セッションの1週間前のイメージです

 死ぬのは怖い。
 死ぬのは痛い。

 けれど、今、治療しているのも痛い。
 次はなにをするのかと、説明をされていても怖い。

 ひたひたと、足音が聞こえる。
 近づく何かの足音が聞こえる。
 追いつかれたくなんてない―――けれど、追いつかれたら安堵もするのだろう。きっと。

 ―――今何か書いたら、いいもの書けそうなんだけどな。

 …ああ。でも。どうせ、書くなら。
 あの手紙の続き、書きたいな。
 途中でここに運ばれてきてしまって…母が片付けてくれたんじゃないだろうか。たぶん。

 でも、いいのかな。
 あんなもの、残さない方が。遺さない方が。

 アキは元気で生きるのかな?

 うとうとと、眠くなってくる。
 寝れるのなら、今寝ておこうかな。
 ―――体が痛くて眠れない時がある。不安で怖くて、眠れない時がある。
 だから、こんな風に自然に眠れるなら、その時寝ておこう。

 ひたひたと、なにかが。
 ひたひたと、死が―――近づいてきているけれど。

 ギリギリまで抗いたい。
 まだ抗っていたい。
 なら、少しでも、休めるときに休んで、戦えるようにしておかなきゃ。

 あんな手紙はいらない。ない方がいい。だって、私。
 ちゃんと、自分の目で、それを―――みたいの。


 パタパタと足音が聞こえる。
 足音が聞こえて、目が覚めた。
「…シズ?」
 目を覚ますと、アキがいた。
 真っ青な顔色をして、どんよりとした目でこちらを見ている。
 寝不足と、栄養失調かな。
 そんな会社、早くやめればいいのに。
 …そう、会社。
「…今、お昼だよ?」
「…昼じゃなきゃこれないじゃん」
 苦く笑った親友は、許可もとらずにベッド脇の椅子に座る。
「…じゃ、今日はお昼休みとれたんだ」
「………あ、アア、ウン。ソンナカンジ」
 ああ、抜けてきたんだ。
 そっか、抜けて、会いにきてくれたんだ。
 アキの帰宅時間じゃ、どうあがいても面会時間に間に合わないからな。
 …家族でもないから、泊まり込めないし。
 ……あと何度会えるだろう?
 …………治って、何度でも会いたいのだけど。

 ああ、でも。
 せっかく会いにきてくれたのに、今、身体を起こすこともできない。

「シズは? 昼食べた?」
「んー。…午後から検査だから、ちょっとね?」
「…そ……そっか」
「でも点滴いれてるし、それよりアキは?」
「俺も点滴いれたい」
「…いや、そうじゃなくて」
 ご飯を食べてよ。心配じゃない。
 笑ってそういうと、アキがむくれる。
 子供みたいな顔だと思った。
 見ていると心が和む。
 和んで、つい手が伸びる。

 何度も触れた頬は、今、随分と白く色あせている。不健康そうだ。ざりざりしてる。…肌荒れもあるんだなあ。
 本当、やめてしまえばいいのに。
 でも。
「…アキ、子供体温」
「…え? ………そっかぁ」
 あたたかいなと思ってつぶやくと、アキはなぜか戸惑った。
 照れているのだろうか。今更。
 思いかけて、違うと気付く。
 そうか。彼が暖かいんじゃないのか。
 私が冷たいのか。
「……ふふ」
「なんで笑うんだよぉ」
「…そこはほら。…アキが会いに来てくれたからじゃない?」
「…うん。来る。何度でも来る」
「今度は来る前にご飯食べてきてね」
「うん…」
「そう、…ふふ。良い子」
「なんだよ、それ…」
 顔を歪めたアキが、私の手を握る。
 固くてかさついて荒れた――――それでも、私より暖かい手。
「…シズが言ってくれなきゃ食わない」
「馬鹿なこといっちゃダメだよ」
「馬鹿でいいよ」
 手が握りしめられる。きっと痛いくらいの強さで。
 必死に握ってくれると、分かるのだけれど―――その感覚は、よくわからない。
 全身が鈍く痛むから、その痛みがまぎれてしまう。
「馬鹿なら、なあ、シズ…!」
 いてくれるの?とかすれた声が届く。
 その声に、頷いてあげたい。
 頷きたい。
 頷きたいのに、身体はだるい。
 …それがなくても、頷けない。

 ガタガタと彼の手が震えてる。
 明るい彼の顔が、暗く重く沈んでる。

 ああ、本当に―――なんて顔をしているの?

 私は死ぬのは怖くない…というわけではない。
 でも、それよりも恐ろしいことがある。
 そんなことより、怖いことがあるだけ。

 ねえ、アキ。
 アキは、私が死んだら。
 どうにかなって、しまうのかな?


***

 私を呼ぶ両親の声が聞こえる。
 なにか返してあげたくて、それでもうまく口が動かない。
 どんどんと、声も聞こえなくなる。
 怖いな、嫌だな。…寂しいな。

 けれど。
 ばたばたと、遠くなった世界から音がする。

「―――志寿!」
 もう、彼の顔はよく見えない。
 けれど、その声は良く響いた。

 悲痛で、割れそうな、その声を聞いた。

 ………死ぬのは、もう、怖くない。
 ただあなたに会えなくなるのが嫌で、寂しくて―――とても怖いだけ。

 だから、どうか。
 もう少し、時間を。
 最後に、きちんと彼の背中おす、時間を。
 
 そう願ったのが、最後。
 ぼんやりと沈む意識の淵で、大事な人の呼ぶ声だけは、最後まで聞こえた。

 きっとたくさん救われていたよというお話。アキ君大変可愛い。
 心配で化けて出てきた言ってたけど。会いたかったのは彼女もだよという話でもあるね!

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