とろける自我のお話

 男が彼女を見つけたのは、偶然だった。
 偶然というよりは、ただの日常の風景の一部。
 勤めてる大学の学食で、たまたま。偶然見つけた。
 とうに人影がいなくなり、もうすぐ消灯を迎えるその食堂で。女はぽつりと椅子にかけている。
 風貌は、おそらく3,4年生であろう女子生徒。教科書がわきにおかれていることから、女子生徒であろう。かすかに染めた髪を眺めに伸ばして、カチューシャでまとめた女。
 女は、ぼんやりと宙を見つめている。  何もしゃべることなく、ぼんやりと。よくよく見れば、学食の入り口のあたりを見つめている。
 男は彼女のことなどなにも知らない。
 彼女が数瞬間前、恋人を事故で亡くし。ぼんやりと過ごしていることは知らない。
 ただ、もうすぐ消灯だと声をかけるべきかをほんの少しだけ迷う。彼がそうせずとも、守衛が声をかけるだろうが、なんとなしに。
 誰もいない場所を見る女は、身動き一つしない。近づいていく足音に気が付く様子もない。
 ただただ必死に、なにもない場所を見ている。
 むごく悲しい顔をして、何もない場所を見ていた。
「……そこの君」
 声をかけられた女は、ぼんやりと振り向く。
 振り向き、何の言葉も発さず。
 ぞっとするほど虚ろな目をして、黙って彼を見返していた。

 それが、彼の知る彼女の『一人目』
 あるいは、人格など残っていない、崩れに崩れた女の姿。
 彼女といくつか言葉を交わし、人通りのある場所まで連れて行ったのが、最初。

 そうして、その夜。
 真辺友紀はぼんやりと自室で膝を抱えている。
 特になにをいうこともなく、なにをするのでもなく。
 意思がないなにかのように、ぼんやりとドアのあたりを見つめている。
 そのドアが開くことを待つかのように、ぼんやりと。
 そのドアを開けて、よくそこにあった姿を望むように、じっと。

 鈍く動く脳裏には、ただただあの日の光景が繰り返される。
 道路の向こう側。僅かに手を振る、大好きな人。
 もう記憶の中にしかいない存在を、ぼんやりと思い描く。
 思い描いていれば、その後の光景もまた容易に再生される。
 鳴らないブレーキ音。誰かの怒号。真っ赤な色が。タイヤの下から。真っ赤な色は、やがて黒く、黒くこびりついて―――
 それからのことを、彼女は良く覚えていない。
 ただ、辛くて、悲しくて。それでも『彼』が慰めにきてくれないのだから、もういないのだな、と。そんなことだけを思う。
 そう、もういない。どこにもいない。待ってもいない。探してもいない。

「……忘れなきゃ」
 嗚咽でしゃがれた喉が、かすれた言葉を紡ぎだす。
「……忘れなきゃ」
 だってそうしなきゃ息が苦しい。立つことができない。なにもできない。
 今日みたいに、他人を心配させてしまう。
 ―――だって、大好きだったから。
 好きで好きで大好きで。日常の大部分が彼だった。
 彼のいない日常をどう生きていたのか、彼女には分からない。
 それでも、それではいけない。
 自分は生きて息をしているのだから、ちゃんと立って動かないと。
 ちゃんと立って、動いて、前向きにシャンとしないと。
 だって、あの人が好きだと言ってくれたのは。
 前向きで能天気な自分で、だから。
 それまで死なせるわけにはいかない。
 それまでなくすわけにはいかない。

「……いない、なら」
 代わりを作ろう。
 きっとまるで違うけれど。
 代わりを作ろう。
 あの人がいない空白に気づかないくらい、一緒にいてくれる誰か。
 好きになれる誰か。
 誰も巻き込むわけにはいかないのだから――――作ってしまおう。
 自分の中に、作ってしまえ。
 そうして、ちゃんと立って。歩いて、歩いて。その先に―――…
 ―――あの人がいなくても平気な顔の自分を作らないと。

 虚ろな目をした女は、机の上に飾られた写真たてをばたりと倒す。
「……愛してたよ」
 過去にしなきゃいけないあなた、と。続けた言葉は、涙に沈んだ。

 ―――そうして。
 彼女は目を覚ます。
 目を覚まし、ぼんやりと暗闇を見つめる。

 ―――私は願った。守ってくれる人を。一緒にいてくれる人を。
 女の目は外を見つめる。
 ―――目の前の、守ってもらうためでも、代償でもなく…ただ好きになったから求めた男を見つめる。
 ガラス越しのような光景に、彼女はぼんやりと手を伸ばす。
 手を動かしたつもりでも、どこも動かない。
 そのことを知っていても伸ばして、じっと外を見つめる。

 ―――私は決めた。
 あの人がいなくても平気な自分を作ることを。
 あの人がいなくても。違う。この先どんなに大事な人がいなくても。ただ笑っていられる自分。
 ……そんなの、無理なのに。
 大事なものがいなくなって。なんにも心が動かないなんて。そんなの、人じゃないのに。
 私の目の前に―――目の外で身体を使っているのは、きっとそんな私なのに。
 それでも、と彼女は思う。
 なにしろ多重人格でもひかないで、みんな大事にしてくれた人なわけだから。まあ、そんな人も受け入れてしまうだろう。
 ましてや目の前の自分は、事故の前の私そのもので。
 大事なことを、きっと全部忘れてしまった私で。
 ……そちらの方が、ミクリさんを幸せにしてあげれるのかな?
 私が辛くて、一度忘れてしまったあの人を忘れたくなくて、きっとたくさん引きずって泣くことになっただろうけれども。…それでも。ミクリさん好きになったのはホントだから。別に違和感もないだろう。
「……悔しいなぁ」
 自分じゃない自分にとられるのは嫌だな、と。悔しいと思えるくらいに。好きな人ができたのに。
 一人で立つと決めても、一人にならないですむって。教えてくれる人が3人もいたのに。
「……寂しいな」
 外に向かって小さくつぶやく。
 きっとその声にこたえる人はいない。
 ―――きっと。この意識も。そのうち消えていくんだろう。
「……ごめんね」
 もう誰に向けているかもよくわからない言葉は、薄い闇へと溶けていった。

 プレイ日記を書いている途中こう悪手らしい悪手はなかった気もするんだよなと思っていました。ただただ。ダイス目が。ダイス目が。ダイス目ぇ! とすごくTRPG満喫しましたね。
 どうやら想定されていないエンドにいったらしいので、こういうことなんじゃねぇのって自己解釈。きっと五人目もミクリさんはちゃんとスキなんじゃないのカナ(目をそらし)
 実は3人が消えた時達成値に+人数でもされると思っていたんですがね。うふふ。考えてみれば達成値5でダメな人に救済措置は必要ないね!と実にじわじわ来ます。これだから確率はあてにならない。もう私が信じられるのは固定値だけだ。そして戦闘に使うところを得意分野にしようと強く心に決めたよ…
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