継がれつながり途絶えるまで

 祖父の道場に稽古をしにいった。
 金髪の子供が祖父の膝の上で寝てた。

「………孫、増えたの? いや、違う、ひ孫?」
「まあ……似たようなもんちゃあ似たようなもんだが。ひ孫ならお前に連絡いかないわけがないだろうが。今慧香のところで暮らしてる、あの子の「『友人の親戚の子』だよ」
 そういえば、その話は聞いた。従姉妹の一人が、突然子供を引き取ってきたと。
 そういうことならば家に戻って来いと言われ、ずいぶんともめにもめて……結局、今も一人で暮らしているらしい。
 ……事情が複雑な子だから、どうしても今はもう少し二人でいたいと、そう言っていたそうだ。
 詳しくは知らないが―――伯父夫婦が引いたということは、それなりに道理がある説明をしたのだろう。
「…しかしかわいい子だな。男の子だっけ?」
「安心しろ。お前も小さい頃はかわいかった」
「いや、はりあってねーから……」
「でかくなってもかわいいぞ。道場ついでくれなくてもな。いやあ、かわいいわ。俺の孫超かわいい」
「まだ言うの…!?」
 言うよ、と繰り返す声に毒気はない。ただジャレているだけなのだろうが。一応言い返しておく。
 所謂お約束というやつとして、そうする。
 祖父はカラカラと笑う。笑う声が、よく響く。
 門下生は帰っていた。
 誰もいない道場脇の部屋に、祖父の声が響く。
 習慣で正座をすれば、声は続く。
「慧香も可愛かったがなあ。俺とナナ…ああ、ばーちゃんな。ナナの後ちまちまついてまわって。
 いや、今もかわいいが。随分とまあ、話してくれないことが多くなった……」
 ぽつりと語る祖父は少し、老けた気がする。
 苦労でもしたのだろうか。
 まあ、苦労というか、心労はあるか。
 慧香…サトちゃんを目に入れてもいたくないほどかわいがってたから。主に稽古をつけたり、稽古をつけたりなのでハタから見ると扱いが雑だが。そりゃあもうコンデンスミルク並に甘い。なお、俺の扱いはさらにものすごく雑だった。すがすがしく男女差別だと思う。
 ……なんて、思う間にも、声が続く。
「…一時なぁ。病院かよってたんだよ。あ。心のな」
「それは…聞いたけど」
 心配と、…少しの憐れみをこめて、母親から。
 まあ、親戚とはそういう距離感だ。俺も同情した。ともかく情けが深い人だったから、たぶん余計なもんしょいこんだろう、と。
「通ってた頃…巴ちゃん、つってもわからんか。あの子の友人から離れるのを嫌がってなぁ」
「………そうなんだ?」
「付き添いを、最初の方だけしたが…。よほど怖い目にあったらしくてなあ。…かと思うと巴ちゃんと一緒にいるのも怖がった。時が立てば、けろりと治ったが」
「…それも聞いた。よかったな」
「その間あの子が『三鷹棗』って名前つけたサンドバックが3だか5体ほど役目を終えたなぁ」
「誰だよ」
「巴ちゃんの旦那」
「………」
 巴ちゃん、という名前は知らない。
 けれどイトコが懇意にしている人がいるのは知っている。その人が、よくイトコを祖父のところまで迎えに行っていることも知っている。だからたぶんその人だ。
 確か、彫刻家の人。作品を出展してる機会があると、チケットを渡された。もしイヤじゃなかったら、友達といってね、と。
 そういう…あのイトコがものすごく大事にしている友人がいるのは、知ってる。
 そう、確か……『すごく優しくてねぇ、しっかりものでねえ、顔が綺麗で顔しか見ないのがよってくるのと、素直じゃなのが心配なの』だったか。友情なのだと思っていたが、あれか。
「えーと………横恋慕?」
「ならよかったんだろうなあ。それならくっつくかふられるか相手の男に殴り込みかけるか付き合ってくれるまで通い詰めるかできるだろう」
「なあじーちゃん、じーちゃんはばーちゃんと普通に結婚したんだよね? じーちゃんはストーカーじゃないよね? 元警察だよね?」
「安心しろ。円満に付き合って、円満に結婚した」
「安心できるような話してくれよ!」
 なんでそんなに実感がこもっているんだ。なんだその『俺はそうする』と言わんばかりの語り方は。
 …祖母が亡くなったのは、記憶もおぼろな5歳だ。夫婦仲が良かったかはよく覚えていない。ただ。写真は常に笑ってる。笑っているからそれを信じさせてほしい。せつに。
 色々と聞きたいけれど、祖父の声のトーンが下がる。深刻な風に。
「なにがあったかは知らんが。ケロリと治った後は…あんまり俺のところに寄り付かなくなったな。元々顧客のところに飛び回ってたが、頻度が増えた。親はもっとだったとあの子の母親に泣かれた。…そのくせ稽古の時間だけ増えた」
「…それは」
 ああ、話の流れが変わる。
 こちらを見る目の、真意を悟る。
「なあ、ヒデ。今のお前みたいだな」
「……サトちゃんは放置で俺には言うのかよ」
「あの子にも一度だけ聞いたが。笑って何も言わなかった。だからお前にも聞くのは一度だけだ。…なんで今更、熱心に稽古するんだ。
 お前はかわいい、自慢の孫だが。一番弟子もそれなりにかわいいから、前言撤回はなしだ。この道場はあいつにやるぞ」
「………」
 問われて、思い出す。違う。忘れていない。思い出すまでもなく、しみつく。

 俺にもっと力があれば。物事をみるための余裕があれば。
 あの方法をとらずにすんだのか。
 俺にもっと力があれば。
 あの子は今も笑っていたか。

 人が、死なずに。すんだのか。

 俺に、あの時。あるいは、もっと。
 ………………否。
 力などあっても。おそらくなにもつかめなかったのだろうが。
 無力が嫌になったのは、あの日から。

「…実は、かるーい気持ちで友人の頼み聞いたら死にそうになってさ。じーさん孝行生きてるうちにしとこうと思っただけだよ」
「……そうか」
「うん。それだけ。…終わった話だよ」
 俺がどれだけ後悔しても。
 自分が取れなかった道をとった人間を見て、恥ずかしくなっても。

 アレは終わった話で、アレも終わった話。俺は死にたくない。
 ただ、それだけの話だ。
 …それだけにしないと、つらくなってしまう。
「…なあ、ひで」
「なに」
「俺のじーさんからもらった財産にな。日本刀があるんだよ」
「へえ」
「一番弟子にやろうと思ったが。それは家族に継がせとけってなってなあ…。道場もらえれば十分だとよ。道場の方を軽いように言わないでほしいもんだが。アイツはそんなんだから5つも下の慧香にいまだに覇気がないダメ野郎呼ばわりされるんだよ。
 …そう。慧香だ。仕事が仕事だ、あいつに遺すつもりだったが。売っちまいそうだし。お前にやる」
「え、んなもんもらっても…」
「名義、お前に変えてやるからもっとけ。うちの二階の金庫にあるよ」
「え…いや、だから」
 なに、この流れ。それでは、まるで。
「県庁職員、翻訳家、古物商もどき、ダンサー、大学生…。
 別に必要なきゃ、一番適切に保存しそうな人間にやるが。必要があるならお前が適任だ。やる」
 それでは、まるで。
 俺が欲しがっているようで。
「……別に、必要ねーと思う、けど」
 …そんなの二度とふりたくないのに、なぜもっと強い声が出ないのだろう。
「じいちゃん通販で武器を求める孫をこれ以上見たくない。そのくらいなら、せめてお前にはやる。霊験とかないけど、ほら、俺のじーちゃんが守ってくれるかもしれない。アレは子煩悩孫煩悩な人だったからさ…」
「待ってそれ今までの文脈からしてサトちゃんなの!? あの人本当なにあったの!?」
 思わず叫んだが、祖父の膝の上の子供は起きない。
 そうしているとまるでかわいらしいお人形のようだと、ぼうっと思った。

***

 次の日、3つ上の従姉妹は祖父の家にやってきた。
 キレイに化粧をした、白い顔をして。
「…ああ、英久君。またきてたの?」
「うん。バイト、近くだったから」
「そっか。…電話で聞いたけど、あの子と遊んでくれたって。ありがとう」
「言うほど相手できてない…というか、手ぇかからねぇ子どもでびっくりした」
「賢い子だから。…でも、あの」
「ゲームしてトランプしただけだから、乱暴なことしてないよ」
「さすが英久君…」
 じーちゃんの遊ぶは稽古だからなあ。
 おじいちゃんの遊ぶは稽古なの…
 お互い沈痛な言葉は、ほぼ同時に響いた。
 俺はなんだかんだで祖父が好きだし、彼女もそうだろう。でも祖父はアホだ。家族全員満場一致で思っている。アレは、アホだ。割と教育に悪いタイプの。
「…でも、英久君。最近よく稽古しにくるね…? 継ぐの?」
「いや、そんな横取りみたいなことしないし…一番弟子の人に悪いし…俺一応事務所、潰れてない」
「え、一応なの?」
「潰れない潰れない潰れたとしても俺は違うところ探す!」
「……そんなに必死に否定すると、、かえって潰れそう…」
「縁起でもない! お袋みたいなこと言わないで!」
 思わず声を強くすると、きょとんと目を見開き、すぐに笑う。
 よく笑う人だった。昔から。
「…別に私、おばさんに似てないでしょう?」
「や、そうだけど…いうことが…いうことがおおよそ『オカン』とか『おばあちゃん』っぽい…テンプレの」
「……ふーん?」
 わかっているのだかいないのだが、分からない相槌を打たれた。
 たぶん、大して気にしていないのだろう。…何を言われても、たぶん大して気にしていない。…自分がそうだから、分かる。
 昔から、特に印象は変わらない。
 整っても崩れてもいない…しいて言うなら、印象が薄い顔立ちも。俺が日ごろ囲まれる人種に比べると丸っこい、筋肉の薄い手足も。少しゴツイのは手だけで…道場よりは、図書館が似合いそうな雰囲気だ。実際、祖父の家にある古い本が大好きで。頼んでもないのに読み聞かせられた覚えがある。うっすらと。…そう、面倒見は、良かったな。ちょっとだいぶずれてるけど。
 ―――縁もかすりもない子供を引き取るのも、あの子ならするだろう。袖がすり合えばそれが縁だ。アレはできることとできないことの区別の前に手を伸ばす、後で考えればよいと嘯くタチで。幸せになる才能が欠けているタイプ…とは。母の言葉だ。
 母はたぶん、この従姉妹を好いてはいない。祖父に怒っているのと同じ理由で。…あきれて、心配している。

『あの子は悪いところばかり、俺に似てしまったな』
『ばあちゃんには似てないの? 杖術教えてるのは、ばあちゃんだったんでしょ? 元々』
『ん…キッカケはそうだし、カタはそりゃあ似てるが…俺のがナナの型に似てるんだよ。手とり足取り教えてくれたし、超えた夫婦喧嘩の数だけ似たから。
 タチはあんまり似てないよ。ナナは笑うとかわいかったが、あんなによく笑わなかった。…あと、ちゃんと整理整頓ができる人だったからなぁ…』
『整理整頓』
『あ、いや、ちげえな……。お前の母親がよく言ってるだろ。取捨選択。俺ができないと。それはそれはよくお前らのばあちゃんによく怒られた…いまだに娘にも怒られる……アレ』
『じーちゃん…自覚、あったんだ……?』

 昨日交わした会話を思い出す。
 色々と…伯母がメソメソとうちの母に電話をしてくるようなことが色々とあったらしいイトコ。
 縫うようなケガをしたのも2度。うち一度は、輸血が必要なレベルだったらしい人。
 この人の稽古が増えたのは、なんでだったのだろう。
 …この従姉妹が好きなのは、体を動かすことではなく、祖父だ。後は…目がいいんだろうなぁ。反射神経は人並みだ。物覚えがよく、相手の動きをよく見る。この人が覚えているのは、人の動きのパターンで…セオリーとか関係ない喧嘩となったら、そんなに強くはないと思うけどな。先手をとれず、押されたら負ける。格上には絶対勝てないタイプ。
 …そんなんなのに、やたらとケガが増えたのは、なんでだろう。
「…なあ、サトちゃん」
「ん?」
「んーと…じーちゃん色々心配してたから、あんまり変なことするなよ」
「そうだねぇ。あの子のいるから前ほどホイホイ人の頼みは聞いてないよ」
「前ほど」
「食い扶持増えたからより人脈って大事だよね。情けは人の為ならず。一時の大金より、定期的な小金。だから人脈、とても大事」
 まるで用意していたような、滑らかな言葉だった。絶対言いなれてる。明らかにじいちゃんに言っている。あるいはおばさんとかおじさんにか。
「…そう心配しなくても。あの子が一人で歩けるようになるまでは、どこにも行かない」
「……いや、俺は心配してないけど」
「うん、知ってる。…でも、そうだなぁ。おじいちゃんだけじゃ心配というか。おじいちゃんは最後の手段だけど。……。少し、今……色々立て込むかも、しれないからさ。……またあの子がここにいたら、英久君、遊んであげて。おじいちゃんが稽古をつけぬように」
「えー…いいけど…したがったら? 俺、あのころから興味持った」
「それは、してほしいけど。……おじいちゃんに稽古つけられて私みたいになったらどうするの!?」
「あんた自分がアレな自覚、あるんだな…」
 やっぱり目の前のイトコは、祖父と似ている。
 自覚があっても治す気がなさそうなあたりとか、特に。

 小さくつぶやくと、顔をそらされた。ものすごく決まずげな顔は、たぶん、俺も似てるんだろうなあ、と思った。

タクティカルバトンはアマゾンに売ってる。そしてアマゾンだか楽天で買ってるんじゃないすか。ちなみに木見原がもらったのは大正の男装古物商の遺産。実に涙とか吸ってそうな一品。
ちなみにおじいちゃんが『武器捜す孫見たくない』といってるわりに止めないしむしろめっちゃ目をかけてるほうには武装させる当たり、だからそういうところだよ、という一族です。ちなみにおじーちゃんが警察やめたのは『ストーカーへの対応が上司ともめにもめ干さたし、ついうっかりストーカーぶん殴った』です。奥さんが食い扶持的な意味で大変苦労したので、木見原母に若干嫌われてる。愛されてはいるけど。
初孫(現在県庁職員)と木見原の妹(大学生)も幼少期稽古つけられていますが、まあ、二人とも拳70回避+10くらい止まりでしょう。部活違うの選んだ。木見原は剣道好きだった。倫花さんはほかのことするのが面倒だった。のでそれぞれああなった。
基本的に人が良く、探索者になった時点でもうなにかしら病むのが決定された一族。中崎家。

 目次

泣き笑い取り戻せずとも

『ミチ姉はねぇ。細い上に背が高いから実物以上に細く見えるの。得っていえばそうだけど、不便っていえばそうだよね。身長に合わせると、服がダボついて見える。あんまり細いと痛々しいよね。おじいちゃんにミチ姉弱々しく見えるの、そういうことだと思うよ』
『あと顔が辛気くさいっていうか、困ってる感じっていうか。そんな感じだよね』
 いつだっただかの、親戚の集まりで。目の前のイトコをそう評したのは俺の妹だ。
 ちなみに『だから鍛えても無駄だよ、もう鍛えるのやめなよ』と続いた。割と散々な言いようだが、妹なりに従姉妹を案じているのだろう。兄馬鹿でいうなら、優しい子だ。あいつの…『磨優』のユウは優秀のユウなんだが。優しい子だ。俺以外には。俺のことは奴隷と思っている節がある。可愛くない。かわいくない妹だ。畜生。
 …いや、そんなことはどうでもいいとして。
 祖父の言付けにより、託された荷物を渡す。
 本日のバイト先が彼女の住まいに近いとばれ、託された荷物。というか梅干し。送料を惜しまないでほしい。俺を気遣ってほしい。別に、いいけど。
「わざわざありがとう、遠いのに…、……バイト、移動費で飛ばない?」
「うちの事務所のステージが明後日あるんだよ、だからそのついでつーか、穴埋めのバイト」
「交通費、自腹なんだ…?」
「やめて! 親戚一同で俺の財布の心配しないで! 泣く! つーか生活に困ってない!」
「ああ…そうね、お金のことは聞くの失礼だね。…ともかく、まだ仕事じゃないならあがっていって。お茶くらいは出すから」
 静かな言葉と笑顔とともに、従姉妹が玄関の奥にひっこむ。俺も遠慮なく続く。喉乾いたし。
 おおよそあの年代の女性相当のマンションの一室には、入ると本の匂いがした。
 翻訳家であるこの人は、洋書も日本の本も好きだ。それこそ親戚の集まりで、いつも本ばかり読んでた。
 ……。そう、いつも。
「…? どうかした? なんか変な顔してるけど」
「…え、いや、別に」
 いつもというか、記憶の中と変わりないイトコは。なんだかあからさまに機嫌がよかった。
 そんなに梅干しが好きなのか。いや、違う。
 そんなに俺に感謝しているのか。いや、そこまではないだろ、さすがに。
 別に……前から笑っていた人ではあるんだけど…なんだろう。ものすごく、雰囲気が柔らかい。俺でもわかる程度に。それこそ妹に聞けば、もう少し違う言葉が出てくるかもしれない。
 テーブルわきのクッションに座って、なんとなく目線を巡らせる。親戚でも人んちだから、普通に落ち着かない。本でも借りようか。俺、本は嫌いでも好きでもないんだけど。雑誌…は、女性誌と英語だ。微妙だ。
「紅茶とほうじ茶、どっちがいい?」
「じゃあ、ほうじ茶」
「分かった」
 こぽこぽと、お茶の匂いが部屋に広がる。
 テレビでも借りようかと思ったけれど、長居をする予定はないし、やめた。わざわざ消して、こちらと話す姿勢を示している人に対してそれはこう、なあ。単にうるさいの嫌いなだけかもしれないけど。
 この5つ上のイトコに関して知っていることは、あんまりない。子供の頃はともかく、大人と言われる時分になってからは。
 翻訳家をしていて、季節の区切りに祖父のところで顔を合わせる機会はあったりなかったり。やせっぽちで、いつもなんだか困ったような顔をしている。彼女の兄の方は、すごく優しい。俺に超優しい。というか、子供に優しいのか。進路のことで多少母ともめたとき、味方してくれたのは父と彼女の兄だ。
 それと、彼女について。知っていることと言ったら。
「…はい、じゃあ、本当に。わざわざありがとう。私がとりにいけばよかったわね」
「いいよ、来たついでだし。…あんまり遠出、しない方がいいんじゃねえの?」
 前の夏に、ニュースでそれなりに取り上げられた事件の起きた島に。その事件の最初から最後まで滞在していたということ。
 そしてその冬に至るまで、ずいぶんとふさぎこんでいたらしいこと。
「ああ…、おばさんにもずいぶん心配をかけてしまったそうね。今度お詫びをします。でも、体じゃないし…今は薬も飲んでないから、別に。気にしなくていいよ」
 精神病院の世話になりすぎじゃねえの、うちの親戚。というあれだ。まあ。
「…嫌なこと思い出させたならごめん」
「別に。すぎたことだもの。…あなたもおばさんも、精神病院通い理由に人を馬鹿にするような人じゃないでしょう。そんな申し訳ない顔されると、私があなたをいじめているようで…心苦しいな」
 いやまあ、それはそうだ。
 同情はするし。憐れみはするが。蔑むかというと、微妙だ。
 なにしろ、親戚だからなあ。精神を病んだなら、それ相応の理由があるだろう。治る…つーのは、治りきるもんじゃないとよく聞くが。今笑っているなら、なによりだなあ、と思う。
 出されたお菓子をつまみ、お茶をすする。
 茶碗まで温められたと思われる、温かいお茶はしぶくない。香ばしい。妹に見習わせたいと少し思った。つい先日、祖父の家で出されたちょっと渋い茶と違うとも思う。
 合わせられたお菓子も、ほうじ茶にちょうどよく、なんかちょっと洒落た雷おこしだった。どこで買うんだろう。
 茶を出してもコーヒー出してもぽたぽた焼き出してくる祖父の家とは違うなあ、と思う。
 そういうお菓子のセンスがあらんかぎりにおばあちゃんとかオカンっぽいとか思う方のイトコとは、違う。
「今日、ホテルはとった?」
「うん、さすがにとめてくれとは言わないよ」
「そっちじゃなくて。ごはんつきのじゃなきゃ、これからどこかにいきましょうか。年上のたしなみとして、ごちそうする。それとも誰かと約束ある?」
「んー…」
 確かに時刻は、少し早いけど夕食時といえなくもない。バイトは深夜だから、ありがたいっちゃあありがたい。しかし。
「……ミチ姉、付き合いよくなった……」
「………そんなしみじみと言われるほど、親戚粗末にした覚えはないけど?」
「えーと…そりゃあ、そうだけど」
 というか、うち、全般的に家族仲は良い方だと思うけど。別にこうしておごってくれるのが、おかしいというわけでもないんだけど。
 顔つきがやわらかくなった。
「……夏の、事件に巻き込まれたときに」
「え?」
「命があるのはありがたいことだし、孝行は生きているうちにと思ったの。わざわざバスにゆられてツボ持ってきてくれたイトコをいたわるのも、それ」
 なんだかものすごく聞き覚えというか、言いおぼえがあるセリフだ。
 ……命が危険に巻き込まれるような一件だったのだろうか。
 いや、でも……近くで殺人なんて起きれば、そういう気持ちになるかな。
 ………。
 ああ、そうだな。
 近くで人が死んで。自分になにができるかを考えるなど、狂人の所業だ。俺がおかしいのか。
「本当に、それだけ。…でも。そうだね。夏の…巻き込まれた件は、色々な縁がからまっておきたようなものだったから。そういうものを大事にしたくなったのかも」
「…そうなんだ」
 まあ、そうだな。縁者が健やかであるというのは得難いことだ。贅沢なことだ。…生まれた場所が治安のいい国で。家族も健在で。ああ、これ以上なく幸福だ。
 俺が見捨てた人が持ちえなかった―――…いや、違う。それを考えるのはやめよう。
 考えると、きっとどこにも行けなくなる。身動きが取れなくなる。
 だから代わりに、言葉を探す。探すというか、思い出す。
「…でも、そういうこと思い出してもしんどくならないならよかった。やっぱり顔見ねえとわかんないもんな」
 まだしんどそうなら、こんなこと言うつもりはなかったけれど。
 わざわざ足を運んでもいいかと思った理由は、それだ。
「…やっぱりあなたはおじいちゃんに似てる」
「へ?」
「たぶん、あなたが思うより似てる」
「ええ……俺もアホで金感情ができず孫をべったべったにかわいがるジジイになるの…? えええー…? お袋じゃないけどもう少し賢く生きたい、俺……」
「そうだね。あそこまでアレじゃない方がいいとは思うけど」
 軽く身を乗り出したその人の手が、伸びてくる。
「…それでも、あなたは優しい子だね」
 なんだかさみしそうな顔で、頭をなでられた。
 昔、この人の兄によくされた。この人の兄がこの人にも良くしてた仕草。
 とりあえず、二十すぎの男にする動作じゃない。

 払いのけるつもりだったのに、なんとなくできなかった。
 すぐに離れていく手は、なんだか古い紙の匂いがした。

 中崎さんち心理学基本的にないから「なんとなく」「身内の勘」で話してる。
 どちらも保身から人を見捨て、色々と失ったことなど知る由もないお話。自分を顧みない人に焦がれたことなど知る由もない話。焦がれ方は、違うけど。
 みっちーは家族には割と「おとなしいお姉さん」
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