何でも屋「Averuncus」の朝は、早かったり遅かったりする。大体の場合、個人による。規則正しく生きるのを信条とする男がいるものの、トップである男が割と好き勝手に生きているためだ。
 通常の業務や休日というものは基本的に設けていないため、休めるときに休み、働ける時に働く。

 入れ替わりと一時的な協力と欠員を繰り返し、常時そのメンバーと確かなのは、現在精々十数人。
 それは、ある集団住宅を寮として仲良く暮らしている十数人とも言い換えることができた。

なんでもない日

 ―――そんな、寮の一室で。
 腹のあたりに、奇妙な重みを感じて、深丞明乃はゆっくりと目を明ける。

 そうして目覚めた明乃の腹に、またがる小柄な少女が一人。
 朝日を受けて輝く金色の髪。涼し気な薄い蒼の瞳。もっと涼しげな、真っ白な肌。
 よくよく見知った少女に向かい、明乃はじとりと目を据わらせた。
「りお」
あき。明明。ご飯。朝ごはん。ホットケーキがいい」
「食いたきゃ自分で作りなさいよ」
「明のつくったのがいい」
「あたしは作りたくないの。だから下りて。はい、おやすみ」
 やたらとリズムカルにまくしたてられた要求をはねつけて、素直に腹から降りたりおを一瞥して。
 明乃はごろりと寝返りを打って、そのまま瞼を閉じる。
 二度寝の姿勢を隠さない友人に、りおは頬を膨らませた。
「明。この前のお仕事終わったら構ってくれるっていった」
「ホットケーキ食べたきゃあんたのジジイ、じゃなくて紅也にたかりなさい…」
 ぺしぺしと背中をたたかれながらも、明乃の答えは変わらない。
 面倒そうで、今にも寝息の混じりそうな返答。
 りおの主張も変わらない。乏しい表情の代わりに、声にたっぷりと不満をにじませて、
「紅のケーキおいしくない。焦げてて」
「知ってる。食堂の方よ」
「今日お休みだって」
「じゃあ兄貴んとこにいきなさい…あの砂糖の塊男なら、絶対備蓄あるから。それっぽいケーキなり甘ったるいパンなりを…」
「焼きたてがいいの」
「フライパンで焼けばそれっぽいでしょ」
「えー」
「えー、じゃないの。あたしは眠いの。だから寝かせて。…しばらく暇だし、明日買い物つきあったげるから。今はどっかで遊びなさい」
 幼い子供に言い聞かせるような言葉に、りおはぱっと笑う。
 身体的な特徴を見る限り、年齢は10台後半。顔だけ見るならば、凛と整い、いっそ人間らしからぬほど。
 その涼しげな美貌に不釣り合いな笑顔を肩越しに見て、明乃はええ、と呟いた。

 ええ、と答えたきりぐっすりと眠り始めた明乃を見て、りおは小さく頷く。
 やっぱり駄目か。仕事開けだもんね。分かってた。
 すぅすぅと眠る彼女を見ながら、りおはそっと扉を閉めて施錠する。腰につけたポシェットに合鍵をしまって、そっと歩き始めた。

「…で。僕のところにきたの」
「うん」
「僕が焼いたのはお気に召さないんでしょ。朝ごはんはどこかに買いに行きなさい」
 寮の庭で素振りに勤しんでいた紅也は、窘めるようにそう言って、ひらひらと手を振る。
 あしらうための仕草に、りおはふるふると首をふる。
「ボク、もうホットケーキの気持ちになっちゃってたし。他の食べたくない。面倒になってきた」
 再び竹刀へと延びていた手がぴたりと止まる。
 紅也はぐるりと体ごと振り向くと、実に生真面目な表情で告げた。
「そんな不健康なこと言わないで。食べれるときに食べに行きなさい」
こうはこないの?」
「うん。僕はもう食べましたから」
 彼がそう言うなり、今度こそ竹刀をつかんだその瞬間。
 彼に向かってぴ、と白い手が伸びてくる。
「お小遣い」
「は?」
 両手をそろえて、なにかを置いてほしそうなポーズで。
 りおは淡々と要求を繰り返す。
「今ボク、現金がないの。お小遣い」
「…いや。りお。君、お小遣いって。この間もらってませんでしたか、給料。
 僕見たんですけど。あれまだ3日とたってない」
「あれね。お札チョコがたくさん入ってた。
 あと7日待って、って、武あの後泣いてた」
「またか」
「まただね」
 しょんぼりとでも評することができそうな様に、紅也はぐっと言葉に詰まる。
 常日頃周囲から、問題児の保護者だのいっそ孫を甘やかす翁だの評される彼は、その言葉に言い返せない程度にりおに甘い。
 彼女をぞんざいに扱いつつあしらいつつ、とても甘かった。
 一応トップってことになってるのだから、報酬を払わなかった武行が悪いが、それにしたって使い切るな、とか言えない程度に。
 いやしかし、だがしかし。
 ―――今日は僕も疲れてるんだよな。昨日忙しかったから。
「………僕や明乃より武行のところに行きなさいよ。君」
「武がお金なんてくれると思うの? だから紅。お金」
「貸してもいいけど…その前に武行に文句言ってこい。
 アレまで文無しっていうことはさすがにないでしょうし、むしり取ってくるといい」
「武、たまに本当に文無しになってる。手元にお仕事用のお金しか無くなってるときある」
「……そうですか」
 ああ。あいつ自由になる金ほぼ食い物にしてしまっているからな。しかも駄菓子ばっか。
 燃費の悪い親友に呆れた気持ちでいる紅也に、さらに呆れる一言が聞こえる。
「お札チョコは常にある。見てるとちょっと幸せっていってた」
「………ああうん。そうだね。知ってる。昔からそういう馬鹿だね。あれは」
 呆れて、呆れ果てて。
 あの馬鹿は明乃の計画性のカケラでもあればいいのに、などと思うことにも、彼はもう慣れていた。
 依然としておねだりポーズを続けるりおのことも見慣れていて、この後自分が取る行動も、慣れてはいるけれど。
「…アレまで文無しだったら、戻ってきなさい。
 君にならなにか御馳走してあげますから」
「今じゃないの」
「武行のアホが、君のことは僕が食わせてれば平気って言い出したら困りますからね!」
 慣れているけれども無駄な抵抗を続ける彼に、りおはコクリと頷く。
 その仕草はやはり幼子めいて、だから彼はそっと彼女の頭を撫でた。

 庭を後にしたりおは、武行がいそうな場所を考える。
 順当にかんがえれば執務室としている部屋。けれどいるわけがないだろうなとも思う。執務室にいる彼女の上司を思い出すとき、高確率で椅子に縛り付けられている。次点は真剣を抜いた紅也やナイフ片手の明乃が隣にいる。脅している。まれに縛られて転がっている。
 Averuncusのトップは、黙って一か所に座っているということができずに、あちらこちらにふらふらする男だった。
 だから、おそらくは外だ。そもそも最初に電話をかけて、出なかったのだから外だ。
 こくりと頷いたりおは、そっと玄関へと向かう。
 目的地は、特にない。
 方向感覚に難のある彼女が、一人で外に向かえば確実に迷う。地図を持てばそうでもないが、仕事で強く命じられでもしない限りには、持つことを嫌う。
 だから、運任せだ。そもそも当てもない。
 こくこくと、再度頷いた彼女の足取りは、非常に軽い。
 軽く、周囲の心配やらなにやらを無視して、とても軽く玄関を出て。
 目当ての人物を見つけ、目を丸くした。
「た」
 たけ、と呼びかけようとしてやめる。
 特に理由があったわけではなく、本能で。勘で。
 そうしてしばらく、その背中を追う。
 一定の距離を保っても、むやみに高い背はよく目立つ。何の酔狂なのか、腰近くまで伸びた髪も同様。
 その目立つ人影を追ううち、どんどんと人通りは少なくなる。
 りおという少女は、方向感覚が怪しい。武行と出会うまでの記憶はなく、様々な者が怪しい。
 けれども、知っている。今追っている青年が、どんどんと治安の悪い場所へと向かっていることを。
 それに、もう一つ。
 声をかけぬままの自分がついてきていることも、知っているのだろうなと。
 そんなことを知りながら、少女は無造作に銃を抜いた。

 人通りもまばらな、街の片隅。法の光届かぬ、街の暗部の一角に。
 2度の銃声が、鈍く響いた。

 人通りもまばらな―――見渡す限りでは、自分を入れてたった三人になった頃。
 響いた銃声に、深丞武行はゆっくりと振り返る。
 目が合うなりにとと、とかけてくる少女に、苦い顔をしながら。
「りお。俺は声かけなかっただろ。そういう時はついてくるなよって意味なんだが」
「でも武。用事終わったら、どっかいっちゃうでしょ。しばらく帰ってこない」
 用事。
 家というか仕事場というかを出てから、ずっと彼についてきた―――つけてきた二人組を、ふんじばって依頼人のもとに届けること。
 今は麻酔銃を撃たれて、ぐっすりと眠っている二人組を確保すること。
 それが終われば、彼は当然、
「まあ、そうだな」
「それ、困る。ボク、武にご飯たからなきゃダメだから」
「ダメなのか」
「ダメなの」
「…ああそうかい」
 言ってこちらを見上げる少女の髪をくしゃりとなでる。ぐしゃぐしゃとかきまわされて、くすぐったそうに目を細める様は。幼子のようだと周囲は言う。
 りおというこの少女には、偶然出会った武行が保護するまでの記憶がない。本人は、りおという名前だけを憶えていた。
 ―――欠落したのは、彼女が体験してきたエピソードであり、生きるために必要なことや、常識といったことは失っていない。どこから来たのかは知らないが、言語圏は同じだろう。
 彼女を診た医者はそういったが、それだって怪しいほどに、その少女の言動は頼りない。頼りなすぎていっそ怪しい。
 どうにも頼りなく、幼げで。それでも銃の扱いだけは恐ろしく長けた少女。
 彼女を保護した彼には、そういったものに命を狙われる筋合いはそれなりにあったため。
 それでも傍に置き続けたのは、あまりに怪しいから知人だの友人だのに押し付けるのは気が引けたから。
 あるいはもっと、単純に。
 幼子のようだと称される少女が、彼にはもっと小さな動物か何かに見えた。それは例えば、目を離すとどこかに消える猫で、餌をもらうために芸をする犬だ。
 まあ一度、犬とか飼ってみたかったんだよな。世話しなくてもいいならば。
 無責任な言葉を胸に、武行はそっと手を離す。
「面倒が減ったのは確かだし、リクエストは聞いてやろう。なにがいい?」
「ホットケーキ」
「そうか。ではこれをちゃんと目的地にとどけるのまで手伝ってくれたら、帰りに寄ってあげよう」
「えー。それは武がしてくれるんじゃないの」
「お前私の部下だろう」
 真顔で拒否されて、嫌そうに武行。
 すると少女はふるふると首をふり、こちらも真顔で訴える。
「給料払ってくれない人は上司じゃないって紅が言ってた」
「え、お前紅也みたいになってもいいのか?」
「それは嫌だけど。でも、お腹減ったし。武頑張って」
 言ってすたすた歩きだすりおに、倒れた二人を連れていく気など欠片も見えない。そもそも目的地も聞いていないのに、一体どちらに向かう気なのか。
「りお。わかったから待て。戻ってこい」
「うん? うん。いいよ」
 ふらりふらりとふらつく歩みを止め、素直に戻ってくる部下に、武行は静かに笑う。
「面倒だからその辺で車拾ってくる。…それまで待っているように」
 告げられて、コクリと頷くりお。
 でも早くね、とせかす声に、既に背を向けた武行はひらひらと手を振ってこたえた。

目次

あとがき
山も落ちもないりおの友人と保護者と飼い主の話。
りおは待てととってこいのできる良い子の犬です。人だけれども。記憶とか行き場がないからそうなのか性格なのかは元の彼女のみが知る。
あるいは彼女自身も知らない話ですね。

○入れる場所がなかったのでおまけ 深丞兄妹の楽しい躾。
「駄目よりお。そういうこと何も考えないでいると、そのうち紅也みたいになる」
「わかった。止める」

「いいか。りお。お前ちょっと腕が立つことをいいことに調子こくと、果ては紅也みたいになるからな」
「気をつける」

「待て。お前ら僕をなんだと思ってんだよ」

Aとても大事な親友だとは、思って好いてはいる(だが迷惑な脳筋だ)
そして満場一致で紅也にはなりたくないと思われてる。
ちなみにんなこと言ってると紅也けしかけるとか言われると某ライド君は死ぬほど素直になんでもする。なんでもする。
彼にはなまはげの一種だと思われてる。むしろ彼にとってのなまはげだ。
2015/05/26