白銀に焦がれる話

 あれは、いつのことだっただろう。
 いつのこと、というか。
 なぜそんな話になったのだろう。

「ピアスがほしい」

 違う、理由は覚えてる。
 手元には、都会ではやりのファッションを特集する紙片があった。
 …なぜだろう。
 そんなものがなんであったのだろう。

 その理由をよく覚えてはいない。
 覚えてはいないけれど、紙の中のモデルがうらやましかった。

 ……違う。

「大人になったら…自分で買えるようになったら、ほしいな」

 耳に光る控えめな銀色がうらやましかった。

「どうせなら似合うのが欲しい。でも、よくわからない。
 ルシア、選んでくれる?」

 夢というのは、不思議だ。
 私を見るその人の顔が見えない。
 逆光でよく見えないように。

 顔は見えないけれど、覚えてる。
 淡い色の髪。
 キラキラキラキラ、上等の絹糸みたいな。

 その色がうらやましかった。

 違う。

「一緒に行ってくれる?」

 あなたは大人になっても、この家がなくても、私の家族にいてくれる?

 小さな銀色が欲しかった。
 私の持ち合わせないその色彩。

 キレイなその人が持ち合わせた色彩。

 夢の中、その色だけは鮮やかだ。顔も見えないくせに。

 ―――違う、全部違う。

 夢の中、その色彩は鮮やかだ。
 日に日に彼女の顔はおぼろげになっていくけど、その色はまだ。
 まだ、脳裏で鮮やかに思い出せるのだ。


「……」
 がくん、と顎が落ちた拍子に目が覚めた。
 …目が覚めたというか、我に返ったというか。
 このままでは寝てしまう。それはまずい。
 …そろそろ寝ないと、体に悪い。
 それにしても………
「どう、言ってくれたんだっけ」
 頭をなでてくれた手を覚えてる。
 けれど、何と言ってくれたんだっけ。
 思い出せないものだ、案外。

 ……思い出しても仕方ないことだ。今となっては。

 読みかけの本を閉じて、寝床を整える。
 ふんわりとした布団は、少し肌寒かった。

セッションで触れても暗くなるだけなので裏設定ですが、エリーサは自分の耳が出る髪型とか耳に触られるのが嫌いです。
そのくらいにはコンプレックスを持っていました。
コンプレックス感じてるのが弱くて恥ずかしいとも思っていたので欲しがったという後付け設定だよ!

育ちを分かち合った話

 とある日のことだった。
 おやつにスコーンが出た日のこと。
 少し硬く、見事な焼き色と銅割れを見せるスコーンにぐっとナイフを立てようとした。

「ダメだよ」
「…ダメなの?」

 立てようとしたら、たしなめられた。

「うん、スコーンはナイフで割るものじゃあない。こう」

 穏やかな声と共に、パカリとスコーンが割れる。
 固いはずの生地が、それなのに最小限の欠片しか落ちない。
 彼の真似をして割ってみたけど、ボロボロと破片が落ちた。
 …なぜだろう。
 それに、ナイフで切った方がキレイにできると思う・

「なんでダメなの?」
「そういうマナーだから」
「マナー」
「立派なレディーになるために、覚えていて損はないよ」
「立派な紳士にも必要なの?」
「…そうだね」

 そうだ、あれはまだ、彼とよく話すようになって間もないころ。
 間もないころだったけれど……彼が少し悲しい顔をした気がした。

「ケリーは物知りだね。すごい」
「…うん」

 励ますつもりでいったけれど、やっぱり寂しそうな気がした。
 悪いことをした気持ちになったから、もうなにもいわなかった。

 田舎風のスコーンは口に入れるとほろりとほどけておいく。
 添えたジャムと一緒にどこまでも甘かった。



 焼きたてと思わしきスコーンを割る。
 バターたっぷりで小ぶりなロンドン風は、あまり破片がこぼれない。ふんわりといい香りがするのは、田舎風と同じだ。
 ここはロンドンではなく、アメリカだが。
 アメリカとはハイカロリーな国だ。バターが多ければ多いほど受けるのだろう。
「へえ、キレイに割るね」
 向かいに席に座った同級生の声に、おそらく悪意はないのだろう。
 けれど、言外に付け足されている気はする。
 言外に、というか。
 微妙に吊り上がった唇に。
「……コツをおしえてくれた兄がいるから」
 そう、と応える彼はこちらに関心がなさそうだ。
 私だって、同じようなものだ。
 兄がいる。
 きっと、その表現はもう正確ではないのだ。
 もう、あの家はないのだから。
 本当は、「兄がいた」なのだろうけれど。
 ……本人に聞かせるわけではないから、いいのではないだろうか。
 訂正したいなら、きちんとそういえばいいのだ。

 クリームをつけて口に放るスコーンは、ほろりと口の中で崩れる。
 ブルーベリーのジャムも、添えられたクリームも、おそらくはこの焼き加減も。
 なにもかもあの頃より上等なのだろうが、上等なのだろうとしか思わなかった。

スコーンが2種類あるエピソードとか手で割るものだとかいうエピソードある作品思い出し、すごくケリー君がキレイにスコーン割ってる姿を見たくなった話。
お皿割ったとき皿じゃなくて手を心配してくれたのを忘れないまま成長しようと思いますともいう。

雨が耳を撫でる日に

 雨の音は、どんな音だろう。
 分かるは、分かる。
 けれど、皆に聞こえる風ではないのだ。
 私にとっての雨の音は、天井に、ひいては床に伝わるわずかな振動と、湿った空気。少し髪がハネ気味になる人がいるとか、そんなもの。

「雨が止んだら私、森に行きたい」
 呟く私の声も、どう聞こえているのか分からない。
 大きいのだろうか。小さいのだろうか。
 分からないのだ、私には。頭を使っても、唇を呼んでもわからない。  …けれど。
「危ないだろ」
 けれど、それがなんだというのだろう。
 耳が聞こえても、声が同聞こえているか―――それを聞いた人がどう思うか。どうせ分からない。
 他者の心は、人には分からない。
 耳が聞こえたくらいではわからないのだ。
「雨が止んだらだよ?」
「それでも危ない」
「入口でいいの。お花、つみたい」
「なんで」
 どう思っているかは分からいけれど……今隣の兄は聞いてくれている。
 それが真実だ。
「メアリがキレイな絵を描いてくれたから。お礼がしたい」
 言いつのれば、ジム兄さんはわずかに息をつく。
 息をついて、手を差し出してくれた。いつもみたいに。
「森まで行かなくても、他の方法を考えろ」
「みんな一緒に考えてくれる?」
「おう」
 別に、手をひかれなくても歩ける。
 森に行かずとも花を得れるのと、同じく。
 ただ手をひいてくれるのがうれしい。その方が安全だ。今のところ最善だ。
 とはいえ、最善は最善であり、最善に至らねば他に意味がないわけではない。きっと。
 耳も、私にとっては同じことだ。
 聞こえなければきっと、便利だし。世界はもっと素敵だっただろう。
 けれど、聞こえづらいからといってそれをわが身を恨む気に離れない。  親も一緒だ。
 いればうれしかったのだろう。
 けれど、いないからといって。さほど悲しいわけではない。
 どちらも、最初からなかったから。そういうものだと思うのだ。

 もちろん。持ち合わせているなら、そちらの方がよかったのだろう。
 健全な聴力も、私を捨てない両親も。

 それでも、それは全部もしものお話。
 今歩いているのが現実だ。ならば、私はもしもはいらない。現実で構わない。
 雨の音が響く――否。
 肌を湿らす空気と、床に伝わる振動が私にとっての雨だ。
 雨の日は少し寒いけれど―――この家があるから、苦しいとは思わない。

 いつかは外に出て、ひとりぼっちになるのかもしれないけれど。
 私の耳でもとらえられる喧騒と、手をひいてくれるぬくもりは。今ここにある真実だから。

こんな日があったらいいなのエリーサちゃん。
ないのが当然すぎて、かけていると思えない素直な子供のお話。12歳くらいのイメージです。

とある女の告解

 主よ、どうかお聞きください。
 私は、罪を犯しました。

 何の罪も持たぬ子を、外へと置き去りにしたのです。


 その子は、私の雇い主の子供でした。
 まだほんの小さくて、あたたかくて。
 奥様も旦那様も、あの子に関心がなかったから、私ばかりが育てて。
 いえ、シッターが育てるのはいいのです。
 それは当たり前なのです。

 けれど、けれど。
 あの子は、お嬢様は、いつも顧みられなかった。

 じい、っと私を見るのです。
 青い瞳で、じいっと。

 ああ、その色は奥様とおんなじで。
 赤子にしては固い髪は、おそらく旦那様譲り。

 けれど、けれど。あの子はずうっと放っておかれて。

 そうして、よく泣く子でした。
 屋敷いっぱいに、響き渡るように泣くのです。
 ええ、赤子だから当然です。
 ええ、当然なのですが。
 うちの子と比べて、随分と激しく、悲しげに聞こえて。
 私はそれが、不憫で、不憫で。

 やれることを、全部してあげたつもりでした。
 でもね。ある日気づいたんです。

 雷が鳴るでしょう。
 すると、うちの子はそれこそ火がついたように泣きました。
 大きな音に、驚いたように。

 お嬢様は、泣きませんでした。
 じいっと稲光を見て、静かにしているのです。

 ……お嬢様は。
 お嬢様の耳が悪いと知れたのは、つい先日のことです。


 つい先日のことなのに、その判断が下されたその日のうち、お二人は言いました。
 私が捨てて来い、と。

 お嬢様のためにできることなど、何一つ考えた様子もありませんでした。

 旦那様は、それなりに有名な演奏家をしております。
 奥様も、そう。
 二人はだから、忙しく飛び回り。
 わが子を顧みることなどなかった。

 けれど、だからすぐに気づかれてしまった。
 音にあふれたあの家で、お嬢様がそれに何の反応も示さないことを!

 お嬢様。
 私のかわいいお嬢様。

 いいえ、嘘です。
 あの子はかわいい、かわいい子でした。

 でも私は我が身がかわいい。
 あそこを首になったら、わが子を養っていけないのです。

 私は、この手であそこまで育てたお嬢様を、そんな風に捨てたのです。

 お嬢様。
 よく泣いていた、お嬢様。

 けれどおいてくるとき、あの子は泣きませんでした。

 じい、っと。
 じい、っとこちらを見るのです。

 毛布にくるまれたあの子に、私はどう見えていたのでしょうか。
 寒い、寒い夜におきざりにしてしまったあの子に、私はどのように。


 主よ、どうぞお聞きください。
 許しは……許しは、求めませんので。

 どうぞ、聞き届けて、あの子の道をお守りください。

 小さな手が、私の服を。
 去ろうとした私のスカートのすそをつかんだ、あの手を。

 私は生涯、忘れられないでしょう。

エリーサちゃんとやさしいベビーシッターのお話。
この人名前エリザベスじゃないかなと思います。