鉛筆を走らせると、やわらかい曲線が描かれていく。おおよそ人体として理想的な、芸術的なライン。それは絵にするにあたり、美化しているわけではない。目の前の少女は、美化などせずとも美しい。…むしろ、僕の筆がおいついていないくらいだ。
とはいえ、これは僕の画力の問題ではない。新緑の美しい公園で、黙って微笑む銀髪の少女はそのくらい美しい。淡く色づいた唇も、長い睫毛にふちどかれた赤い瞳も。…一瞬にして魅了されたし、絵にしたいと思った。
…ああ。その時は驚いたっけ。僕にしては珍しい。美しいものを書きたい、なんて、と。色々知った今では、ごくごくいつも通りの、オカルト作家、筑城高志の欲求だったと言える。
「どうしたの?」
「ん? ううん。…疲れてないかい、雨音ちゃん」
「うーん。…大丈夫、かな」
小さく言って頷く姿は、その言葉通りにみえる。みえるけれども。
この子はどうやら、演技がうまいから。そろそろ、かな。
「でも僕は大丈夫じゃないし、今日はここまでにしておこうか」
笑って言えば、彼女も笑う。
頭に『困ったような』とつけるのがよく似合う表情だ。
…うむ。それも大変可愛らしいが、その。もっと、ねえ。楽しそうにしてほしいな。……やましい意味も深い意味もなく、この子に楽しく生きてほしい。
持参した水筒からお茶を注いで、彼女へと渡す。
砂糖をたっぷり入れておいたその紅茶は、少し嬉しそうにしてくれるくらいの効果はあったようだ。
「ところで、雨音ちゃん。学校、楽しいかい?」
「うーん。楽しい、かな?」
「かな、なんだ」
「楽しいことも、あるけど…戸惑うことも、たくさんあって」
そりゃあそうだろう。記憶喪失だし、この子。
…忘れた方が幸せな記憶でも。それでも。記憶がないのはさぞ不便だろう。
しかし。
「それは君が若いからだよきっと。そのうち慣れる、慣れる」
軽く言って、頭を撫でようとして、やめる。うん。現実の女の子に過剰なスキンシップは控えるべきだ。事案、こわい。ダメ絶対。
しばし、学校の話を聞いている。ぽつりぽつり、戸惑うような話し方は、それこそ雨の音に似ている気がする。
ぽつりぽつりと降り注いで、乾いたどこかにじわじわしみいる。…あんまり子供らしくは、ないと思うけど。
それでも、人間らしくなかったあの時よりはマシだろう。『私を殺せば外に出れるよ』なんて。笑いながら繰り返すことができた、あの時よりは。
そんな風に話を続けていると、彼女があの、と呟く。
やっぱり持参してみた蒸しパン片手になんだい、と返せば、彼女はしばしためらって、そして、
「筑城さんは、どうして私によくしてくれるの?」
あんまり触れたくない話題について触れてきた。
真っ直ぐな目線が胸に悪い。…が。
まあ、当然の疑問だろう。
「…君にだけじゃないだろ。君のいる施設、全員によくしてるつもりだけど」
用意しておいた回答をすらすらと答える。あの日。あの雨の日。病院につれていった彼女に帰る場所などなく。…戸籍などもなく。
様々な調査の後、最寄りの孤児院へと入ることになった。
「でも、私をあそこにつれていってくれたし、色々気にかけてくれるよね」
…最寄りの。僕の顧客の子供さんが管理している孤児院へと。彼女をつれていった。
「うーん。それを言われると、深い意味からなあ…」
その理由が、下心ではないとは言えない。今後も彼女と関わっていたいからだと、そりゃ自分では認めているけど。
この子にそれを言ってもな。なんというか、色々。よろしくないと思う。
うん、よろしくはないのだから。唇は用意しておいた建前をすらすらと紡ぐ。
「君はよく覚えていないというけど。僕と君の間には、縁があるから」
この男、生贄できそうっていうつながりだったけどな! とは言わない。言えない。いう予定もない。僕が死ぬまで、ずっと。
僕は倫理道徳のしもべというわけではない。むしろたまにゆるい。見知らぬかわいそうな被害者より、彼女の平穏。…忘れたなら、そのままの方がいい。彼女は今、間違いなく人間なのは確かめた。だから、それでいい。
「僕は縁は大事にするんだ。だから君が大人になるまで見守っていたい。…そうすると、君にだけそうするのも器の狭い話だ。君の周りだって見守りたい。幸い金があるが、悲しいことに養うべき家庭はない。…ちょうどよい巡りあわせだったよ。たくさん子供ができた、みたいな、ね」
ここは嘘ではない。ほんの少しのごまかしはあるだけだ。
本当は。
金はあるが家庭はない。持つ予定も、特にない。だから、あのくらいの寄付で助かる子供がいるなら、悪い気分じゃあない。勿論、あのくらいで親面するつもりなんてないけど。
そう、親面するつもりもないし、精々『悪い気分じゃない』程度だ。特別に子供が好きというわけではない。
それでも僕がそうしたのは。この子のため。
この子の力になりたいから、この子の支援をしている。
そのことで彼女の世間体が悪くなっても困る。変な男に支援されてる謎の美少女。なんとなく、怪しい雰囲気だ。しかし、暇な金持ちが出資している孤児院にいる子供の一人。それなら、なんてこともない。クリーンだ。…この子が、今後どんな道を選んでも大丈夫だ。
…なんて。思うのは、僕にやましいところがあるからだけど。
僕は彼女に惹かれている。最初はモデルとして。今は……今は。口に出すのは、あまりよろしくない方向にも、たぶん。
口に出すだけなら罪にはならないけど。…やっぱり、なんだかな。、
…うん。そういうことだよなぁ。そういう目で見ているよ。実際にどうにかしたいとか、どうにかなりたいとかは、思っていないけど。
なんだろう、彼女に寄せるこの思いは、なんだかとても美しい。現在進行形で向かい合っているが、既に手が届かない存在だと思っているというか……『美しい思い出』だ。
「……でもそれって、大変なんじゃないですか?」
「大変といえば大変だけど。僕、金はあるからね」
おどけた風に言ってみた。
彼女は笑わずに、もの言いたげだ。
しかしまあ、真実だし。下心の部分なんて、この子にいうつもりはない。例えむなしい平行線になろうと、これを繰り返すしかない。
「…そうだね、僕の心配してくれるならさ。雨音ちゃんがもっとこう、元気に楽しく暮らしてくれると報われるかな」
「…それがあなたの望みなら、それで」
「ああ、それはダメ」
未だに出てくるその言葉に、僕はすぐさま首をふる。
「僕がどう思おうと、なにを考えていようと。君には関係ないから。そりゃ君が不幸になりたい、って言い始めた場合、文句つける権利ないかおしれないけど。…でも、悲しいから。君には幸せになってほしいっていう、ただのお願いだよ」
彼女の力になりたい理由が、下心ではないとは言えない。今後も彼女と関わっていたいからだと、そりゃ自分では認めているけど。
下心だからこそ、この子には幸せにあってほしい。
「…なんだか難しい話だね」
「いや、全然難しくないと思うよ、本当はね」
きっと、そのうち。自然に分かる話だろう。
異常な状況で、きっと一度壊れて。それでも哀れな生贄候補を逃がそうとしたりする、心強い君ならば。
そのうちきっと、自然に分かって。
…その頃には、こうしていちゃダメなんだろうな。
その頃が、早く来てほしいような。なるべくこのままでいたいような。
なんともあまずっぱい気持ちで、お茶のお代わりを勧めてみた。
このくらいなら、僕にも許される距離だろう。うん。
筑城高志は足長おじさんに憧れる。二重の意味で。
あの後適当な孤児院につれていって支援してたまに絵を描いて幸せなお付き合いを続けるんだろうなというアレ。
私を刺せば出れるの時に、内心で『え、性的な意味で?』とか出てくるほどには下心がある。けど彼女を生かそうとしたのは元々善人だから。
善人というより『人殺しやだ』ではあるけれど。それでも色々がんばった彼は今後も頑張って恋心を表には出さないというお話。そのまま彼女の父親役でバージンロードでも一緒にあるけたら感動で泣く。けど、数日後喪失感で泣く。口説く日がくるかはよくわからないし所詮探索者だから儚く死ぬ可能性があるなあ、みたいな。
とりあえず富める者の余裕で精神が異常におおらかなのでなにがあってもそこそこ幸せに生きていくんじゃないですかね、この人。
2017/06/03
目次