境界にて彼女は嘯く

 とある日。
 とある解剖医の私室を訪れた刑事は、目をむいた。
 部屋が、綺麗だった。
 タバコの煙と思わしきものがしみついている以外は、綺麗な部屋。
 床にモノは置いておらず、机も綺麗にかたずけられている。
 片桐は言う。傍らの海山に向かい、はっきりと。
「先生頭でも打ったんですか!?」
「あなたの頭を打つわよ!?」
 言葉と共に飛んできたのは、彼が彼女に調査を頼んだ事件の資料だ。
 なぜか警察は早々に捜査を打ち切り、大学病院へと回されたある遺体の資料。それを片手で受け止めて、彼は神妙な顔をする。
 そのまま資料を読み進める姿を確かめて、海山は煙草に火をつける。
「座りなさいよ、とりあえず」
「ああ。そうですね」
「…しかし。あなたも物好きな人ね。仕事じゃないでしょ」
「仕事じゃなくとも、真実がもみけされるのを黙って見ているのはできませんよ」
「いつもやる気ないクセ、律儀よね。また左遷されるわよ。次はやっぱり網走かしら」
「勝手なこと言わないでください! 俺がエリート街道から落ちたのはそういうのじゃないですし!」
 叫んだ彼は、それでも資料をめくる手をとめない。
 真剣なその様子を見ながら彼女は呟く。吸い込んだ紫煙を彼とは違う方向へと吐き出して、ぽつり、と。
「…掃除はね」
「え?」
「…たまにはしようと思ったの。
 人間いつ何があるか分からないし。あの部屋のままどこにもいけないし、ましてや死ねないなと思っただけ」
「先生それは…」
 資料をめくる手がとまる。厳しい顔をする顔を見せる片桐に、海山は静かに笑う。
「物の例えよ。冗談よ。…なに、私に死ぬ気があるとでも思ったの?」
「いや、思わないですけどね?」
「あなたがあまりに人が掃除しただけのことに騒ぐから。驚かしてやろうと思ったの」
「いやだって! ひどかったでしょう先生の部屋!」
 至極まっとうな訴えに、片づけられない女はすいと視線をそらす。
 わざとらしくそらされた視線に、正義感の強い刑事は追求のための言葉を紡ぎかけ―――…はあ、とため息に変えた。それよりも資料を読むことを優先しようとし、しかし。
「…黒井一馬と白川百合」
 口にされた言葉に、彼の表情は再び険しいものに変わる。
 彼女の表情は分からない。ふわりと漂う紫煙が邪魔をする。
「片桐君、あなた。二人、探したりしてる?」
「……色々ともみ消されてしまいましたから、どうにも。黒井はあのままにしちゃ浮かばれませんがね」
「そう。……追うのは、やめときなさいよ。あなたは正気なんだから」
「なんですか、その言い方」
「別に。思ったことを言ってるだけ」
「……先生。先生は、あの時」
「ついていきたかったわ」
「は?」
「黒井が、アレがマトモなものじゃないと分かっても。
 私はもうずいぶんと正気が揺らいでしまったから。…正気のつもりだけど、知らなくていいことを随分知ってしまったから、思ったの。
 あの子にいったことなんて夢みたいな綺麗事。
 死人はね、瞼の裏にも心の中にもいない。でも、アレについていけば、姉にもう一度会える。姉さんに会える。…私だって会いたい。会えるものなら、あの人がなんであっても構わない」
「なにを……馬鹿なこと言ってるんですか。ダメですよ、そんなのは。命が取り戻せるとしても…それはだめです」
「そう。馬鹿なことで、ダメなことよ」
 煙草をもみ消し、彼女は笑う。
 強い眼差しを見返して、おだやかに。
「私は馬鹿にはなれないわ。だからこんなの、全部冗談。
 でもね、もしあなたがあの二人の手がかりみつけられたら、教えてよ。あなたが追わない方がいいとは思ってるけど、もし見つけられたなら私も気になるから。
 気になるというより、あの子もあの男もぶん殴りたいから、ね」
「……本当ですね?」
「信用ないわね」
 憮然とした表情で、海山は二本目の煙草に火をつけ、目をそらす。
 その視線を追った片桐は―――ふと眉を顰める。
「……ところで先生」
「なに?」
「先生の後ろのクローゼット、なんか歪んでません?」
「……片桐君は一度北極あたりに飛ばされなさいよ」
「ないですし嫌ですよ! なんで俺をそこまで飛ばしたがりますかね!?」
 律儀につっこむ青年に、姉を亡くした女は笑う。
 穏やかに、静かに。
 少し虚ろな眼差しを、煙の奥に隠して。

 先生しっかりしてください的なロールにのっかるの楽しかったです。ついついダメ人間になってしまい申し訳ない。片桐さんかっこよかったです。  後日談SSとか感想でもいったけど、最後のアレPL思考で止めたけど。ちょっと乗りたくもあったので。こちらでそれっぽいことを言ってみた。
 いやあたのしかった。改めて色々ありがとうございました。

お人よしの刑事とガサツな解剖医の始めましてのお話

「調査を続けて下さい」
「…は?」
 打ち切られたはずの事件の資料を持って、目の前の刑事は馬鹿みたいに真剣な目をしている。
 寒い夜だ。研究室の前で待っているのはさぞや辛かったろうに、まったく気にした様子もなく、彼は訴え続ける。
 馬鹿みたいな熱意をもって、捜査を続けてほしいと。
「…あなた。馬鹿じゃない? 惜しくないの、わが身とか。色々と」
「…後悔したくないだけです」
 意識して冷たく言ってみた。けれど答えは変らなかった。
 …馬鹿みたい、じゃなくて。馬鹿なんだろう、彼は。
 勿論、私がその馬鹿に付き合う道理はない。
 道理はないけれど。
 …まあ、私は馬鹿の方が好きだ。日和見主義のお偉いさんのよりは。
「………続けるもくそも、答え、出てるのよね」
 自殺に見せかけられた他殺体、なんて。チンケなトリックみせられて、私だって気分が悪い。
 さあ。この子をけしかけて。
 私も後悔しないですむように、動きましょうか。

 いざという時にスケープゴートにする予定の刑事は、とてもうれしそうに「ありがとうございます」なんて言ってきた。

 …それが、あの刑事とあれこれしはじめた『始まり』だった。

 あれから、数度。同じことがあり。
 あれから、彼にも色々あったようだけれど、特に変わった風はない。

 お互い、なにかがあったからといって変わるタチじゃ、ない。
 おかしな出来事に巻き込まれても、変わるようなタチではなかった。

 そう、別に。私は、変わってなんていない。
 片桐君に会って、しばらくたった頃、姉が死んだけれど。
 姉が死んで、しばらくたったころから。おかしなことにまきこまれるようになったけれど。
 おかしなことに関わって。見える世界はとても変わり果てて、それでも私自身は変らなかった。
 変われなかった。
 姉のために愚かになることは、できなかった。

 一度、愚かに。すべてを捨ててしまおうかと思ったその時、片桐進ノ介はそこにいた。

 別に、彼がそこにいたから踏みとどまったわけじゃない。
 それでも。
 それでも―――

『ダメなんだ。それは、ダメなんだ』

 他人のために顔をしかめる彼は、やっぱり愚かだと思った。
 愚かで、……私が会いたくてたまらないあの人と、同じ種類の人間なんだろう、と。

 他人のためにいらんことに首をつっこんで、苦労して。
 そんな馬鹿みたいな人なんだろう。

「……だから、ダメよ」

 だからあなたは、絶対に。
 巻き込まないわよ。馬鹿な子ね。

不手際申し訳ないけど楽しかったです憑依症候群。

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