仕事…倉庫の方から帰ってくると、ポストに白い封筒があった。
それはいい。
けれど、糊付けがない。消印もない。差出人の名前もない。中にはなにかが入ってる。
<<家に、ある封筒が届いていることがある。縦長の、真っ白な封筒だ。 中には同じくらい真っ白な便箋が入っている。 その便箋に自分の願い事を書くと、叶うらしい>>
どこかで聞いた都市伝説を思い出す。……それを元ネタにしたいたずらかな。さわった感じ、カミソリとか、危ないものじゃないし。
もし誰かの手紙だったら大変だから見ておこう。いたずらなら捨てておこう。あの子が帰ってきてから危ないものだったら、困るから。
そう、すぐに見て、捨てるつもりだったのだけど。
リビングで封筒をのぞき込むと、懐かしい香りをかいだ気がして、ほんの少しふらついた。
そうして……座布団の上に座っていた。
その和室エアコンに出入り口はない。ただ大きな庭があって、夕暮れの庭が見えた。…きれい。………じゃなくて。
「……夢、かなぁ?」
……どこからだろう。
気にはなるけれど、気にしても仕方ない気がする。
そうして、ふと机の上を見る。
封筒と、長い便箋があった。万年筆も。
……遺書だ。
これは、遺書を書くための道具だ。
だって。思い出すだけで怖いようなことがたくさんあったから。これを書かないと。
思い出すだけで背筋が寒くて―――今日はあまり、鮮明に思い出さなかった。
夢なのにな。…悪夢ではないということだろうか。
ああ。でも。遺書。そうか。遺書。
…それを、書いたことが、あったような。
…いや、違うか。
「……財産の整理は割としたけどねえ……」
遺言状は作った。
あの子を引き取ると決めたときに作った。
この先私がどう生きようが…それこそどんな死に方をしようが、残せるものがあるなら。すべてあの子に、と。
……本来戸籍なんてない人間に、どうやってそんなことができたのか。………聞かない方が、安らかだろうから。ただ感謝をしておく。
三鷹さんにはお世話になったなぁ。散々意味不明な敵愾心を抱いていた人間に、律儀なことだ。そういうところがいいのだろうか。正直今も黒くて電柱みたいで理屈くさいとしか印象が…、……。…いや、だから。感謝しているんだってば。
ともかく、遺言状は作った。
遺書は作ってない。なんの拘束力もない、気持ちを伝えるだけのものは、そういえば。
万年筆を手にとる。
きれいな庭の明かりが、ぼんやりと部屋を照らしていた。
ふと外を見ると、桜が咲いていた。便箋の上に、ひらり。きれいな花びらが落ちてくる。
<<自分の人生を振り返り、思うこと>>
それを言葉にしなければいけない気がした。
私の人生を振り返る―――と、大半の記憶に彼女がいる。
そう、桜もそうだ。
ここの桜もキレイだけど、そういえば小学校のもキレイだった。押し花にしようと集めたけど、確か、薄すぎてうまくいかなかった。バラバラになってしまった。やり方がうまくなかっただけかもしれないけど。
…ああ、でも。その時ともちゃんが描いた絵はキレイだったなぁ。確かくれたから、押し花ではなくそちらを栞にしたんだった。見せたら照れられたので、結局使わないでともちゃんに返したんだった。
……結局何年一緒にいるんだっけ。曖昧だなあ。よく覚えていない。ただ当たり前のようにいたから。
さみしいことも、悲しいことも。……おかしなことに関わる前から、たくさんあったけど。
彼女がいるから、さみしくなかった。
つらくても、彼女がいればどうでもよかった。
篠塚巴がいればそれでよかったし…今も、三鷹巴がいればそれでいい。
ならば、そのことを残しておこうか。
…この先どんなことがあっても、……どんな終わりがあっても。
あなたとあえて、一緒にいれて。…あなたが幸せであってくれれば、それで満たされる、と。
伝えたいことも、これまでのこともたくさん浮かんだ。うまく言葉にできた自信はないけど、びっくりするくらい鮮明に浮かんだ。
「…このくらいかな」
書き終えた文章を見ながら、ぽつりとつぶやく。
……ああ、でも。これを受け取った時、ともちゃんと疎遠になってたら、ともちゃん、後悔するかなぁ、傍にいれなかった、って。
………。……距離が疎遠になったとしても、気持ちは近くにいるだろう。
………離れようとして、できなかったし。少なくとも、私は。
ああ、次は…次は、何を書こうか。まだたくさん、余ってる。
<<生きていて良かったと思える幸福な出来事>>
そんな声が、した気がした。
外からセミの声が聞こえた。見えもしない風鈴の音も。
それを聞いていると、自然と思い出す。この夏は風鈴を買った。「あれはなんですか」と聞かれたから、どの柄がいいかな、とずいぶんと悩んで。
……生きていてよかったと思えた出来事、と思い出し。思い出せるのは二つだ。
小さな女の子がいた。死んでしまうしかなかったはずの子が。
その子が生きてくれたこと。
…ああ、でも。それは。……それは……、……悲しい記憶と隣合わせで。もう、その子を助けたあの人はいないから。
もう一つ、思い出せる―――…そばにある幸福は、一つ。
小さな男の子がいた。死んでしまうしかなかった…死んだほうが、……つらい思いをしなかったかもしれない子。
行かないでとすがった、小さな命。
優しい心と、強い、強すぎる体を持った子。
……ああ、生きてくれてよかった、と無邪気に無事を喜ぶには、少し…少し、色々と、みすぎた。
それでも、幸せだ。
この夢から覚めたら、迎えにいくあの子が。今日も生きていて。
言葉にできないくらいに、幸せだ。
だから残そう、あの子に。…君が生きてくれて、よかった、と。
さらさらと、あの時のうれしさと、伝えたい内容はさらさらと浮かんだ。
「…これでいいか」
これを受け取った時、あの子はどんな風になっているだろう。
…これを受け取った時、誰かと一緒にいると、よいのだけれど。
誰かと一緒にいるのだけが幸せじゃないけれど。…人より苦労はあるだろうから、助けてくれる誰かと一緒なら、いいなあ。
ふいに、わずかに便箋が赤くなる。外がさらに赤くなったように。
外をみると、紅葉の海。落ち葉の落ちる音。
……赤。
広がる赤と、踊るようにはねる髪の毛と。赤く、赤く。どこまでも赤く。どこにいっても、赤いままの記憶。……紅葉ならどれだけよかったか。
<<どれだけ重ねても終わらぬ後悔>>
ああ、遺書ならば残さないと。そう、思った。
思い出すだけで背筋が冷たい―――けれど今日はどうやら、泣くこともなく鮮明に思い出すあの記憶を。
その記憶は、赤い。
赤い、赤い記憶がある。
紅葉よりも赤い。次第に黒い。赤い、記憶が。
後悔だというのなら、あれだろう。たくさんあるけれど―――…今も苦いのは、あれだ。
はっきりと思い出しても、今日は体が震えなかった。吐き気もしない。
それでも、深い後悔が。
赤く、赤く。アスファルトに、赤が。赤く、赤く、窓ガラスにも散って。
それを望んだのは、私だった。
ほかに手段が浮かばないとあきらめたのは私。
嫌なら、選べばよかっただけだ。「ここで死ぬのと、俺に殺されるのと選べ」と。その言葉通りに。
死ぬのが嫌だった。自分が死ぬのも、あの時一緒にいた人達が死ぬのも。
あの操られたままの人たちだって、死にたくはなかっただろう。…あの人達の大事な人は、きっと真実を知れば私を恨むだろう。
幸せになっては、いけないと思う。
それでなにが変わるわけでもないけれど。何をしても償えないけれど。それでも、きっと。自分は幸せに値しない。
「…それでもずいぶん、幸せになってしまった」
助けてくれた人のことだって見捨てたのに。散々八つ当たりをして、ひどいことをいって。振り返りもしなかったのに。あの人を助けに行ったのは兆夜さんで。…つまり最後を見たのは、つらい思いをしたのは、兆夜さんで。私は、なにもしないのに。助かってしまった。なにもできなかったのに、なぜか生きている。
「……忘れてないのになぁ」
それでもずいぶん、幸せになってしまった。
そのことを、この後悔を、誰に残そうか。
…ともちゃんは嫌だな。
電話つないでたし、なにがあったか、大体わかっているだろうけど。…きっと許してくれるから、嫌だなぁ。
ああ、そうだ。許すか許さないかはわからないけれど、どうせなら三鷹さんに謝ろうか。
あなたを見ているとあの時のことを思い出すから、とてもつらいけれど。あなたのことは大事な…、…間接的ではありますが、大事な人だと思っています、と。
……本人には、謝れたしな。一応。
…………兆夜さんにも、謝りたかったな。
一人で行かせてごめんなさい、って。…あの人生きてましたよ、よかったよね、って。
「……教えたかったなぁ……」
ああ、本当に。後悔は山のようにある。
目に入る、窓の外は赤いまま。
赤い、赤い。赤い色が……一生忘れられぬまま、つきまとう。
なにをなしても、なさずとも。
どうして死ぬのは彼女だったのだろうか。
人を殺めたのは、あの人と私だったというのに。
「…このあたりで、いいか」
どうして、なんて。…そんなことを聞かれても、三鷹さんも困るだろう。
死に際くらいはあの人に礼儀を尽くしたいものだ。本当に感謝しているし。
あなたの口は飾り物かと思うし。かと思うとぺらぺらしゃべるなのろけは。と思うし。いや、本当。色々な、色々なTOPを…オブラートを、もう、色々と要求したいけれども。
…それでも、あのコミュ症…ではなく…石仮面…でもなく…電柱……、木炭……、………三鷹さんが三鷹さんだからいいところもあるんだろう。たぶん。おそらく。きっと。うん。
気分を変えるために、改めて窓の外を見る。
案の定、雪が降り始めていた。
ああ。そういえば、風がやけに冷たい。
<<自分が死んだ後に願う、誰か、なにかに向けての願い事>>
それを残さなければと、自然に思った。
筆を進めるために、なんとなく疲れる。少し、だるくなってきた。
死ぬときも、こんな感じかな。
…こんな穏やかに、死ねるかな。
………もっと苦しんで死ななきゃ、いけないんじゃないかな。
でもそうしたら、ともちゃんが悲しむんだろうな。
嫌だなぁ。すごく嫌だ。痛いのも苦しいのも嫌だけど、彼女が泣いてるのが一番に嫌だった。ともちゃんと、ルカさんと。変な島に行って死にかけたあの時、彼女が泣いていたのが一番堪えた。
ともちゃんじゃなくても、嫌だなあ。
私が理由でも、理由じゃなくても嫌だ。
大事な人が悲しんだり、つらい思いをするのは、いや、だなぁ……
「…私が死んだあと」
悲しむのはいいけれど、それをずっとにはしないでほしい。
泣いてしまうのはいいけれど、そのあとに。思い出にして、笑ってくれるといい。
素直に、そう書いた。
……ああ、自分はきっと、苦しんで死ぬべきだ。痛い思いをさせた人達に申し訳ないから。
けれど、ごめんなさい。
私はやっぱり、とても身勝手で。痛いのも苦しいのも嫌だし、はたからみてひどい死に方は…なるべくなら、避けないと。
それを理由にすべてをあきらめることはできないけれど。きっとまた、危ないことに首をつっこんでしまうこともあるけれど。
なるべく、彼女が泣かないですむ死に方を、したい。
一度、心がすっきりとした気がして筆をおいた。
ころりと転がる万年筆を、ぼんやりと見つめた。
そうして書き終えて、気づく。
そうか、これ、一枚だから。だれに託すか決めないと。
ここにある封筒だって一枚きり。
…託せるのは、一人。
……ともちゃんは、嫌だなぁ。きっと泣かせてしまう。…泣かせてしまう気がするから、傍に誰かにいてほしい。
あの子は…、…順当ではある。なにしろ年がだいぶ下で…ああ、でも。なんだろうなぁ。
私が死ぬ時には、傍にいないといいな、と。少しだけ思ってしまう。母親にはなれないが、母親のようなものだ。いつまでもその傍にいるのはどうなんだろう。でも死に際に家族を頼るのは、いいのかな。
…家族。ならば、三鷹巴の家族。
三鷹さんも…順当ではある。私がどういう死に方をしても、あの人がともちゃんのそばにいるといいなぁ、と願っているという意味で。
でも、なんだろう。色々失礼を働いたのを反省したばかりだ。これ以上迷惑をかけるのは、なんだかなぁ。
今更紙切れ一枚くらい迷惑じゃないだろうけれども……。…ああ。そうだ。
紙切れ一枚くらい快く届けてくれそうという意味ならば、ルカさんだろう。
幸せにいてほしい人だという意味でも、適任な気がする。
………。
……ああ、でも、やっぱり、嫌だな。あの人には嫌だ。
ルカさんのことも…実はよくわからない。なにができるのかわからない。あの人に気を遣わせてしまう理由が、きっと正しくわかっていない。
でも、一個だけ。あの人にできることが、確実に一つだけ。
あの人よりは先に死んではいけない気がする。
たくさんかばわせてしまった。…つらいことを、させてしまった。……窮屈な、不自由なことも、たぶん、させた。
そうまでして、傷つくなと願われた。生きてほしいと願われた。そんな人に遺書を託すのは、罪悪感がひどい。
「……困ったな」
その日まで家においておくのが一番な気がする。
それで気づいた人に一番に読んでもらうのが、一番な気がするんだけど…なんだろう。
「……困ったな」
繰り返して、ふと思い出す。
『困ったことがあったらいつでも俺を呼べ』
手紙を眺める。
家にしまっておいて、誰かに見つけてもらうのを待つのが一番であろう、遺書だ。
…けれどどうやら、自分はこれを誰かに託したい。
人生を、幸せを、後悔を、願いを。…愛した人たちに届くように。
これは大事なものだ。
だから、いま、とても困っている。
「…困ったら、味方になってくれるんでしたっけ」
幸せな記憶、と言われて浮かぶのは二つ。小さな女の子が陽菜さんに…今は亡くなった探偵に抱えられていたあの日の記憶。小さな少年の手をつないで歩ける日々のはじまり。
なら、今思い出すこれはなんだろうか。目の奥が熱くて、泣いてしまいたくて。…ほっとする。
私は幸福になってはいけないのに。
ほっとしてしまう。
そうだ、幸せになってはいけないと思ったから。
だから……だから、ともちゃんのそばにいちゃいけないと、そう思って。
…いろんなところに行って。
見るものすべてが、……忍ちゃんにかぶることに、気づいて。
ああ、かぶる、じゃない。かぶせた。かぶせて、たぶん。呪った。
ああ、今回は大丈夫だった。…なのにどうして彼女には幸福がなかったのかと。
ああ、今回も人が死んだ。…どうして彼女も死ななければいけなかったのかと。
こじつけのように、忍ちゃんの面影を探していることに。本当はずっと、気づいてて。
気づかないことにしていた頃の記憶。
だからずっと痛くて。…痛くて。……痛かったのはつらかったのは、忍ちゃんなのに、痛くて。
その頃に、会った。…そういえば、助けてくれようとしたのか、彼は。最初から。…見ず知らずの人間を。
そんな探偵が勝手に納得して、一人で危ないことをしにいく背中に覚えたのは、絶望と。…今思うと、羨望だ。
自分には選べない道を行く彼への、泣いてしまうほどに強い感情。
「……知ってるかなぁ」
あなたが帰ってきてくれたあの時、本当にうれしかった。
縁もかすりもない、数時間行動しただけの人間がどうしてそう思うのか。きっと通じはしないけれど。
本当に、うれしかった。
「…救われたんです」
あなたは生きててくれて。
生きててくれて、話を聞いてくれて。
あの後おかしなところに巻き込まれたとき……言ってくれて。
人はやり直せると、言ってくれて。
人はやり直せると、…自分を殺しかけた相手にそんなことを言おうとしたあなたが。今、生きていることに。この上なく救われた。
あなたはきっと、言ってくれただろうなあ、と。
やり直せるって。あの時。きっと、言ってくれたんだろうなあ、と。
それを聞くのがどうして私なのか。…白鳥まひるでも、望月照子でもなく、私なのか、と。やっぱり悲しくは、あったけれど。
「…それでも、救われたんです」
だから、大事なものを託すなら彼がいい。
便箋の空いた個所に、それぞれ宛名を書く。
最初の数行と最後の数行に、冬樹さんへの礼を書く。
あなたはあの日、自分を死神だといったけれど。それを冗談だといったけれど。
本当に…本当に似合わないから、笑えもしない。
あんな人ただの、冗談が下手で。自分も変なことに首突っ込むのに、お説教する。…理由がどうあろうと、ほとんど見ず知らずの人間のために、命をかけてしまうようなバカな人だ。
本当に、バカな…………。……自分のできることを必死にする、人だから。
あなたに幸いがありますように。
あなたが、生きて。報われると。…どうしよもないほどに救われる気持ちになる人間がいると、終わりまで伝えられますように。
あなたに少しは、なにか。自分でも何かを返せますように。
順々に書いた遺書の冒頭に宛名を書いて、追記を終える。
願いと祈りをこめて、今度こそペンを置いた。
そうして遺書を書き終えた。書き終えたけど…
…でも、これ、夢じゃないのかな。いや、今話題の都市伝説?
どっちだろうな。
…夢から覚めても、覚えていれるといいのだけど。
これは、たぶん。必要なことだから。
空白を埋めてしまい読みやすさに欠けるが仕方ない。
むしろ入ったのが不思議だ。…やっぱり夢なのかな。
なんにせよ、どうしても必要な追記だったから、仕方ない。
冬樹 鉄様
さて、この遺書ですが、
あなた宛てではないものが多数含まれますが、どうかあなたから伝えてほしいと思います。
コピーを取るなり、口頭なり。伝え方はすべてお任せします。
三鷹 巴様へ
自分の人生を振り返るに、ずいぶんとあなたに世話をかけてきたような気がします。
楽しいことがたくさんあって、あなたと一緒にいれてうれしくて。
あなたの作るものを見るのが好きで、あなたが悲しいのが嫌で。
本当に色々あったけれど、一つ後悔があります。
あなたはきっと、私がいなければ。もっと自分のために怒れたし、心配できる人なんでしょう。
もっと、自分のために生きれたんでしょう。
私が怒らなければいけないところで、代わりに怒ってくれました。
悲しまなきゃいけないときに、代わりに怒ってくれていました。
あなたは私が優しいというけれど、
私は好きな相手にしか優しくできないようですし、もし優しいとしたら、それはあなたのおかげでしょう。
そのことが、とても嬉しい。とても幸せです。
けれど、これを受け取るときに、今ほどあなたに迷惑をかけていないといいのですが。
もう十分にもらったから、あなたがあなたのために人生を生きているといいのですが。
でも、気持ちというのはうまくいかないから。
好きにやっていることだと、最後まで言い合っているんでしょうか。あなたも、私も。
それはそれで幸せかもしれないし、やっぱり少し、申し訳ない気がします。
笑ってしまうような気もしますけどね。
なんにせよ、変わらぬ事実が一つだけ。
あなたに会い、これを書くまでの20年近く。ずっと、あなたのおかげで幸せでした。
これがどのような形で届くにせよ、あなたの幸せを願っています。
もしも今、悲しくても、泣いても、きっとあなたを支えてくれる人がいると、そう信じてもいます。
どうか、あなたがこれからも笑って過ごしていますように。
多加良 和真様へ
幸せな時を思い出すと、あなたと出会った数日を思い出しました。
あなたが生きてくれたあの日が、おそらく人生最良の日です。
もちろん、これを受け取る頃、あなたが今以上に幸せでいてくれたら。
多くと知り合い、多くはなくとも。大切なモノができていたら。
それもまた幸福です。最良はいくら多くてもよいものです。
けれどたまに、怖くはなるのです。
私も、ルカさんも、ともちゃんも。あなたの求めた存在にはなれません。
人に代わりはいません。
だから、あなたがこの先幸せになっても、あの日のことが悲しいままなのかもしれないと、
それがとても怖い日があります。
あの日あなたを救ったことが、果たしてあなたのためになったのか。
これを読んでいるあなたが、幸せなのか。
本当は、とても怖かった。
けれど、今、あなたが笑うたびに幸せになります。
新しいものに目をキラキラさせるたび、幸せになります。
困っている時も、そうしてなやむ姿が尊いと思っています。
あなたが生きているというだけで、幸せになる人間がここに一人、います。
死ぬ一瞬前であろうと、きっと。あなたがどこかで生きていれば、これ以上なく安らかです。
生きているのはきっと楽しいことだけじゃありません。
人間は別に、さほどよいものではありません。
けれど、あなたに自分の道を歩いてほしい。
歩いていれば、きっとあなたは見つけられると信じています。
あなたにしかない幸いをいつか見つけられる強さを持っていると信じています。
あるいは、一緒に見つけてくれる誰かに会えると、信じています。
あなたの人生に、あなただけの幸福がありますように。
遠く離れた今も、祈り続けています。
三鷹 棗様へ
あなたに謝らねばならないことがあります。
この手紙が届くころには、きちんと謝れていれば一番なのですが。
本当に申し訳ないと思っていることがあります。
出会った頃あなたにずいぶんと言いがかりをつけたし、今思い出しても人が死んでいるあの状況でプロポーズはどうかと思います。
確かに軽いとなじった覚えはありますが、重くなればよいというものではありません。
思いますが、それはあなたと彼女の問題であり、私が憤ることではありません。
それに、あれ以外にも。多くの申し訳ないことがあります。
あなた自身にはさほど言いませんでしたが、私はあなたが大嫌いでした。
あなたに何の落ち度もない理由で、嫌いでした。
あなたを見ていると、初めて会った日のことを思い出すのです。
朱雀野蓮と連絡がつかなくなったと、あなたが告げた時のことを思い出します。
あの人があの時のことをどう思っているのか、正直なところわかりません。おそらく一生わかりません。
けれど私は後悔しました。
あの人を止めずに、多くを見殺しにしたことも。
形はどうであれ命を救ってくれたあの人に八つ当たりをしたことも。
あの人を危険な場所に置き去りにしたことも。
あの人が生きていても、後悔しています。
あの時のことを思い出すとつらくて、息苦しくなります。
だから、私があなたを嫌った理由に、あなたの落ち度はありません。
八つ当たりを繰り返したことを、ここに謝罪します。
もしかしたらこのお手紙が届くようなときも、私はあなたにちっとも優しくできないかもしれないのですが。
その分は、いつかあなたの子供さんには優しくできるといいな、と思いますし。
なにかしらの形であなたの幸いを祈れていれば良いのですが。
あなたが幸せだと、きっと彼女が幸せですので。
いえ、それがなくとも。知人が幸せだとうれしいです。
あなたが笑って、幸せに生きていればよい、と。
そのように、お祈り申し上げます。
ここからは、誰に向けたというわけではありません。
知り合い、私の死を悼んでくれるならば、その方々すべてに願うことで。
少なくとも親友と養い子に届けば十分でもあります。
これを書いている最中、死んだ後のことを考えました。
私が死んだら、その死がどんな種類であれ、思い出にしてもらえたらと思います。
泣かせてしまったら、ごめんなさい。
怒らせてしまったら、ごめんなさい。
悲しい思いをさせてしまったら、ごめんなさい。
なるべくなら、そういう気持ちにならないように死にたいと思ってはいますが、
もしもそれよりも大事にしたいことがあれば、約束はできません。
私がもしも、おかしな死に方をしたら。それは命より大事なものがあったから仕方ないと、
諦めてくれたらうれしいです。
事故や病気なら、それは天命でしょう。誰にもどうしよもなかったことなのだと、きっと納得しています。
どんな死に方をしたとしても、私は幸せです。
幸せを祈りたい人がたくさんいる人生で、とても幸せです。
だからどうか、泣いたり、怒ったり、悲しんだりした後に、笑っていますように。
大事な人達が、幸福でありますように。
死んでも、生きても、願いはそれにつきます。
冬樹鉄様
繰り返しになりますが、こんなことを頼んでごめんなさい。
普通は家族かと思いますが、どうにも。見られたくないもので。
これを受け取ってもらえる時、どういう状況なんでしょうか。
そもそもこれは残るのでしょうか。
またもおかしなところにいるから、困っているんですが。
まったく危険がなく、ただ遺書を書かねばとだけ思うので、無害な夢かもしれません。
けど、書き終わった後、心底困りました。
誰に託せばいいのか、わからなかったので。
家に置いておこうと思ったのですが、それはなんとなく不安だと思いました。
現在小さな子がいるので、うっかり開けてしまうかもしれませんし。
頼りになる友人に預けることも考えましたが、私、その人よりはどうしても長く生きたいんです。
ルカさんというのですが、あの人。友人を亡くすの、きっととても嫌なようなので。
これとは別に遺言状があるので、それと同じく公共機関に預かってもらうことを考えたのですが、
本当に、困ってしまって。
困ったら呼べと言ってくれたので、頼ることにしました。
もっと単純に、大事なものを預けるなら、あなたが良いなと思いました。
あなたがこれを受け取るとき、私はどんな人生を歩んだ後でしょうか。
あなたに怒られたり、あきれられたり、心配しがいのないバカだなあと思われるようなことはしていないといいのですが。
私はきちんとあなたを、あるいは他の誰かを頼れたでしょうか。あなたがくれた言葉に報えたでしょうか。
私はあなたが帰ってきてくれたあの時、救われた気持ちになりました。
二度目、おかしな場所に迷い込んだ時も、救われた気持ちになったんです。
人はやり直せる、と。言いたかった時がありました。
でも、言えなかったんです。
きっと信じていないから、言えなかったんです。
だから、あなたがあの時それを言って。どれだけ救われた気持ちになったか、うまく伝えられているといいのですが。
それを信じて生きる人がいるだけで、どうしよもなく嬉しいのだと、
伝えられて。それがあなたの悲しみの慰めになると良いのですが。
冗談でも、あなたが死神なんて言わないで済む理由の一つになれたらいいのですが。
私はあなたに会えて、本当に良かった。
そのことをきちんと伝えて、あなたの力になれていたらと思っています。
だって、こちらばかりが頼っては、あまりにさみしいでしょう。
これを書いている今は、あなたにできることはわかりませんが。話を聞くくらいしかできませんが。
どうか、これを受け取った時、一方的に助けてもらってばかりではなかった人生でありますように。
いいえ、この人生がどのように終わったとしても。とても幸せでした。
私の幸いを願ってくれる友人たちがいました。生きているだけで幸せになれる養い子ができました。
あなたのありように、救われました。
そのことを、どうか。覚えておいてください。
あなたが生きていてくれて、救われた人間がいることを。どうか覚えておいてください。
中崎 慧香
封筒を閉じて、自然と笑う。
気づくとあたりは元通りの自室で――遺書は手の中にあった。
色々なことを思い出す。
楽しかったこと。うれしかったこと。つらかったこと。のろわしかったこと。…人を殺したいと思ったこと。
ああ、本当に。色々あった。
けれど……
「……よい人生だな」
さわり、と開けたままの窓から風が吹く。
…そろそろ、あの子を迎えに行くのにちょうどいい。せいぜい事故に気をつけて、行くとしよう。
「■■のすゝめ」 改め、正式タイトル「遺書のすゝめ」何事もなく生還してきました。
一部シナリオ引用部分は<<>>にしている。はず。
途中の内容をうまく書けるかのロール、POWでやったら全部成功しました。母国語ですればよかったな。SANチェックも全成功でした。これは夢だとしか思ってない。
なんにせよ、未練たらたらな探索者でいってよかった。
彼女はシナリオ数多くなったのとなにかとしがらみあるので半引退ではありますが。
そのありようはおそらく死ぬまで探索者でしょう。好奇心や善意で厄介ごとに首をつっこみ、深淵をのぞき続けるのでしょう。
人の助けになりたくて、なれなくて。多くを愛し、多くを呪い、結局なんにも諦められない、どうしよもない泣き虫なままで。いろんなことにおびえながら、誰かを愛していくのでしょう。いろんな人にもらった言葉を大事にしまいながら。
2018/12/04
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