迂闊だったと思う。
不覚だったと思う。
「ああ、じゃあ、デートだ」
マスターのその言葉を聞くまでそうだと気づかないなんて、迂闊だったと思う。
今宵、星の降る丘で
デート、デート、デート……
たった今告げられたデートの一言がぐるんぐるん脳裏を駆け巡る。
…デートって、あのデートだよね…普通にデートだよね…?
「…ど、どうすればいいだろう」
口からこぼれ出た言葉に、マスターと緋那はきょとりと目を瞠った。
「…てっきり張り切ってるんるんらんらんすると思ったのに」
「ああ。もう準備は万端だとばかり」
首を傾げるマスター。
緋那はお茶を差し出しながら続ける。
「…嬉しくないのか?」
「…だって」
思わずもれたのは、予想以上に高ぶった声。
「だって、あのメー君だよ! デートなんて気のきいたこと言ってくれるなんて思わなかったもん!
絶対私の方からねだり倒していくものだと思ってたんだよ!」
だから盲点だったの!
叫んでバンっとテーブルを叩く。
うっかり力強くたたいてしまったけど、ベム君作のウッドデスクは頑丈だ。ちょっとみしっとしただけだった。
「…確かにメー君は野暮だけど。
案外イベントもの好きだし、形式大事にするよね…。今思えば、磨智ちゃんの影響だろうね」
「わ、分かりにくいよ!」
知らなかったよ。嫌々付き合ってる顔してたのに、実は楽しんでたの!?
「…磨智」
真剣な声と共に、ぽん、と肩に手が置かれる。
緋那はどこまでも真面目な顔をして言った。
「そんなに慌ててる時間、あるのか? 夕方に、と誘われたのだろう。今は3時だぞ」
その言葉に、思いだす。
そう、今はお茶の時間。
先日できたベンチ(いつのまにやら2人掛け用が2つ、1人用が2つずつ…ようは人数分あった。テーブルまでついてた。彼は本当凝り性だ)に座りつつお菓子つまみつつ雑談に興じ!
夕方に出かけてくるねと言ったとたん、マスターが変なこと言うからびっくりしたんだ…。
「…私」
コクン、とお茶を飲み干す。
…味が、よく、分からない。なんでこんなに緊張してるんだろう。なんでこんなに混乱するんだろう。
「とりあえずめかしこんでくる!」
部屋に戻る前に吐き出した言葉も、やっぱり混乱から抜け出してはいなかった。
彼が部屋に訪れたのは、夕日の色に染まり始めた頃だった。
「磨智」
呼びかける声と共に、ドアが響く。
「…ノックくらいしようよ」
不機嫌そうな仕草を装って返事をする。
本当は、不機嫌と言うより、緊張してるだけなんだけど。
「あ。悪い。…その、いい?」
「…うん。もう準備ばっちり」
言ってはみるけど、結局、準備というほどの準備はしていない。
…変にかまえて、なにもなかったら嫌だし、私だけ張り切っているのも癪だし。だから、精々少し髪をいじっただけで…気づいてくれても、褒めてくれることはないのだろうと思う。
案の定、彼は「そうか」と呟いて背を向ける。
いつも通りの姿。
けれど、一緒に家を出て、傍を歩くその顔は、どこか緊張しているように見えた。
「ねえ、どこ行くの?」
目的地が分からぬままに歩き続ける彼に問いかければ、どこか固い声が答えた。
「…フレイムさんち」
「え?」
予想もしなかった名前に、つい声を上げる。
しかし、冷静になってみれば、確かにこの道はあの人の家に至る道だ。一時期マスターが通い詰めていたから、覚えている。
けど……
「なにか、用事あるの?」
彼個人で用事ができるような場所じゃないと思うんだけど、どうしてだろう。
疑問のままに問いかければ、メー君は一層顔を強張らせる。なのに、なぜか笑みを浮かべた。
「……ええと、その………とりあえず、ついてくてくれないか?」
「……変なメー君だね」
呟いてみたけど、適当にあしらわれた。…メー君のくせに私をあしらうとは何事だ。
それに、やっぱり変だ。
そんなに何かを言いたそうな顔してるのに、どうしてなにも言わないのだろう。
思う間にも、足は進む。
特になにを話すわけでもなく、変に緊張して歩く道は、いつもと同じものであるはずなのに、違って見える。
…それが嫌だと思わないのは、一人じゃないからなんだろうなぁ…
声に出して伝えることに躊躇うような恥ずかしい感傷に、思わず軽く息をつく。
歩いているだけでこんなことを考えるほど、自分がお手軽な性格だとは思わなかった。
小さく自嘲の笑みを浮かべた途端―――彼の足が止まった。
「メー君?」
怪訝に思って小さく名を呼ぶ。
こちらを振り向いた彼は、なんだかものすごくひきつった顔をしていた。
そして。
「悪い。やっぱ待ってて。
そこのベンチで、…あとでジュースでも奢るから!」
「……別にいいけど。誘ったのはそっちのくせに、それはあんまりじゃない? 教えてくれるんじゃ、なかったの?」
「そ、それは教えるって…すぐ帰ってくるし!」
言葉を重ねる度に、彼はどんどんうろたえていく。
…なんなの、もう。
「…メー君」
キッと眼差しを厳しくしてみる。
…別に変なことしてるなんて思ってたわけじゃないけど、なんだか疑わしくなってきた。
大体言いたくないことなら隠し通してくれればいいのに、最近妙に視線感じて居心地悪いし…、イライラしてきた。
「君、やっぱ、変だよ?」
「…悪い」
そこで謝られるのが嫌なんだってば。
そう言おうと口を開いた瞬間―――激しい風と共に彼の姿がかき消えた。
はっとして空を眺めると、銀色の光龍がどこぞやに飛んで行った。
「…なんなの、もう」
ジュース一杯じゃ許せないよ?
ぼやいた言葉は、誰にも届かなかった。
しばらくして―――ってほどでもない、短い時間。
帰ってきた彼は、龍の姿のままこちらに降りてくる。
『乗れ』
「え?」
唐突な言葉に目を瞠る私。彼は構わず翼を広げる。
『乗れ。…一緒に行きたいとこ、あるんだよ』
「…落とさない?」
彼本来のこの姿は、よくいる動物に例えるなら…なんというか、大型犬?
十分乗れるし、大丈夫だと思うけど……少し不安かもしれない。
『しがみついてりゃ落ちない。っていうか、落とすくらいなら乗せねえよ』
「…信じるよ」
少し迷うし、置いてかれた恨みは残ってたけど…誘惑には、抗えない。
…私は飛ぶのが得意じゃないから、ちょっとわくわくするのだ。
そうして、彼の背中から見る空は、真っ赤な夕日が沈み始めていた。
メー君の降り立った場所は、朝町のはずれに位置する、小さな丘だった。
「…静かだね」
それに、いつもより、少し、星が近い気がする。
「人気のない場所選んだつーか…デバガメされたくなかったから…」
言って、彼は持っていた袋に手を入れる。
ずっと持っててなんだろうなーと思っていたけど…やっと言う気になってくれたらしい。
「……磨智」
やけに改まった声で言うメー君。
私も思わず居住まいを正す。
「……探してたもんが、あって。俺一人で探したくて。…隠すことじゃなかったけど、言いだしづらかった」
「…そんなに気にしてないよ? なにもかも把握していたいわけじゃないし…気になったのは確かだけど、嫌なら言わなくてもいいのに」
「それでも、お前には言わなきゃいけなかった気がして…」
「…私、そこまで口うるさく見えるの?」
言ってから、気づく。
口うるさいと思っていたなら、きっとそう言う。なのに、言わないって…もしかして…
「…私に関係あること、だったの?」
恐る恐る尋ねれば、彼は顔を染めてこくりと頷く。
そして、そっと手を握られた。
「受けとって」
押し付けられたのは、小さな箱。
小さな、可愛らしく装飾された、箱。
なに、と訊くことはできなかった。
ひどく真剣な目で見られて、そんなことは言えない。
そっとリボンをほどくと、現れたのは―――
「……ゆびわ?」
呟いた途端、その言葉が実感を持って脳裏を占める。
違う、脳と言うより、胸にくる。じわじわとあったかいものがこみあげてきて…瞳の辺りまで辿り着く。
今にも水になって零れそうな嬉しさが、全身に行き渡る。
ありがとう、と言いたい。けれど、言ってしまえば、それが零れてしまいそうで、少しの間、言葉を失う。
「いや…鎖あるだろ。だからネックレス。首にかけて欲しい」
言われるままに台座から取り出して首にかければ、細い鎖が僅かに鳴った。
涼しげなその音に、ほんの少し冷静な心地が戻ってきて…改めてそれを見つめる。
銀色のリングに刻まれたのは、蔦の模様。中心に据えられた桃色の石は、たぶんステラの欠片。細かく5つに分けられたそれは、それぞれ花弁を模しているのだろう。
「…可愛い」
「そっか…良かった」
ほっと胸をなでおろして、顔をほころばせる彼。その様子に、やっと言うべき言葉を思い出す。
「ありがとう。…すごく、嬉しい」
言いながら、自分の鈍さ…というより、混乱具合を嘆きたくなる。せめてフレイムさんが出てきた時点で気づくべきだった。
フレイムさんの今の職業は? ―――以前は戦闘系だったけど、教皇に転職して、今はもっぱら宝珠職人。…教皇のスキルは、宝珠販売・強化…銀細工作成。
探していたものがあった。隠すことじゃないけど言いだしづらかった。―――たぶん、照れくさくて。
ああ、そういうことだったのか。…そんな、嬉しいことだったのか。
「ここのところ、ずっとそれの材料探しててさ。ミスリル銀はいいけど欠片の方が中な…かあ!?」
「―――メー君大好き!」
「だ、い、って。あの。待て! その…離れてくれ!」
想像以上にうろたえきった声に、悪戯心がわく。
思わず抱きつちゃっただけで、からかうつもりなんてなかったけど、すごくいい反応だ。
自分の頬が笑みを形作るのが分かる。言葉に構わずそのままぎゅーと抱きしめてやれば、さらに慌てふためいた気配を感じた。
面白い。…けど、駄目だ。この体勢じゃ、顔が見えない。
仕方なく身を離すと、案の定真っ赤に染まったメー君がいた。
ああ、この感じ。ドキドキさせられるのは嬉しいし楽しいし、幸せだけど…させるのはもっと楽しい。
ふふ、と笑みがこぼれる。気分も新たに、贈られたそれを眺める。…やっぱりどう見ても指輪なんだけど。なんでネックレス?
「…ん。でも、ちょっと指にいれるには小さいかな。
…ふふん、サイズ分からなくてごまかしたってとこ?」
「なんでわかっ…いや、それも、あるけど……!」
思いついた推測を突きつけると彼は目を剥いたけど、すぐに冷静さを取り戻した。
顔の赤みも引いて、再び改まった顔で、静かに呟く。
「…いつか、もっとちゃんとしたのやりたいんだよ、指輪は。
特別だっていうじゃん、そういうのは…」
…………困った。
今度はこっちが赤くなる番だ。
「…メー君、案外計画性とか甲斐性とかあったんだね」
「案外言うな!」
私の言葉に、彼はぎゃーぎゃーと叫んでくる。
…良かった。照れ隠しだってことに気づいていない。
「だって、それ、プロポーズみたいだよ?」
「…―――まさにそれだよ悪ぃか!」
揶揄するつもりの言葉は、とても真摯な声に撃ち落とされた。
思わず無言で彼を見つめる。と、弄っていた指輪ごと手を握りしめられた。
「メー君…?」
呼びかける声は僅かに上ずる。…思いを告げられた時、こうして詰め寄られた時は、泣いてたからそれどころじゃなかったけど…なんか、すごく、気まずい。
手が熱い。…熱いのは、どっちだろう。お互い同じくらい、熱くなってるのだろうか。
考える間にも、真剣な言葉は続く。
「俺には、まだやりたいことがある。…能力はもう限界、なら、俺達はもう逝ってもいいようなもんかもしれないけど…この体に時間が残っている限りは生きていたい」
手を握る力が一層強くなる。
「だからいつになるか分からないし、きっと時間がかかるけど―――」
それは痛いくらいだけど…不快では、なかった。
「俺と結婚してください」
言葉と共に、うるさいくらいだった動悸がしんと静まる。
「―――喜んで」
答えた声は、今までの混乱が嘘みたいに静かな声。
胸を占める幸福を噛みしめつつ微笑めば、彼は戸惑ったような顔をする。
「…怒らねえの? 言ってることがあいまいなのよーとか…その…」
その、と何度も繰り返す。…煮え切らないなあ。もう。
彼が生きる理由に含まれているものなど…考えるまでもないのに。今更隠すようなことじゃないのに。
「…正直苛々するけどね、あんまりマスターマスター言ってると」
「…そんなに言ってるか?」
「言ってる。
ああ、それを考えると…もので誤魔化された気すらしてきたね」
「な…違う、違ぇ! ただこれは…その……」
彼は必至の顔をして訴えてくる。
「俺は…これならあれと違って、枯れないと思っただけで…それに…」
それに、と言葉は続く。
強い力に、真剣な目に、冗談だよと伝えるタイミングをすっかり逃してしまった。
「それに、お前そういう記念とか言うの好きそうだし! 指輪にしようかと思ったけど婚約指輪なんて恥ずかしくて注文できねえ!
大体指輪はペアだってことに気づいっちまってから無理だったんだよ! 贈るのはいいにしても、つけたら絶対からかわれると思うとついこうなって…!」
どこまでもどこまでも真剣な言葉は止まらない。
「ともかく俺は考えたんだ! カフェで結婚だの婚約だの言われた時から、ずーっと!
かなたのことは関係ない!」
言い切って、手を離す。
「…ごめん」
私は小さく呟く。
「もういいよ」
そして、お詫びも兼ねて、本心からの言葉を紡ぐ。
「そういうこともこみで君だもん。
苛々するし、たまに当たり散らしたくなるけど、我慢するよ」
そう―――彼の手をとった時、そう決めたんだ。
全部許すことはできないけど、譲歩することはできる。だから、そうすることにした。
…まあ、やっぱり色々苛々するけどね。
それは、他のことで発散すればいい。…こういう風に。
「必死に我慢するよ―――毎日愛してるって言ってくれたら」
「な」
「または今ここでキスしてくれたら」
「え」
言う度に、彼は面白いくらい赤くなる。
パクパクと口を開け閉めする彼は、そういうことをしてくれるとは思い辛い。
…むう。してくれても良かったのになあ。
「…冗談だよ。もう、そういうとこ大好き♥」
「そ、そういうとこって…!」
再び真っ赤になる彼に腕をからめる。
それにもかなり抵抗されたけど…やがて、応えるように腕が強くなった。
…うん、全然デートっぽくなかったし…デートだったのか怪しいけど、すごく幸せ。
浮かれた気分のまま言葉を続ける。
「ねえねえ、次に『ちゃんとしたもの』を見に行く時は一緒に見に行こうねー。
こういう風に驚かせてくれるのはすっごく嬉しいけど、一緒に見た方が楽しいの。きっとね」
「…そーだな。俺一人冷やかされるのは割に合わねえからな…」
なにかを思い出したように遠い眼をするメー君に、一層笑みがこぼれる。
上機嫌ついでに、もう一つ伝えておく。
「それに分からないこともあるじゃない」
私はね、と呟いて彼を見上げる。
「メー君、私、琥珀が好きなんだよね。だから結婚指輪はそっちがいい」
「へえ…確かにそれは知らなかった。…てっきり好きな色は白かと思ってたよ。服、白いし」
「…それも好きだけどねー。…琥珀色の服って変でしょ。明らかに」
「…それもそうだな」
しみじみと頷く彼は、その色が好きな理由なんて、きっと考えてない。
それを認められるようになったのが最近だなんて、絶対に教えられないけど。
君の瞳の色だよ、といつかばらすのも面白い。きっと真っ赤になって慌てふためいてくれるだろうから。