126番地のリビングに、二つの影がある。
一つは、お茶のなみなみと注がれたポットをもった炎龍。
「…風矢、やつれたね」
ぽつ、と呟かれた言葉に、もう一つの影は深く息をつく。
「…そうですか」
「…なんで会いにいかないの」
深い溜息は、もう一度。
続くのは、うんざりとぐったりとした声。
「…………言わないでくださいよ。今僕すげえ荒れすさんだ気持ちなんですよ? こういう時こそ会いたいに決まってんじゃないですか。
…会いたいですけど。なんか、あの龍にまた会いそうな気がしましてね。そこを見られたら嫌だなあと思うとつい。68番地が遠い」
「ふりはらえばいいじゃない」
「…ふりはらっているんですけどねえ」
はらっているんですよ、と呟く彼は3度目の深い溜息をついた。
僕と彼女と彼女とのX日戦争 1
―――ことの起こりは、一本の電話だった。
以前尋ねた病院で、万年筆の落し物があったと言われて。僕の名前を彫ってあったので連絡があった。そうして、出会った龍が、ここ数日の頭痛の元だ。
「あ、いらっしゃいませぇv」
「いらっしゃいませ?」
あれ、場所を間違っただろうか。ふーぞくてきな場所と。
病院らしからぬスカート丈とかむやみに明るすぎる声に触れ、そんな言葉が脳裏をよぎる。
いや、違う。ちゃんと入った門は病院のそれだった。閑古鳥が鳴いているけれど、朝の街唯一の病院だ。
僕の困惑を無視して、見知らぬミニスカナースはにっこりと笑う。
「はじめまして。ここのお手伝いしてる、ナズ子です☆」
二つにくくった明るい薄緑の髪と、似た色合いの瞳。まあ、ナーズだろうなと思ってはいた。ひとの姿をとっていても、そのくらいはわかる。しかし、…だからナズ子なんだろうか。
「……はじめまして」
朗らかな声に、反射でにっこりと笑う。
条件反射で、意味もなく。しみついた習性でそうして、ぎゅっと手を握られて驚いた。
「落し物の件でしょ? あっちにとってあるので、どーぞ」
けれど、そうやって奥の部屋を示されれば、まあ、無下にするわけにはいかない。
できるだけ静かに組まれた腕を離しながら、ナースらしい龍に続く。
そのまま、すぐに帰る気でいたのだ。特に用事なんてないんだから。
しかし。
彼女は、話が長かった。
「ナーズだからナースになるの、だからナズ子」
「そうですか」
「ここ全然お客様来ないけどー。まあ、楽でいいっていえばいいよね。あ、ごめん嘘。勉強できなくてつまらない…」
「お気の毒ですね」
「だからたまにお客さん来るともうテンションあがちゃってー。…うるさいですか? なら我慢しますよ」
「……いえ、別に」
どうでもいいです。万年筆回収したらすぐに帰るんで。
言葉の後半を胸のうちだけで呟いて、僕は歩く。
隣には相変わらず人気のない病院に響く、明るい声。人気のないにしろ、病院では静かにするものではなかろうかとも思うけれども。病院側がこれをゆるしているなら、別にいいんだろう。
「あ、嬉しい! ありがとうございますー。やっぱりこういうところ来る時って、龍もヒトも暗くなりがちだからぁー。明るくやらなきゃ、って感じしません?」
「それは良い心がけかもしれませんね」
適当に相槌を打ちながら歩く内に、彼女が立ち止まる。
どーぞ、と指示された部屋の中には、きちんとたたまれた真新しげなタオルケットなどに交じって、一個の箱。『落し物入れ』と丁寧に書かれた箱。
「一応大丈夫だと思いますけどぉ、本人のものか確認お願いしますー」
その箱から取り出されたのは、黒い万年筆。
なんとなくかっこいいからという理由で買った、僕のものだ。
「はい。ありがとうございました」
念のため裏返して名前を足しかめてから、軽く頭を下げる。
いえいえー。と答える顔はまあ、明るくて好ましい。…だけど。なんでまたさりげなく握手されてるのだろう。両手でぶんぶんと握りしめつつ振り回されているんだろう。
…ただの人懐っこい龍なのかもしれないが、なんとなく後ろめたい。
やけに近くで歩かれたことも、なんとなく。何も後ろめたくなどないはずなのに、脳裏によぎるのは。白い服と、赤い袴と。銀色の髪と、蒼い瞳。
……みられたい光景ではない、あまり。
「では、私はこれで帰ります。お仕事頑張ってください」
背中に感じる廊下の寒さより冷たい何かを感じた気がして、やんわりと手を離させる。
特に気を悪くした風でもなく微笑む彼女は、そのまま小首を傾げた。
「ええー。折角久々のお客さんですしー。もうちょっとお話していきません?」
「いえ、本当に患者が来たらご迷惑でしょう。帰りますよ」
「…そ。じゃ、入口まで送ってきますねー。今は仕事ありませんから」
「……そうですか」
いやなんとなく後ろめたいから止めてください。
それを言うとまた「いいんですよ」とか「暇ですものー」とか始まりそうだ。それなら素直に送られておこう。閑古鳥が鳴いてる病院なのは、間違いないのだし。
―――そうして、行きと同じように、色々聞かれたり話されたりすることは、分かっていたのだけれど。
「ナースとしてはツインテールって子供っぽいかな、って感じだけど。でも、私はこれが似合うかな、なんて思っちゃうんですよね」
「はあ」
分かっているんだけど、そろそろ相槌の語彙もつきてきた。なんか、この龍の喋り、じわじわ削れる。なにかが。すごく。
「ふーやさんの髪も長いですよねー。あはは、おそろいみたいで楽しい」
「あはは、おそろいではありませんが」
「うん、冗談ですよー。でもかっこいいからいいと思います」
「あ、…そうですか」
ありがとうございます、といいかけた言葉を飲み込んで、ゆっくり返す。
彼女の言葉に、悪意はない。
だから不愉快になるのも違うのかもしれないけれど、気がつくと腕くまれそうになるのが、ちょっとわりと嫌だ。
「カッコいいヒトの生活って気になるー。ねえねえ、いつもどんなことしてます?」
「……そうですね。最近は。お菓子作ったり、それ持って恋人に会いに行ったりしていますよ」
「あ、お菓子作れるんですか? やだ、ますますかっこいいー」
恋人がスル―された。
僕がお菓子を作るのは自分が美味しく食べるためと、彼女に美味しく食べてもらうためだ。その他は知らない。カッコいいとか知らない。
「じゃ、甘いもの好きなんですよね? なら知ってます? 最近超可愛いお菓子のお店できてー。いきたいなー、って思ってたの。でも一人じゃ寂しいし。
ふーやさん、一緒にどうです?」
「……誘ってもらって悪いですが。私の恋人はすぐに不安を抱く龍でして。あらぬ誤解をされても困りますから、異性と二人きりというのはちょっと遠慮しておきます」
「えー。私は気にしないのに、そういうの」
僕は気にする。
それに、小町さんが気にしそうだ。…いや、気にしてほしい。気にしてくれ。…でも、落ち込まれたくはないな。…本当に、そういうところも可愛いけれど。痛ましいというか悩ましいというか。…もっと色々言って、構わないのに。
「でも、気になるなら今は仕方ないですねー。会えたらいいですね、そしたらまた話してくださいっ」
ウィンク一つ送られた僕は、曖昧に笑い、病院を後にした。
…今、思えば。
この時はっきり言えばよかった。
僕は今じゃなくても、彼女を不安がらせるようなことをする気なんて、欠片たりともないことを。
―――それが、7日前の出来事で。今僕は…はっきりしなかった己をのろったり、呪わなかったり。
「で、実際再会しちゃった、と」
「はあ。そうですね。しばらくへぶんずれいにはいきません」
淡々と言うベムに、僕は乾いた笑みを返す。
ああ、なんか、すっごくかさかさな気がする。心のどこかが。
「でも、そこだけじゃないんでしょ」
「はい、この町に住んでいるようですから。まだ契約を結んでいない龍なそうで、病院手伝ってる以外束縛もないみたいですし」
「そこまで広くはない街だからね。あっても不思議じゃないね」
「生活にいるようなものは、特に集まっていますからね。彼女といる時には会ったことがないのが、救いと言えば救いでしょうか」
「…別にやましいことはしていないんだろう。会っても問題ない」
どこかたしなめるようなその声に、思わずカチンとくるものがある。そういう問題なら、とっくに会いに行ってる。
「神に誓ってやましいことなんざしていませんが。どうも言い寄られているようでして。まあ、間接的と言えば間接的だったんですけどね」
「…何か言われたの?」
「『アヌとナーズってお似合いですよね』」
吐き捨てるような声が出たことに、自分で驚く。
驚いて、気付く。案外気にしていたのかもしれない、なんて。…でも。
「さすがにはっきり言いましたけどね、僕には関係のない話ですねと」
「だろうね」
でも、僕は。もうそんなこと考えていない。…考えられない。
戦闘種族の本能が抜けおちるほど、あの光龍が好きなんだろう。
…他の存在に執着するなんて。報われないと思っていたのに。
「僕は他のひとに何言われようと、交配相手は自分で決めます。かなたさんは無理に決めたら君化けて出そうでおっかないとか言っていましたし、干渉されることもなさそうですが。
だから気にすることではないかもしれません。…でも。
そういうことを、小町さんには聞かせたくありません」
「その手の話は誰が言うわけでもなく耳に入るだろうに」
「耳に入るも何も、常識でしょう。アヌとナーズが交配すればブルーホワイト。でも、他の女の口から言われるのは違うでしょう。ましてやナーズ種に」
「…そうかもね」
いつの間にか開いていたカップに、熱い茶が注がれる。
ふわ、と香るのは、夏の内に収穫しておいたハーブの香り。
そういえばこれが咲く頃だった、彼女に想いを伝えたのは。
「ま、どうにかしなよ。それで君が変なことになったら、助けてあげる。味方だし」
ささくれ立った心が少し慰められた気がしたものの、思わず苦笑する。笑うしかないだろう、相手はベムだ。
「そりゃあありがたい言葉ですが。…僕に味方するであろう緋那さんの味方をするの間違いでしょうに」
「君達と完全な他人なら、君達を優先するよ。君が緋那に積極的に危害加える側になったら、しないけど」
「清々しいですよね、君のそういうところ」
「ありがとう」
褒めちゃいないんですがね、と思いつつも、言わない理由はひとつ。
ともかく、疲れていたのだ。