物心ついたときには、レールが引かれていた。
生きるためのレール。山門家のため、医者になるというレール。
自分はそのレールをうまく歩いてきたと思う。そこそこ優秀な部類だったであろう。
―――そして同時に。
自分じゃなくても。これだけレールを敷いてもらえば。誰だってそのくらいできた。
自分は環境に恵まれていただけで、ただの凡才だ。
けれど、凡才なことに気づく程度には、お利巧で。
だから自分は、俺は。
物心ついた頃から、ずっとすべてを諦めていた。
たった一つ。たからものみたいな。
綺麗なあの人を見つけるまでは。
俺は、そういう。なにもない生き物だった。
◇◇◇
俺の好きな人は、割といつも笑っていた。
楚々として美しく控えめで。たおやかな動作もまた、美しく。だから見ていると心が落ち着いて。胸をかきむしりたくなるように苦しくて。
―――同時に。
いつも、なにか。違和感を感じていた気もする。
今ならわかる。
死にゆく今だからわかる。
今にならなければ分からなかった。
俺の愛する人は俺の前では笑っていた。
楚々として美しく、控えめで―――何かを秘めるかのような、微笑で。
ああ、なにかを秘めていたと、もっと早くに気づけていたら。俺でも貴女を幸せにできただろうか。
おもいかけて、無理だと分かる。
目の前には、笑っていない愛しい人。
―――ナイフを俺に向けてくる、愛しい人。
そんな貴女を見て、俺が思ったことといったら、しょうもない。
「あなたの所為でこうなったのよ」
最低で、どうしよもなくて。貴女にふさわしくない。
嬉しい、なんて。良かった、なんて。
身体に食い込むナイフの感覚に、そんなことを思う俺など、貴女は愛さなくて正解だ。
「わたくしをこのような目に合わせて置いて、無事に帰れるとでも思っていて?
確かに、わたくしはあなたを愛していましたわ?
あなたのせいで、わたくしがこのような境遇にあると知るまでは」
俺は。どんな形であれ、自分が貴女の心にいたということを喜ぶ、どうしよもない生き物だから。
貴女が苦しんでいたのに、そんなことを思ってしまう。最低な男だから。
「あなたがいるから、わたくしは正当な評価が得られない。
あなたがいるから、わたくしはあなたと比較される。
あなたがいるから、わたくしは理不尽な暴力を揮われる。
あなたがいるから、わたくしの心は潰えてしまった。
あなたがいるから、あなたが、あなたの、せいでね!!!!」
だから聡明な貴女は、きっと俺を嗤うだろう。
否。違う。
きっとあなたは、もう俺には笑ってくれないだろうけれど。
刺されたナイフをつかんで、自分から引き入れる。
貴女の笑顔がもう見れなくとも、せめて貴女の手伝いを。
憎い俺がいなくなったら、俺でも少しは。貴女を。貴女に。残れるのかな。
ぼんやりと遠のく意識でも、自分が笑って分かる。
最後に触れることができる彼女の手の平に、自然と口の端が上がった。
◇◇◇
―――自分は、俺は凡才だった。
そして同時に、愛した人は天才だった。
そんなことが分かる程度には、学があった。
彼女を見ると頭がのぼせ上がるけれど。その辺りは、冷静だった。
聡明で、美しくて、宝石みたいな人。
……だから。
ずっと怯えていた。
この人が俺を愛しているなど間違いだと。
共に手を取り、外に出ていったとしたら。
きっと俺はしょうもなくて、けれどこの人は聡明で。
だから、きっと。捨てられてしまうと。この人はもっと価値がある人を見つけると。
俺はそう怯えてた。
けれど外に行かなければ。
彼女を手に入れる方法などない。
俺に残された時間もない。
そわそわとやたらと年頃の娘のいる家に訪ねる両親を見ていた。
拒否権などあるわけがないことを、俺は知ってる。
だから、ずっと狂ってた。
ああ、このまま時間が止まればいい。
この人が―――俺と一緒に、死んでしまえばいい。
彼女の目が覚める前に。俺の時間が無くなる前に。
目の前の美しい人を殺してしまいたかった。
けれど同じくらい、この人を殺したくなかった。
彼女が死ぬのは嫌だった。
だから、何も決めぬまま。
ただ迫る刻限に怯えて。
そんな日々の中、彼女が言った。
岬へと誘った。
共に死のうと、そんな俺の夢みたいなことを、彼女が。
だから、タガが外れた。
望んでくれるなら、とそんな風に。もう歯止めが聞かなかった。
それでも、どこかで思った。悲しかった。
雫さんですら、それしか浮かばないのだろうか。
この人ですら―――そんな道しか、浮かばないとしたら。死んでもいいなんて、思っているのなら。
悲しくて、だから隠し事があるなら知りたくて。
だから、だから、だから……
―――俺を殺して、貴女が生きるならその方がいい。
意識が遠のく。けれど、視界は戻る。過去から今へ巡りに巡って。去っていく彼女の背中へと戻っていく。
その背中が、やっぱり美しいと思う。
これ以上美しいものなど、どこにもない。
この世にも、きっとこれからいくところにもない。
―――ああ。
あなたが、おれを、愛していなくとも
おれは、あなたをあいしてるよ、雫。
最後の言葉が、声になったかは分からない。
彼女に届いているかなど、もっと分からない。
それでもいいと、最後に笑えた。
おりこうさんでおバカなわんわん。山門貴久はそんな人。ちなみに彼はいいました「せめて、後味の悪い思い出でいいから。あなたが思いだしてくれたらいいな」要はあまり狡猾ではないが割とヤンデレ。
雫さんは知的姉さんロールがすばらしかったなあ。技能官能だったけど。技能、官能だったけど! と懐かしく思い返しながら録音聞いてた。
これをもうちょっと綺麗なるように見直して、前半部分追記して正式に小説起こしたいです。性癖だったから!
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