彼は罪を口遊ぶ

 違うんだ、違う。
 本当に、ただ。

 違うんだ、俺は。
 こんなものを見たくて、アレを作ったわけじゃない。

 なによりも、君を。

 なによりも、君に。

 ただ見てほしかっただけで、自分の作ったものを。
 ……違う、違う、そんなことはどうでもいいんだ。


「待ってくれ」
「お願いだから」
「うごかないでくれ」
「頼むから」

「……許してくれ!」

 許さないなら、俺を殺してくれ。

 紡ぎかけた言葉が、ノドでつぶれる。
 銃声が重なり、掻き消える。
 涙でにじむ視界で、赤いコートがひるがえる。

 ああ、本当に。
 ああ、本当に、いつも、いつも、いつも、いつも、いつもいつもいつも。

 アンタは俺の前に行き、俺のできないことを為す。
 ぐしゃりと、余計に目の前がかすむ。口の中に、涙と血の味がする。

「すまない、許してくれ」
「死なないでくれ」

 いや、違う。

「さがみ、はら、さん」

 死なないでほしい。
 死んでほしくない。
 ………笑っている姿が好きだった。
 だからこそ。

「…とまってくれ!」

 君が化け物になるもの。
 あの女が厳しい顔をするのも。

 俺には到底、耐えられないんだ。

***

 泉さんの亡くなった後、夢を見た。
 謝る夢だ。
 許しを請う夢だ。

 …誰に許しを乞うたのか。覚えていなかった。忘れてしまいたかった。あの時は。
 いや、思い出した今も、思うのだ。

 あの時俺が許しを乞うたのは、相模原涼か。天照晶子か。
 もっと単純に、この世の理とか、そういうものか。

「我々が自分の記憶を信じることができない以上、仲間を信じるしか、ないんじゃないの?」

 その言葉は、その時。園田さんのためだった。
 寺田は…コミュニケーション能力というか、空気を読む能力に欠けるが。情の薄い人間ではない。
 だから、そういった。
 別に険悪になりたいわけではないだろうと、そうして。

 …ああ、でも。
 でも、今は思うのだ。
 アレは、俺が俺のために告げた言葉ではないか、と。

 自分のことを信じられない自分のためではなかったか、と。

***

 思い出した。
 全部思い出した。

 全部?
 全部かはわからない。

 そして、そんなことは問題ではない。

 俺は、あの時。
 種を渡した。南玲子に。
 アレは彼女がくれたものだったから。

 種を渡した。相模原涼に。
 アレは―――アレを、彼女に見てほしかったから。

 ただ一言。
 ただ一言、相模原さんに「きれい」と言ってほしかったから。

 血を吸う性質は伝えなかった。
 そんなものを知っては欲しくなかった。

 けれど、…おそらく、俺がアレを作った理由はそれだった。

 そんなもの、誰も作らない。
 …誰も、じゃない。
 そんなもの、天照晶子は作らない、から。

 …信じられるものなら、信じたかった。
 己を、信じたかった。

 けれど、作った理由も思い出したからダメだ。
 信じられるわけがない。

 くだらない嫉妬から、おかしなものを作った覚えがある。
 泉さんは、種を疑っていた。
 この種は。きっと。

 この事件の中核なのだから。

***

 記憶は曖昧なのは、俺だけではなかった。
 他のメンツの記憶もおかしい。様子もおかしい。

 目の前にいる、この女以外。

 だから、なぜと聞いた。

「私が私を信じないでどうする」

 それが『なぜ』なのだ。
 この女は、どこまで揺るがないんだ。
 まぶしいくらいに、自分を信じて。ずっと。
 なぜ言える。なぜ信じられる。『腐るくらいなら、私のところにいろ』などと。

 何も思い出していないのかと聞いた。
 聞いて―――思いもよらぬことを言われた。

 手の平の上に、指輪がある。
 キレイな…ペアリングに見える気がするが、なぜこの状況でペアリング。

「私が、相模原にあげたものだ。
 それさえ、忘れていた」
 わけがわからず、じっと見返した。
「わからないか」
 いや、そんな見つめられても分かるわけがないだろう。
「婚約指輪だ」
「相模原さんの?」
「私の」
 …そんなの、わかるわけがないだろう。彼女に結婚指輪をつける理由があったなんて。
 というか、なぜそれを天照が………
「私と、相模原の」
 ………。
 ……ちょっと待て。
「…あなたと、相模原さんの?」
「そう」
 それは、分かるわけないだろう。
 わかるわけがないだろう。色々な意味で。
 …俺に、あんたのことなんて。
 わからないから、わからないからこそ、俺はずっとあんたを見ていたのだろう。

 わからないから、ずっと見ていて。
 わからないから、追うのをやめて。

 そうして、相模原さんをささやかに好きになった。

 ……わかるはずがないが、分かっておけという話だ。
 ならば、あんたは。ずっと。
 あんたは、ずっと、恋人を殺した犯人を捜していたのか。
 ……あんたはずっと、恋人を亡くしてたのか。
 そんなこと、おくびも出さずに。
「この話をしても、私と君の関係は変わらない。そう信じて話した
 私に対して負い目を感じるな。へりくだるな」
 そんなことをおくびも出さずに、今。
 彼女の死に関与しているかもしれない俺を、信じるのか。
「……あなたは、本当に」
 昔から、俺は。この女の、そういうところが―――…
「…本当に、変わりませんね」
 ぐちゃぐちゃになってしまえと呪うくらいに、嫌いなんだよ。

***

 今自分を戒めるものは、かつて自分が生んだものだという事実が笑える。
 …いや、笑えない。
 笑えずに、ただ見ている。
 取り戻した記憶の中のように、銃を構える天照晶子を。

「うつなあ! 天照!」

 違う、撃つのはいい。
 撃たなければ、止めなければ。
 それでも。
 …それでもそれは、この女じゃなくていいだろう?

「撃たせないでくれ! その女に!」

 なあ、そのくらいはさせてくれよ。
 あんたに二度も、愛するものなんざ、うたせないでくれよ。

 縛られてもがいて、不自由な指が、ようやっと引き金にかかる。撃てる。
 ゼロ距離で撃って銃はツルを緩める。それでも抜けられずにいれば、後輩の腕で助けられて。

 自由になったから、引き金を引いた。
 血を吸われた腕が、がくりと傾ぐ。

「それは私の仕事だ」

 壁をえぐる銃声に次いで、随分と離れたところから響いた声が、よく聞こえる。
 …離れていても、近くても。
 この女の声はよく響く。

 そうか、仕事か。そうだな、あんたは。
 あの時も、そうやって。愛しているから止めると決めるんだろう?

 無力さで胸が焼ける。
 それでも、今度は涙が出なかった。

***

 すべてが終わり、的場元は逮捕された。
 零課には戻るまいと思っていた寺田は、戻ってきた。
 …何を話していたのか、よく聞こえはしなかったが。そのキッケケを与えたのは、天照なのだろう。

 彼と園田さんの和解は、大変安堵した。
 俺は―――…色々な意味で、彼に合わせる顔がないが。
 彼が零課に残り、かつ俺を生かしてもいいと思うならば、それでよい。きちんと同僚のままでいよう。

 いつか気が変わっても、かまわない。
 『俺を殺させろ』以外の要求なら聞こう。
 もしそれを望むのなら―――逃げるが。
 寺田を人殺しにさせるわけにはいかないから、どこまでも逃げて、適当に死ぬが。

 そう、すべては終わって。
 あの状況から考えれば嘘のように、きれいに収まった。

 それは、死者さえも例外ではなく。
 正しい位置に、眠ることになった。

「……相模原さん」

 改めて作られた、彼女の墓に菊を手向ける。赤色と黄色をとりまぜてみた。
 …花は。
 触るだけでも、嫌悪感はあった。

 また育てられるようになる日が来るかは、わからない。
 …わからないけれど、俺は。生きなければならない。

 生きて、作りだしたものを追わなければ。
 団体として解体されたとしても、その思想が絶えた証明にはならない。
 あの種が消えた保証もない。
 だから、許される限りあの種を追う。

 …寺田が出て行けと言わないのなら、刑事として追う。

 ………そう。
 そちらの罪は、そうして背負う。園田さんが彼の妹を撃つハメになったのも、元をたどればあの種の所為だが。そちらもまとめて背負う。
 ただ、俺の罪はもう一つ。

 目の前で眠る彼女に対して、もう一つ。

「…助けてくれて、ありがとう」

 意味のない言葉が口をつく。
 死者にはなにも伝わらない。

「医学には、警察内では秀でてる方だと…自信があったんだけどな。…死なせてしまい、すまない」

 いまさら何を言っても、仕方ない。

「君に、あんなものを渡して、すまない」

 何をしても、この先何をなしても。
 彼女は俺をかばった所為で殺された。
 彼女はあの種の所為で、三年もあそこにいた。

「…相模原さんは、俺は」

 君をあんなものにしたことを、忘れて逃げていたけれど。

「…俺は、君が、好きでした」

 会ったのは、警察学校時代だったと思う。
 それから、何度かすれ違う機会もあった。

 天照のかけがいのない友人として。
 何度か、言葉をかわした。

 ……惹かれたのは、零課で一緒に働いてからだ。
 ただ…職場恋愛をする気はなかったし、惹かれた理由など、考えたこともなかったが―――…

「…君が、昔の天照に、少し似ていたからなんだろうな…」

 我ながら笑ってしまう。
 もう、笑うしかないだろう、こんなこと。
 ふっきったつもりがこれか。どれだけ狭い、どれだけ込み入るんだ。俺の世界。

「…なあ、許してくれないか」

 死者には何も伝わらない。
 墓の下には骨しかない。
 …魂とやらがあるのなら、あの女のもとか、天国とやらにあってくれと願う。

「…許してくれ」

 君が愛したモノを守りたいと思うのを、どうか。 
 君に生かされた命で、寺田に見逃された命である今、許してほしい。

 ざあ、と風が吹く。
 わずかに甘い香りが、花をなでる。

 後悔と罪悪感がじわじわと湧き上がる。
 それでも、それこそが。

 生きながらえたあかしなのだろう。

後悔と罪悪感を抱いて生きていく。それでも零課は好きだから笑ってる。
寺田君と園田さんのためにできることがあるなら何でもしようと思ってる。
天照さんに関してはもういろんな意味で名状しがたいけど、一生上司ですよ。

種を生み出したことに関しては、そうして向き合っていくわけですが。

梅辻は相模原さんのことが好きでした。天照さんと相思相愛だった時期の彼女が。
「少し似ていた」と感じているのはそこだよという話。「誰かに恋してきらきらしてるところ」
いろんな意味で後ろめたいけれど、もうあきらめの境地です。
「俺はあの女のことを見ずにはいられないんだなぁ」と。
面倒くさい男だなあ!

楽しくないようでちょっと楽しい梅辻家

 やわらかい声がする。
 やわらかい手が、頬をなでる。

「なぎ」

 やわらかい声がする。
 その声は、いつも湿っている。

「なぎ、ごめんね。今日も、ダメだって」

 うるんだような瞳を細めて、母は笑う。
 父が俺との約束を反故にするのは、よくあることだった。

 母がそんな顔をするのも、よくあることだった。


「ごめんね。発表会…なぎが頑張ったんだから、来てくれるって言ってはいたのよ? おとうさんも、きっと、来たかったと思うの」

 すべて、すべて。
 よくあることで、だから俺は笑っていた。

「おかあさん、だいじょうぶだよ」

「おれは、かなしくないよ」


 そんな一言にこそ母が悲しい顔をするのに気づいたのは、もう少し長じてから。
 頭をなでる手が、痛ましいほどに細く痩せているのに気づいたのも、また。

「おかあさん、だから、だいじょうぶだよ?」

 おとうさんがいなくても、俺はあなたのそばにいるから。

 やさしい声がする。
 甘い匂いが、とおくなる。

 目を開けると、シーツの白が目に飛び込む。
 カーテンを開けると、今日は随分と良い天気だった。

***

 喫茶店に入り、コーヒーを頼む。
 ケーキが評判だったので、チーズケーキを一つ。
 スフレ系も好きだが、硬いベイクドも好きだ。甘いものは全般的に好きだが。

「凪介」

 それを待っている間に、待ち人がきた。
 ケーキを食べ終わるまでには来るかと思っていたが。驚くべきことに、時間通りだ。
 …いや、驚くことでもないか。

 父はまだギリギリ現役の刑事だ。
 もし今回の件で俺が引き越したこと、そのなにか。なにか一つでもばれていたなら。
 父にも類が及ぶ。

 それは、この仕事が命な刑事にとって避けたいことだろう。

 …同時に。
 あまり評判のよい部署にいない息子に、今回そこの元責任者が逮捕されたことに、無関心でいるほど冷たい父親ではない。この人は。

「おとうさん、ここはチーズケーキとミルクティーが評判だけど。注文、どうする?」
「…ああ、そうか。…なら、紅茶をもらおうか」
「そう」

 ちょうど来た俺の分のコーヒーとケーキを受け取りながら、注文を伝える。
 それなりに繁盛した店の、それなりの喧騒が耳をたたく。

「…お前はまた甘いものばかり食べて。食事はとれているのか」
「喫茶店では甘いものを食べるものだろう。食べてるよ、規則正しく」
「顔色が悪い」
「それは、寝不足かもね」

 寝不足に関しては、始終ブスっとしている同僚に比べればマシだと思うが。
 …などと言っても仕方ないので、話を続ける。

「…寝不足と、ストレスはあるけど。それ以外は普段通り。…配属先の上司は今日も良くしてくれる。おとうさんが心配するようなことはしていないよ」
「…零課か」

 つぶやく声には、やはりわずかな苦みがある。
 父の管轄と俺の管轄は県をいくつもまたいでいるものの、あそこは元から評判が微妙なんだ。
 今回さらに微妙になった。

「お前は、そこに残るのか」
「ああ、そうだな」
「……なぜ。……第一、よくそのいきさつで、解体されなかったな」
「俺たちを守ってくれた人たちがいるんだよ。なら期待にこたえたいのは、あたりまえじゃないかな」

 俺たちという言葉を選ぶと、思った通りに父は顔をしかめる。
 本当に、わかりやすい。

 ……俺は父に似ているから、わかりやすい。

「…凪介」
「なんですか」

 目の前に置かれた紅茶にレモンを絞って、父は小さく俺の名を呼んだ。

「零課を辞めるつもりはないのか」
「既にあそこにいた刑事そのものが疑惑の対象だ。よそに移っても俺の評判は変わらないよ」
「それでも。……信用、できるのか」

 くすり、と思わず笑みが漏れる。

 カルトに傾倒した死体愛者として連行された元上司。
 その証言に一貫性はなく、その犯行に現実味はなく、今も疑惑が疑惑を呼ぶ「庭師事件」

 残された部下4人も、的場元同様、カルトに傾倒しているのではないか。
 …それは、今のところ疑惑ですんでいる。
 神堂さんと猪狩が随分とかばってくれたおかげだ。

 父は疑っていまい。
 俺がそれに関わっているなどと、疑ってはいない。

 …実際、零課の中で俺だけが関わっていたというのに。
 ああ。その信用は、あの三人こそ向けてほしいものだ。

 人花教になど関わった覚えはないが、あの種を作ったのは俺だ。
 今となってはなぜそんなことをと思うが。

 血をすった種を、美しいと思ったのなど。あの中では俺だけなんだろう。
 …正確に言うと、美しいと思ったというより…
 ……いや、すべては今さらだ。

「おとうさん」
「ああ」
「俺は、例の彼を止められなかったことを、後悔しているんだ」
「…そうか」
「ふがいないと思っている。刑事失格だと思った。…それでも、うちのチーフは俺を捨てないそうだからな。よそで疑惑の目を向けられながら生きるより、そのチーフのもとにいる方が賢くないか?」
「…いや。それは思わない。ふがいなく、失格だと思うなら早々に辞めろ。
 ……続けたいなら……
 4人もいるにも関わらず、長年異常者を上司と仰いだチームなど、チームとしては破綻しているだろう?」

 ざわり、ざわり。
 賑やかな音楽と、穏やかな話声に、不穏な会話はとけていく。
 不穏な…これでも随分と核心をとかした、俺に都合のいいだけの会話が。

 父の見解は、間違ってはいまい。
 逆の立場なら、きっと俺もそういうだろう。

「破綻していたとすれば、作り直せばいいのでしょう。…破綻して、終わらせて。それでスッキリしてうまくいく場合もあるでしょうが。おかあさんとかね」
「………凪」
「そんな顔しないでください。…イヤミを言ったのは認めるけど。ガキじゃあまいし、離婚のことでおとうさんを責める気ないよ。ただ、俺は…本当にあの連中が好きなんだよ。悪く言われたら腹が立つ」
「…そうか」
「そう。彼らと同じチームにいるのが、そうだな。誇らしいんだ。だから、抜けない。
 あの女…、今のチーフ以外の部下になる気もないよ」
「……そうだな。俺は元から、お前に何もしなかった。こんな時だけ父親面しても、仕方ないな…」
「…「そうだね」と言い辛いことを言わないでくれないか?」
「先ほどのイヤミは、その程度には応えたよ」

 ふ、と父が笑う。
 幼いころからよく見ていた、わずかに苦みのある微笑。
 それは、俺が浮かべているものと。おそらくはよく似ている。

「…昔から思ってたけど。兄貴はおとうさんには似ていないね。俺だけがおとうさんに似た」
「そうかもしれないな。あの子は母親似だ」

 そうだろう。
 だから今も兄は、俺を見ると微妙に顔をしかめる。「だんだん似てくるな、お前は」と何とも言えない顔をする。

 …母は、何も言わない。一年に一度顔を合わせてはいるが。
 もう過去なんだろう。なにもかもが。

 もう過去で、それがなによりだと。今は素直にそう思える。

 ……つらいことは、過去にしてしまえるならそれが一番だ。
 忘れてしまえるなら、もっといい。

 それは、罪なき者にのみ許される解決手段だと思うが。
 罪にまみれた人間は、もう。逃げることは許されないと思うが。


「その程度には、俺はおとうさんをみていたんじゃないかな」
「……そうか。光栄だな」
「…恨みがましくみていたとは思わないんだね」
「その程度には、息子のことをみていたつもりだからな」

 ふ、と再び父が笑う。
 見ているだけでそんなことがわかるわけがない。

 見ているだけでわかるのならば、相模原さんのことがもう少しわかっただろうに。せめて、恋人がいるくらいなら。

 見ているだけでわかるならば、俺は寺田が妹を探していたことを知れていたのに。知っていたら、引き合わせることができる立場にいたのに。
 南さんが苦しんでいることに気づけたら、相談に乗ってでもいたら。あるいは。…あるいは、もしかしたら二人を合わせることができたのに・

 園田さんだって、そうだ。
 見ているだけでわかるなら、彼女が苦しんでいたであろうことをもう少し気遣えたのに。彼女が南さんを撃ったり理由は、あの種なのに。

 なによりも…
 見ているだけで、分かるというなら。
 あの女が、……あの女にとって相模原さんは唯一無二だと、気づいていただろうに。

 何も気づかずに、種をまいた。
 ギリギリで踏みとどまっていたのであろう的場元を、より深みへと突き落としたキッカケを。
 あの女が愛するものを、二度も撃つハメになったキッカケを。

「…あなたが俺のことをわかるのは、俺とあなたが似ているからだろう」
「そうか」
「そうだよ」

 ケーキの最後の一口を放って、静かに席をたつ。
 持とうとした伝票は取り上げられたので、そのまま好意に甘えた。

 何も知らず、何もかも知らず。
 すべてを思い出した今ですら、彼らがいなければ足元がおぼつかない俺は。

 それでも、もう歩く道を決めたのだから。

お父さんとナギスケ君はこれでも割と仲良しです。 全部俺のせいだったんだからもっと責めてくれよと泣かないのは彼のなけなしのプライドだよという話。