木見原和霞の原風景

 物心ついたときから、花がそばにあった。
 父はいつも花と向き合い、母はそんな父に向き合い。
 当然のように、俺も生け花の稽古を受けた。

 同じ家に住んでいる祖父とは、ほとんど顔を合わせない。とにかくせわしい人だから。
 祖母もかつて同じ家に住んでいたらしいが、俺が物心つく前に亡くなった。

 花が、家の中心だった。

 季節を知らせるのは、玄関に飾られた大きな花瓶。その中身だった。

 会話も、花に関係することが多かった。

 否、違う。
 両親は、俺の話はよく聞いてくれた。
 学校でなにがあったか。なにが楽しかったか。悲しかったか。困っていることはないか。

 愛情の深い両親だったと思う。

 けれど、注意しなくてもわかるのだ。
 すぐに思い出すのだ。

 運動の出来を褒められたことはない―――尋ねられたことはない。
 勉学の出来を褒められたことはない―――尋ねられたことはない。
 友人の有無も、ほかのなにもかもを。
 俺が話さなければ、訊いたことはないのだ。

 花が、家の中心だった。

 その才能以外は、価値を持たなかった。

 価値がなくとも子供だから愛すると、そういう両親ではあったのだけれども。
 例えば俺が絵かなにかで賞をとっても、たいして気にしなかったはずだ。
 よくやったと褒めはしただろう。
 けれど、望むものではなかっただろう。

 ……そういう家に、俺が嫌気がさしていればよかった。

 花が、家の中心だった。

 玄関にかざられた、大きな花瓶。四季折々の花を飾った、祖父の作品。
 家にめったにいない祖父の、唯一の足跡。

 俺は、それに魅せられていたから。
 幼いながらに、どうしよもなく。

 それが美しいとだけ、思ってた。

 ……いつか、作りたいと。
 幼いころは、思ってた。

***

 だから、幼い頃からはじまった稽古はちっとも苦痛ではなかった。
 たまに祖父が見てくれる時は、楽しくて仕方なかった。

 …楽しかったんだ。本当に。

 けれど、いつからだろう。

 違う、と気づいた。
 俺の作るものは、追いつかない。

 祖父にも、父にも追いつかない。

 悲しかった。悔しかった。…焦りが募った。


 そんな時だった。

 遠方に住んでいる従妹が、家に訪れたのは。


 父の弟の娘である彼女は、花が好きだった。
 生け花も好きだったし地べたの花も好きだったし木も好きだった。
 俺とおんなじに。
 桜に手が届かなければ、三つ上の兄に肩車をねだるあたりは、俺と違ったが。
 肩車は無理だと言いながらおぶってやる兄など、俺にはいなかったが。

 俺とおんなじで、俺と違う彼女は、その日。
 その日、あの家の庭で遊んでいた。

 シロツメ草と、タンポポと。オオバコとナズナに瑠璃唐草。
 そんなものを編み込んで、それはそれは楽しそうに。

 キレイだな、と思った。
 キレイだね、と声をかけようと思った。

 けれど、なぜだろう。
 うまく声が出なくて、脇を通り過ぎて、少し離れて黙って見ていた。
 池を見るフリをして、そうしていた。

 編み終えて、バケツに花冠をかけてやった彼女は、その場で首を傾げた。
 傾げて、ぱあっと顔を輝かせて。
 割れてしまった花瓶や皿をおいてある方へとかけていった。

 しばらくして、彼女は黒い花器を手に帰ってきた。
 上が欠けてしまった、それでもまだ美しいそれに、池から水をすくいあげて。
 そうして、無造作に花冠を浮かべた。
 最後に、仕上げのようにタンポポを飾って、大きくうなづいた。

 ……キレイだった。
 その花器があるのと、ないのでは。
 まったく別の作品になっていた。

 そうだ、キレイだと思ったし。作品だと思った。

 違う、と思った。
 俺が作るものと、あんまりに。

 粗末な器と、なんでもないような野草を集めたそれのほうが。
 ずっと、ずっと美しくて。

 どうすればそれが作れるのかわからないのに、それが美しいことだけは、どうしよもないほどにわかって―――


『ダメなんだよ』
『あそこは危ないから、子供だけで入っちゃダメなんだよ』

『池も、水くんじゃ危ないんだよ』

『怒られるよ』

『そんなことしちゃ、ダメなんだよ』

 もっともらしいことを言ったが、それは八つ当たりだった。
 八つ当たりの、キツイ口調だった。
 だから、だろうか。

 同い年の女の子は、ボロリと涙を流した。
 グっとこぶしを握って、うつむいた。

 …俺を責めは、しなかった。

『泣いても、ダメなんだよ』

 俺を責めもしなかったことに、その時気づくことなどなく。
 さらに言いつのろうとしたとき、彼女の名を呼ぶ声が響いた。

 庭に来たのは、彼女の兄だった。
 その子供は、泣いている妹を見てぎょっと目を見開いた。

 すぐに彼女の方に行って「どこが痛い」と訊ねていた。
 …彼女が泣くのは、きっと、いつもはケガだったんだろう。

 彼女は理由を言わなかった。
 ただ黙って、下を向いていた。

 だから彼は、俺に訊ねた。

 なにがあったのか、と。そんな風に。…もっと幼い言葉では、あったけど。

 俺は説明した。
 割れた陶器が置いてある場所に、子供だけでいっては危ないこと。
 ましてや持ってくるなど、絶対に祖父に怒られること。

 彼は頷いた。
 うなづいて、それはお前が正しいなあ、と。
 そんな風に言って。

 軽く妹を抱えると、こちらを見もしなかった。

 …これも、随分後から気づいたことだが。
 俺が正しいと言った彼は、彼女が悪いとは一言も言わなかった。

 兄が来るなり声をあげてしゃくりあげ始めた妹を、一言も責めはしなかった。

 ……ただ。
 ただ、あの時。俺が気づいたのは、二つだけ。

 彼女のようなものは、俺には作れないということ。
 彼女のように迎えにきてくれるものも、いないということ。
 何も聞かず、一言も聞かず。
 無条件で手をひいてくれるものなど、俺には、決していないということだった。

***

 そんなことを、道を歩いていて思い出した。
 土手に咲くタンポポを見て、思い出した。

 背の高い、外来種のそれは。あの家にあったものとは違う。
 けれど、春の土のにおいはどこでも同じだ。いまだに慕わしい。

 慕わしい理由など、考えるまでもない。
 未練があるのだろう。華道の道に。

 けれど、長じれば長ずるほどわかった。
 俺には才能がない。
 努力では超えられない壁がある。
 ……そんなことだけわかる程度には、才能があった。

 ………かの従妹………
 木見原磨優には、やはりそれがあったらしい。
 めった会いはしないが、現在大学生。学校に通いながら、様々な流派を見て回っているらしい。
 祖父に弟子入りする気はないと聞いた。

 …彼女の父、要は俺の叔父は。確か、理学療法士をやっている。
 幼いころは、父と同じく。華道家として教育されていたらしいが。それが嫌になって、家を出たと。
 …と、言うと。なんだか険悪に聞こえるが。
 別に祖父と叔父の仲が悪いということはない。父とも同様に。
 だから。
 …だから、別に。
 俺が流派を継がずとも、気にせずに帰ってきていいと。
 そんなことはちっとも気にしなくていいのだと、両親は言う。

 両親は愛情深い人だった。
 俺が彼らの子供である限り、愛するだろう。

 子供であるという条件のもと、愛しているのだ。

 作品を一つ、作り上げる度。
 わずかに目をかすめる憐れむような、落胆するような色に。
 俺が知らない子供のままだと思いながら。

 あの日。従妹の作り上げた花冠を見た祖父の目に。
 価値があるものを見るその目に、どれだけ悔しさを覚えたかなど、知らないままに。

 従妹が祖父の流派に入るのを断ったのは「つらいから」だそうだ。
 七光りと言われるのが嫌だと、とてもつらいと、そんな風に断ったらしい。
 ……傲慢だ。
 持てるものの、傲慢だ。
 まったく別の業界に行くならともかく、同じ道を進むのだ。どうあがいても祖父の名は付きまとう。…なら、権利は受け取ったほうが生きやすいだろうに。

 持っているから、彼女はそんなことが言えるのだ。
 彼女はあるいは、自力で望む道をいくのかもしれない。
 もしも道半ばで折れたところで、あの女は不幸にはならないだろう。

 …あの女が、どこで。どんな道を歩いても。
 迎えに来る手が、どうせあるに、違いないから。


 すう、と土のにおいをかいで、帰路を急ぐ。
 歩けば歩くだけ、その匂いは遠くなる。

 ―――花と土の香りが満ちるあの家に帰るのではないから、当たり前だった。

 大体8歳の時のカズミ君の原風景。
 その頃からいじけて適当に生き始めた彼がどうなるかは割とメイちゃんの手の平のうえっすね。ははは。
 ちなみにカズミ君が覚えていることを英久君は覚えていないし、妹は覚えているけどここまで傷つけたとは思っていない。そして3人とも、仲は悪くない。
 そんなちょっとひんやりとした親戚関係です。
 目次

ゆっくりと、実が付いた

 病院の花瓶に刺さった花束を見ている。
 かわいらしい花束だ。
 …これを持ってきてくれた少女を思い出す。
 ゆっくりと、自然に。口角があがった。

 記憶はおぼろで、感覚もおぼろだ。
 けれど、覚えている。
 何をしたかを覚えている。
 それに覚えた心も覚えている。

 楽しい。
 愉快だ。
 ―――このまま、けれど。でも。

 床に転がった目は強かった。
 強い?
 固い。
 きっと、傷ついてはいない。

 ああ、どうして、なんで………

 アレがほしい。

「…どうかしている」
 化け物を見た瞬間を、覚えている。
 その時、恐怖でひどく…心が弱った気がする。
 だから、どうかしているのだろう。
 だから。だからの気の迷い。
 そうでなければいけない。
 …だって、彼女を守ってあげたいから。
 ……守れたためしが、ないかもしれないけれど。…守ってやりたい、できるなら。

「…だから」
 奇妙にうずく腹の傷をなぞる。
 自然に上がる口角を隠す。
 だから、早く直さないと。
 直して―――どうしような、本当に。

 自然に漏れた約束を、ゆっくりと反復する。
 わきあがる感情の名前は、まだわからない。
 わからないということに、しておきたいんだ。

 3話後のふわっとポエム。だからどういうことだってよ。は4話目で!
 …いや、本当後日談書こうとしたら思いのほか4話目にふれそうでこうなった。  目次