたに人外扱いされる奴はいないと思うよ」
答えたのはどこか冷たい声。
「アラ冷たい言いよう」
「……」
クスクスと笑う声を、遥霞は無言で受け取る。
性格は自他共に認める屈折した傍若無人っぷりを持つの遥霞だが、頭が上がらない奴はそれなりにいる。
が、雅夜をそれと一緒にするわけにはいかない。頭が上がるだのなんだのではなく―――あの姉弟は、敵に回してはいけない。
絶対に敵わない。彼らを敵に回しては、ここでは生きていけない。
いつ取り潰されてもおかしくない『ここ』を永い時に渡って影から、あるいは表から守り続ける家系。その目的のためなら手段を選ばない家。
それが、『御門』の名を背負う彼らという存在。
…あのどつかれまくって喜んでいるのも彼の本質だろうし、おもしろがりなところも彼女の本質なのだろうが。
―――いや今はそんなことより……っ
「……なんかないの? 手掛かり……」
「あるわよ? 一応。誰もないだなんて言った覚えをなくてよ。
ホラ、雅輝がなぜか『今の貴女と顔を合わせたくありません』とか泣きながら出かけていって調べてきたらしい地図。
この異常現象が起こってる範囲を調べたらしいわ」
笑ったままそう言い、ばらりと地図を広げる。細部まで色々なものが書き込まれたそれは、一部大きな丸で囲まれていた。
言われるままじっとその地図を囲む一同。
「広いな…」
「外も騒がしいわけだね」
「…で…原因はあんのかよ…」
勿論紙を見るだけでそんなことが分かるわけがない。
が、遥霞が一人ふっと軽く顔をしかめ、その紙に指をおしつける。
「なにかしら。なにか心当たりが?」
「ああ」
指は、ギリギリでその円に入っている小さな四角をさす。
「…うちが人外魔境とか言う前に…
行くところがあるだろう」
「…ま。たしかに、でしょうね」
―――分かっててからかいにきやがったな、この女…
いつもの自分の行いを棚に上げ、遥霞は胸のうちで毒づいた。
彼が指差した場所は、『PANAKIA』だった。
なぜ飲食店に手がかりがあるのか。
訊いても『行けば分かると思う』の一点張り。
『まぁそろそろ遊び飽きたし』と雅夜、ついていくのは、こんな格好で外に出たくないと、男性(今は女性)陣の主張したため、希羅と雅。雅が行くなら『俺(僕)も行く』とあっさり主張を翻した流と白蓮。
「…ちょっとこんなとこ来てどうするのよ…」
希羅が呟く。
幸薄そうなマスターと(料理が)凶暴なウェイトレスがいるだけではないのか。
ちなみに白蓮はちょっと怯えている。
「まぁ、会えばわかるわ。
…会わせてもらえればいいのだけど」
《臨時休業》の張り紙に構わず、数度ドアをノックする雅夜。
数度めげずに繰り返すと、根負けしたように茶色い頭が顔をだした。
「…雅輝さん? …じゃねぇ…? あれ? うげ。雅夜さん!?
いや、つーかなんだこの共通点に欠ける集団?」
叫ぶ声が明らかに高い。
少年マスターはやっぱり少女となっていた。
「『うげ』とは結構なあいさつですね」
「…とりあえず今日は休業ですからお引取り願いません…?」
「そうはいかないのよ。
あなたじゃなくてここの可愛い可愛いウェイトレスにお話がv」
「なっ……
今度はあの馬鹿になに吹き込みに来たいっぺん死ねこの痴女。」
「今は男よ」
一気に冷たくなった声と共に閉められそうになったドアを強く掴んで笑いながら答える。
なんだか壮絶な光景だった。
「…痴女…?」
「なにがあったんだろうね…」
「弟が弟なら姉も姉なのかしら」
外野がそんな話をしているうちに、話がまとまったようだ。
結局、しがない赤貧経営者は客には勝てなかったらしい。
椅子に腰掛けた五人にお茶を出してきたのは、ウェイトレスだった。
そう、ウェイトレス。
セレナは少女のままだった。
「……私は無関係ですよ」
ことん、とお茶を置くと椅子に腰掛ける。
「大多数に異常が起きてるのに一人平気な顔してる子を白だなんて思えないけどな」
苦笑しつつ流。
「……それはそうか……」
呟いた少女の声は、いつもより少しだけ低い―――落ち着いているとでもいうべき声だ。
「…でも原因は私じゃありませんよ…。別に皆さんの女装見てもつまりませんって。ライドだけならまぁ私がなにかしちゃた☆って可能性もあるですけど…」
「ちょっと待てなんでおれだけ「うるさいです。これは珍しく真面目な話ですよ。…失礼を承知でお訊きしたいんですが、恨まれてますよね? あなた方」
本当に失礼な台詞だった。
だが。誰も否定しない。
「…たぶん原因はそれだと…思い、ますけど」
「それだけでころころ性別逆転しなきゃならないなら私はもうとっくに自分の性別を忘れているに違いないわ」
いや、そんな自信満々に。
一同は思いはすれども、つっこんではいけない気がしたので黙っておいた。
「大体なんで私を疑うんですかぁ。しがない安月給のウェイトレスですよ、私」
「疑う余地はたっぷりとあるのよ、残念ながら。これを晴らして欲しいならちゃんと説得してもらわないと」
「……ひっどい話ですね」
「…ちょっとあなた…なんなの?」
淡々と着々と冷たくなっていく空気の所以がわからず希羅が口を挟む。
「………」
問われたセレナはどこか寂しげに目をふせる。
その林檎色の唇から、どう発音しているかも定かではない言葉が滑り落ち―――冷たい空気が華奢な拳に集まる。
掌の中にはいつのまにか氷の塊。
「…なんなの、と訊かれれば…こういうことができる人間だ、としか言いようはありません」
「じゃあ…あの料理も…」
「いえ。あれは原因不明ですから。全身全霊をもって教わったとおりに作っているはずなんですけど…」
救われない話だった。
「…皆さんに分かりやすく言えば魔法使いなんでしょーがねぇ…。
でも、私は、お話みたいなすごいこともできないですよ。
こちらでいう科学の代わりですよ…ホントにちょっとだけ変わってるだけですもん」
小さく付け足された言葉が震えたことに、セレナ自身は気づかない
「けど…まぁ本気でやろうと思ってちゃんと準備して気合いれれば、雅夜さんが言った通りに、私にはこーゆーことができます。
そして、把握できないことですが私みたいなのがいると思います。たぶん」
不確定要素が多すぎる会話だった。
「…それでそういう人たちが…一人で生きていける道理はないんです。いえ、道理というよりお金が。私がそうであったように、例外なく一文無しでしょうから……。だから雇われで、こういう力を……その、分かりやすく言うと、呪いでいいのかな…ともかく、それを使っていても不思議はないです。
……遭遇する確立なんてツチノコ並みなハズですから運がいいと思って諦めるのはどうでしょう?」
「なんの運だよ、それ」
雅がつっこむ。
セレナはうっと言葉に詰まった後、
「えーと…改めて聞かれると分かりませんけど…
……ともかく、そんなすごいもんじゃないですよ、確実に。それだけは断言します。もって三日ですッ!」
信用しづらい話しぶりだった。
「なんて言うんでしたか…人を呪わば穴二つ、ですから…。そんな大掛かりな術、使いたくないんでしょーから」
―――…あいつら本人に恨まれてるならこんなユカイな術はありえないからな。
本人達にとっては愉快ではないのだろうから、セレナは胸のうちだけでそっと付け足した。
同居人以外にはきちんと気の利く娘だった。
「……。しかたねぇな」
「…信用してくれるんですか?」
「白蓮が豹変したことに比べれば理屈通ってる気がするわ」
「…そういえばあの時の記憶ないんだけど…」
「…忘れときなさい。私は忘れたいから…」
「確かにアレの方がよっぽっど不思議だよね…」
「お前に人のことはいえねぇだろ」
「あそこまで惨いかな?
あー。でも雅が練習に付き合ってくれたら上達するかもv」
―――そんなに惨いのかなぁ…私の料理…
これ以上話をややこしくはしたくなかったので、黙っておいた。
「…ま。直るというなら、信じておくわ。どうしよもなくなったらまた来るけど。
お茶、ご馳走様」
『とりあえず』の解決策を得た一同は、店を出て行った。
その後。
しっかりと二人だけになったのを確かめた後、ライドは問う。
意識的に目は合わせぬまま。
「でさぁ…あれ、ほんとなのか?
関わりたくないから、の方便じゃなくて?」
「…うーん…」
関わりたくないのはホントですけど、と小さく笑った後。
「…そうですね、少し、嘘は…つきました」
罪悪感、と顔に書いて笑うセレナ。
そんな様子にライドはもれそうになるため息を押し殺し、くしゃりと髪に手を置く。
―――自分が女になっても、まだ少し低い位置にある。小さな、小さな体。
彼女はこんな小さな体で、様々な闇を背負っている。
「…まぁいいけどよ」
むやみやたらに己の手の内を晒す必要などなに一つない。
ぼんやりとライドは思う。
この少女は、ややこしい身の上の持ち主だ。ややこしい力の持ち主だ。
だから、彼はそれを明かされた時、長い間世話になった武行の元を躊躇いなく出た。
恩義もあった。未練もあった。けれど
あの時、彼女を守ると決めた。それは、かつて世を憎んだ己の心を救うために。
しかし、やはりこの少女を本気でややこしいことに関わらせないためには、接客業はまずかったかもしれない。知り合う人がおおすぎる。
知り合う者知り合う者に懐きすぎだ。自分に対する懐きようとて…心配だ。
自分のことだけ考えていれば、楽だろうに。いつだって平和なんていう馬鹿な理想のために一生懸命だから、危うい。
―――しっかし自分のことだけ考える人間だったらここまで気ぃ回す必要ねぇな…
胸の中に浮かんだそれを人は惚気と呼ぶことを、彼はまだ知らない。
ポンポンと頭を撫でられつつ、セレナは続ける。
「遭遇率ツチノコ並み、と言いましたが、実際はシーラカンスくらいだと思います」
「…すまねぇがおれにその違いは理解できねぇよ」
―――とりあえず絶対に気を病むような嘘じゃねぇ気がするんだが。
「…あぁ、それと」
本当に今思い出したというように、つけたす。
「あの
「……」
ちょっと待て。それは重要だろ?
ライドは顔をひきつらせた。
元に戻るまでの数日間に、それぞれ一悶着あったのは言うまでもない。