物心ついたころから、食卓というものは立派だった気がする。
あたたかい、湯気の出る食事ではあった。
規則正しく、メニューに沿って。栄養バランスがしっかりと考えられ。
管理されたものだった。
だから、甘いものはあまり食べつけない。
せいぜい果物の甘さだった。
スパイスがきいた料理やらお菓子、というのも食べつけない。
なにしろ、刺激物は喉に悪いものだから。
少し食べたくらいでどうこうなるものでもあるまいし。大げさだ。神経質だ。気色悪い。
肝が小さい、あの父親は。
怒鳴り散らしている方がよほど喉とか健康に悪いだろうに。笑わせる。
…いや。
笑えも、しない。
とはいえ、今やすべては過去の話。
私があの家に戻ることはないだろう。
「なにかあるわけ?」
「アップルパイならあるぞ」
ただ、今は。
細かいことなど何も考えられていないまま、無造作に差し出される甘いものが口に心地よいという話だ。
なんの説教もしてこない人となら、安らいだ気持ちで入れるという。
それだけの話だ。
***
別に、自分が不幸だったとは思わない。
親も…マトモではあっただろう。双方神経質で器が小さく、視野が狭く、どうしよもない人達だったけど。
ティーンエイジのころは失望もした気がする。なにせ、失望しすぎて家を出たのはハイスクール卒業と同時だ。
家を…生まれ育った町を出て行ったけど、なにしろ手に職があるわけもない。学問を収めているというほどでもない。本当に子供だった。
子供なりに背伸びして中々羽振りのいい男についていっただけだ。
羽振りがよく気立ても悪くない男はすぐに別の女を作ってきたけれど。なにしろ面倒見がよかったので、バイトが決まるまで家においてくれた。
それから色々なバイトをして。住み込みの時はそこに住み込んで。ダメなら友達や男のところに転がり込んで。
ドラックを勧められた。
嫌だなと思った。
吸うのはまだしも、それを売っている友人がともかく嫌だった。
このままでは転がるところまで転がっていくのだな。そう気づいた。
だからそれまでの交流関係を切って。マイアミに戻ってきた。
色々なバイトをして、どうにかアパートを借りた。
それだけでずいぶんと財布がさみしくなり、どうしたものかと思っているときに…。
べらぼうに強い老人と老婆に会った。
コンビニ強盗をのす人間など、現実にいると思わなかった。
人間がくるんと一回転するとも思わなかった。
べらぼうに強い二人は、それでも普通に高齢だった。コンビニで買ったミネラルウォーター3本やらなにやらを重たそうにしているくらいには。
家が本当に近いから、歩いてきたらしい。
親切心と好奇心で彼らについて、孫が遊びにきてくれなくて寂しいとかでごちそうになって……
……色々あるうちに、そこのトレーナーとして雇ってもらえるようになった。
一日三食、安定した食事。あたたかい家。清潔な衣服。
それをようやく手に入れて、少し頭が冷えた。
両親のことは、その時も変わらずに嫌いだった。
けれどあんなにも細かな教育やら躾やらを行うのも、金を稼ぐのも楽ではなかっただろう。
ストレスとかやってられないこととか、色々とあったのだろう。
昔、一度だけ母に聞いたことがあるのだ。
トランペットふいて生計を立てている父には、それはそれは優秀な妹がいるそうな。
その人に勝てないヤケクソで母と寝て、私ができた、と。まあ、寝てとは言ってなかったけど。深い付き合いでもなかったようだ。
『…私は割とあの人の演奏が好きだったんだけどねェ。それじゃ意味がないのがあの人だから』
『どーせ私が誉めてもうれしくないみたいだから…ちゃんと親とけんかしてこいってたきつけるべきだったわねぇ。あの人、私を理由にしっぽ巻いてこっちにわたってきちゃったけど』
『だから変に未練があるし……アンタに期待してるんでしょうね。かわいい娘だから。だから頑張ってあげて。
大丈夫、あんたならできるわ。かわいいドリー』
いや、知らないって。私に関係ない話だし。
…と。当時は荒れたけど。
今思うと、子供は子供だ。親に親の役割を期待するから苦しくなる。
親はただの話が合わないくそ野郎。そう思えば、むしろあの年まで育ててくれてありがたいと思える。
そして、もう十分だから関わるな、と。
…色々なことがあった。
本当に、人生。くだらないけど、いろんなことが………。
「…あったけど、私これからどうしよう」
トイレで思わずつぶやいた。
すごくタバコとか吸いたい気分だ。
もうタバコの一本や二本や三本吸いたいけど…子供の前では吸えないから、あきらめよう。
別に不幸じゃないし母親のほうは愛情もあったけどどうあがいても窮屈と無理解でもあったドルテさんの身の上の話。ラストは導入後の数時間あとかな…!
とりあえず彼女はアップルパイのぬくもりを守るために戦いますね…なにがあろうと…
何年か前のことだ。
なにか祭りに行った時、子供にからまれた。服の裾を引かれた。5歳か6歳くらいの、おさげの女の子に。
「おねえちゃん、ダディ知らない?」
緑色の目でこちらを見て、子供は頬を膨らませていた。
「ダディったら、だめなのよ。迷子はマミィに怒られるのに、迷子なの」
迷子はあんたでしょ。
…と言うのは大人げない。
しかたないので肩車して、しばらく歩いてやった。運営に預けるつもりで。
高い視界が楽しいのか、女の子は上機嫌に歌い始めた。なかなか上手に、マザーグースを。だらしない男が部屋に散らばるアレだ。可愛らしく高らかに歌うのはどうかと思う内容だけど、マザーグースとはそういうところがある。
ついでに、楽しそうなところに水を差すものでもない。
「上手ね」
「ダディが教えてくれた!」
「そう」
「でも、ダディよりおじさまとおばさんの方がじょーず」
「へぇ。ダディは悔しがる?」
「うん、泣いちゃうの」
「あら、だめなダッドね」
「うん、でね、マミィによしよしされる。ずるい」
「あら、甘えん坊ね」
「うん、あまえんぼなの」
そんな話をしているうちに、子を呼ぶ声が響いた。
娘と同じ色の瞳を限界までかっぴらいて、真っ青な顔をして、彼女の父が。
なるほどたしかに、甘えた顔だなと思った。
娘をかきだいて叱って、私に何度も頭を下げる勢いはすさまじかった。腰、おれそうだった。
昔付き合ってた男にみせられた、アカなんとかとかいう人形を思い出す動きの父親を見て、女の子は首をかしげる。
「ダディ、マミィに叱られた?迷子だから?」
「ああ、そうじゃない。そうじゃない。お前がいないと息がとまりそうだった!」
頬擦りされた子供はきゃらきゃら笑う。
私に謝る前にずいぶんと叱られたわりに、反省していなそうだ。
まあ、いいんだろう。幸せそうだし。
そうして幸せそうな親子は、手を繋いで帰って行った。
お礼に買ってもらったリンゴジュースを飲みながら、思ったものだ。
子供育てるって、つくづく手間だなと。
投げ出さない程度には、うちのにも愛だか義務感があったのだろうな、と。
騒ぐ子供を見ると、たまにそんなことを思うのだけど―――…
「でも腹立つは腹立つ」
私はミュージカル身に来ただけなのに。
なのに運悪く目にはいった名前に、ツバとか吹きかけたい程度には。
ドルテは割と律儀なので迷子を迷子センターに預けますが別に子供が好きなわけでも、めちゃくちゃ情に厚いわけでもないです。
できるようならやるし、できないなら別に。みたいな。
でも割とすぐ人をある程度好きにはなる気もします。愛さないだけで。
2019/10/14
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