それから、小町さんとは例のカフェで顔を合わせた。会話も交わしたし、普段通り。
けれど、聞くタイミングは逃してしまったのかもしれない。
…いや、タイミングなんて、関係なくて。
『どうして疲れていると思ったんですか?』
それで例の風龍のことを知っていると言われたら、僕はどうするつもりなのか。
わからないから、聞けないのかもしれない。
僕と彼女と彼女とのX日戦争 3
ふぅ、と溜息をつく。
ああ本当にまったく、ちゃんと聞かないからもやもやとするんだ。
別にやましいことなんてないんだから、早く説明してしまえばいいのに。
「……意気地がなくなった」
いや、元から大してなかったのかもしれないけれど。
ちょっとした喧嘩というかじゃれあいに巻き込まれて壊れた竹ぼうきを買いかえた帰り道、ぽつりと呟きが漏れる。
夕方よりやや遅い、夜のはじまり。
食事時なのか、人通りは少ない。…少なくとも家は食事時なんだけどな。まあ、最後の止めをさしちゃったのは僕だし、仕方ないか。買いにいくのは。…わざわざ町はずれに打ってるものを指定されたのも、反省しろというやつなのだろう。
………そういえば。
この道って、山とか登った時に帰る道だよな、小町さんと。
好きだとか好きじゃないとか、考える前。一緒に歩いたこともあったっけ。結界の修復がどうとか、訳の分からない理由で。
…ああいう分らなさは、慣れたものだけれど。こういう分らなさは、できれば味わなくていい。
ふ、と笑声が漏れる。自嘲で。
「あ、ふーやさぁん」
そんな時に聞こえた明るくも間延びした声。
一瞬足を速めかけて、止める。
周りに人がいなすぎて、聞えなかったと言い張るのは苦しそうだ。
…いや、心おきなく無視しちまえばいいんじゃないかとも、思うんだけど。
……嫌がらせうけた、とかじゃ、ないから、な……
無視するにできない。その状況がまた辛い。嫌な無限ループだ。
「どうしたんですかー? 今帰り?」
「…ええ」
とてとてと歩みよられて、仕方なく答える。
さすがに歩幅を合わせる気にはなれなくて、足早のまま。
それでも気にしない風に笑う彼女は、言葉を続ける。
「どこいってたんですー?」
「…まあ、ちょっと。買い物に」
「マメなんですねえ。っていっても私も病院のお使いの帰り。あー。どーせなら一緒にいきたかったなぁ」
「………」
それはもうさぞ自然だと言うような流れでこぼされた言葉に、今は笑うこともできない。
営業用のそれが崩れて、出ているのはなんだろう。
たぶん、疲れで。ともすれば、鬱陶しげな。
そんな顔をしている自覚があるのに、彼女はにこりと笑ったまま。
「以前も言いましたが。私は彼女に疑われるようなこと、したくないんですよ。貴方がいい悪いではなく、駄目なんです。悲しませたくないんです」
「あー。そうなんだ。でも、私も違いますよ」
笑顔のままに顔を覗き込んできた風龍は続ける。なんでもないことのように。
「私は気にしない、っていうか。その方が燃えるんですよね」
この龍、今すげえとんでもないこと言ってないか。
顎に小指を添えて、考え事をするような仕草は、まあ、愛らしいと評するべきなのだろう。たぶん、言っていることの割には。
評するべきなのだろう、と客観的に思うだけで。心にはちっとも響いてこないのは、なんでだろう。
「なんか、ライバルいた方が燃えるっていうかー。その方が、イイ」
…なんでもなにも、答えなんて。知っているけれど。
「…私は」
だから、続けようとした。私は、それに賛同しないし。それに付き合う道理もない、と。
「それに、この間一緒にいるとこみたけど。
なんか風矢さん、気を遣ってたじゃない」
けれど。続けようとした言葉は遮られる。
足が止まり、なにかがこみ上げて。言わんとした言葉の邪魔する。
「飲み物買ってたのみたけど、全部聞いてるの風矢さんの方だったし。話しかけてんのもそっちばっか。
風矢さんにこにこしてても、カノジョにこりともしてなかったし。なんか唐突に変なこと言いだしてたし。楽しそうに見えなかったしー」
いつどこで見られたか、は不思議と気にならなかった。
本当に偶然かもしれないし、そうでないかもしれない。
…傍からみてそんな風だというのも、別に。別に、分からなくはない。
「なんか、カノジョって。変なウワサもたくさん聞くし?
そりゃ、全部が正しくはないんだろーけど。その噂、立てられる方にも問題あるよね。誤解だとしても普通にしとけばとけるようなもんだしー。実際みても、なんか怖いし。不満に思っても不思議じゃないよね」
分からなくないから、言い返しはしない。
だって僕も、思ってた。
おかしいと、痛々しいと。最初は、確かに。
そうして、自分が、あるいは自分だけが正しいと思っていた。
だからあれはおかしいと思った。
自分は常に正しいと。そう思っていないと立ってられないくらいに脆弱なプライドが。そうした。
「そういうのみると、も、余計私の方が、って感じ」
―――でも。
「私、風矢さんといてすっごく楽しいし、だから一緒にいたいし、そっちの方が似合うじゃない。色々手伝ったり、助けたりしたいな」
でも、今度は。黙らない。
僕は笑顔で頷く。いつの間に腕に回っていた手をひきはがして。
「…確かに道理ですね」
だって、そうして。ずっと自分の正しさにこだわっていたら。
「でも、貴女に言われる筋合いはありません」
あれはおかしいのだと、ずっとそれだけを思っていたなら。
そもそも彼女に惚れることなんて、あるはずがないのだ。
「やだ、別に親切で言ってるんじゃないですよ?
ただ、当たり前のことだから。不思議だなあ、って聞いてみたくなっただけだもの」
それなりに冷たい声を作ったはずなのに、目の前の風龍はにこにこと笑う。
楽しむように、というよりは。本当に自分の正しさを確信しているかのように。
「…不思議もくそも、そんなもん。外野に騒がれるまでもないんですよ」
正しいのはどちらかか、なんて。別に今更興味もないけれど。
「小町さんは。
やることなすこと変人だし。空気読めてるんだか読んでないんだか分からないし。何考えているか分からないし。そもそも諦めがよすぎて…苛々する」
諦めないで。割り切らないで。
どうか、求めるものがあるのなら。あがいてほしい。
「彼女の変なところも、おかしいところも、僕は貴女よりよく知ってる」
それが辛いなら、傍に誰かがいればいい。
その傍にいるのが、自分ならばいい。
自分でなければ、嫌だった。
そのためなら、できる限りのことを。いくらでもやってみせる。
「それを横からぴーぴーとうるさいんですよ」
思いのほか冷たい己の声に、なんとなく笑う。
おかしくもない。自嘲でもない。ただ。
自分の正しさを信じて笑う顔は、たぶん、彼女よりも目の前の風龍に近いのだろう。
「ああいえ、ちがいますね。貴女が何を言おうと、私は興味も関心もありません。どうぞ勝手にいくらでもどうでもいいことを言い続けてください。聞き続ける義務もありませんが。
でも、彼女はなにかと繊細な龍なんです。その女にまったくそそられなくとも、他の女といるところなんて見せたくない」
婉曲さを捨てた言葉に、目の前の女はようやく憮然とした顔をした。
腹を立てられているのは確実で、おしゃべりな龍に腹を立てられるのなんて、賢明とは言えない。しかし、それでどうなろうが。もう知ったことではない。
「貴女が他者を非難できるほど賢く、僕が彼女に不満をもっていると断言できる洞察力があると自負し、他者を気遣い、立てる自信があるというのなら、分かるでしょう?
迷惑です。もう二度と顔みせないでください」
笑顔のままに告げて、くると踵を返す。
そのまま呼びとめる声のないことを良いことに、家への帰路を急ぐ。木の植えられた道から、家の並ぶ通りに近づく。
いや、仮に呼びとめられていたところで変わらない。どのように思われようが、別に構わない。酷いこと言われたと触れまわられるなら、それでいい。
…ああ、でも。
それで小町さんに嫌われるのは、嫌だな。
僕は何を聞いても、気になんてしないけれど。彼女がそうであるという根拠なんて、ないんだし。
今度こそ自嘲で笑みがこみ上げる。その時。
かこ、となる下駄の音を聞いた気がした。