相蘇明芳という青年の生活は、簡素だ。
趣味らしい趣味もなく、ただ淡々と仕事に行き、食事をとり、眠りにつく。たまに例外的に、訪ねていく屋敷があった。今はそれもなく、さらに淡々とすごしている。
屋敷に訪ねていく代わりに、たまに。訪ねてくる女性がいるくらいだ。
そんな青年は、いつも通りに仕事を終え、家の扉を開け、ジャケットを脱ぎ。それを仕舞おうため、クローゼットを開ける。
安アパートに備え付けられたクローゼットの内側、その一部には、写真がはりつけられている。
びっしりと、すきまなく。それはすべて一人の女性。
長い髪を静かに流して、時に笑い、時に憂いを秘め、時に驚いている女性。
綺麗に張りつけられているものも、ぐしゃぐしゃと握りつぶされたものも、ざっくりと刃物できりさかれたものも、すべて一人の女性。
写真の中に閉じ込められた白城緋音に、相蘇明芳はふ、と笑う。いつも外で浮かべているものより、深く。暗い笑い。どろりとしたなにかを瞳の奥に宿して、青年は笑う。
「綾目さんのいうことは俺にはよくわからないなあ…俺は。緋音が薄汚れても嘆いても…結局なにも、感じられなかったし」
脱いだジャケットをかけながら、彼は呟く。
「可愛そうな緋音。
…俺のことに不信を抱くまでは良かったのに。それでも俺の秘密を探ろうとしないなんて。…かわいそうな、緋音」
笑って、嗤って、独自が響く。いっそ無表情じみた表情のまま。
「君の妹、殺したのは俺なのにね」
楽しそうに、愉しそうに、繰り言は続く。
「俺は昔から他人の気持ちがわからなくて…自分の気持ちがわからなくて…緋音を通してだけ、少しだけわかる。
緋音が嬉しそうにしていると、少しだけむずかゆい気持ちになる。緋音が悲しそうにしていると、なんとなく落ち着かない。落ち着かなくて―――…ぞくぞくする、っていうの、かな? なんだか、少しだけ。少しだけ満たされるんだ」
つまらなそうに、退屈そうに、懺悔が続く。
「ああ。なんだろうね。この気持ち。執着かな。執着だろうね。やっぱりよくわからないけど。この感情は執着なんだと思うよ」
名前のない感情を、物言わぬ写真に吐き出して。遠の昔に壊れた青年は、口の形だけ笑っている。
最初から歪んでいた青年は、笑みに似た表情を作る。
「だから一年前、あの子を殺した。なんとなく、なんとなく…そうすれば満たされる気がして。可愛そうだとは、思ったけどね。
でも今も、やっぱりよくわからない。あの子を殺そうと思った理由も。本当のところ、よくわからない。あの子を殺そうと思った理由も…本当のところ、後付けなのかもね。
佐和子さんがああなることも、俺には分からなかったし……」
ため息のようにそう言って、ああ、と小さく囁く。
ピンと綺麗なその写真。それに映る女性の髪を撫でながら、小さく。
「やっぱり、代用品じゃダメってことかな? 君じゃなきゃダメだったってことかな? 俺に心とか、そういうものを教えてくれるとしたら、君なのかな?
ねえ、緋音。俺の使命は。ここで生きてる目的は。この虚ろな俺の悲願は。君たちの秘密を探ること。
そしてなにより―――君の中に、なんらかの感情として、自分の存在を残すこと」
フィルムの中の髪を撫でていた手は、頬へと滑る。
「今のところは、大丈夫みたいだけど」
頬を愛でていた手は、静かに首へと。
「ねえ、緋音。…俺と君は、いつまでこのままでいれるだろうね…」
首のあたりに滑った手は、密かに、僅かに爪を立てる。
「…俺が君に、おんなじもの。返せる日は、こないし。…君が俺みたいになるのは、嫌、だけどね」
小さく言って、写真から手は離れる。
パタン、とクローゼットを閉じて、彼は笑う。
小さくわらって、静かにベッドへと向かった。
という回想シーンをやれて楽しかったです。志半ばで死んだら、こういうの遺言としてパソコンに残しておきたいんですけど、とおねだりする予定でした。てへぺろ。
セッション前にざっくり書いて、お二人のエピローグ聞きながらかちかち増やしてた。下種ロール楽しい。
彼女をどうしたいかは、彼もよくわかっていない。きっとずっと分からない。ただ近くで見ていたいだけ。
彼が次はお父さんあたりを手にかける前に止めてほしいような。悲しい緋音ちゃんに思ったより興奮しないことは知った今、緋音ちゃんが傍にいれば、案外おとなしくしているような。そんな闇深案件です。病院にいけ。
2017/05/31
その日は、新品の手袋を買って。なんとなく、緋音に会いにいこうかな、なんて。そんな風に白城家に向かった。
少しずつ、肌寒くなってくる頃だった。
あの時―――俺を出迎えたのが、緋音であれば。
また少し違う結末があったのだろうか。
あるいは、遅かれ早かれ。俺は似たようなことをしたのだろうか。
「お姉ちゃんは、まだ学校に行ってるの」
「お母さんは、買い物があるって。その間宿題しててね、だって」
「おやつも食べちゃったし。そろそろしなきゃ。でも、ちょっとくらい遊んでてもいいと思わない?」
そんなことを言って、彼女は。白城しえりはブランコをゆらしている。
白城家に昔からある、備え付けのブランコ。昔は俺もお世話になったものだ。
ブランコをきぃきぃと揺らす彼女の背中を押してやる。きぃきぃ、きぃきぃ、小さくブランコがきしんでいた。
「もっと思いっきりおしてくれてもいいのに」
「あはは、ダメだよ。危ないって」
「もー。明兄ちゃんは心配性だね」
彼女が笑う。軽くこちらをふりむいて、にっこりと。
その顔は、緋音によく似ている。それでも、そこに乗る表情は似ていない。緋音はこんな風に笑わない。もう少し、はにかんだように。どことなくなにかを秘めたようにして、微笑む。
きぃきぃ、ブランコがきしむ。
俺に背なかを向けた彼女の身体も、楽し気にゆれている。
きぃきぃ、ブランコがきしんで。
彼女の髪が、ふわりとゆれて。
むき出しになった幼女の首に、なんとなく手が伸びた。
頼りない細い首に、なんとなく。本当に―――なんとなく。手が伸びた。
我に帰って確かめれば、しえりちゃんは気を失っているだけで。まだ息はあった。
……今、この子を家の中の布団にでも寝かせておけば。何事もなかったかのように日常が続くだろう。なんだか知らないけど、急に倒れちゃって、心配でついていたよとでも添えれば。しえり本人すら俺を疑わないだろう。この家において、そのくらいの信頼は勝ち得ていると思う。
……けれど。
俺は知っている。
白城緋音は学校にいる。白城桂悟は仕事中。白城佐和子は買い物にいっている。白城美奈海もまた、この時間はなにか稽古事だったはず。
俺がここでなにをしても。コトは露見しない。
目の前には、意識を失っている白城しえり。緋音に似ている、彼女の妹。
…先ほどの衝動に従えば。この子を殺せば。俺は満たされるだろうか。
……この子を、家族を酷い理由で亡くしたら、緋音はどんな顔をするんだろう。
口の端が持ち上がるのが分かる。なにかで確かめるまでもなく、自分が笑っているのが分かる。そんなことくらいは、俺にもわかって。
改めて手を伸ばした細い首から、薄い手袋越しに。じんわりと体温が広がる。
白く儚いその首が、とくんとくんと脈うつ感覚。それはどんどんと弱くなり。わずかに開かれた瞳が、ただただ驚愕に、次第に絶望の色に染まり。か細い断末魔の悲鳴を覆い隠すように、己の笑い声が響いて。
ああ、自分は楽しいのだな、と。しっかりと感じることができた。
―――そうして、あの子を庭においてきた。
かわいそうだな、と。思わんでもなかった。
かわいそうだな、と。…そう思ったのは、きっと。俺の中の、白城緋音をトレースした部分なのだろう。
葬儀の日、ぼろぼろと泣く緋音を見ながら。冷めたような、高揚するような―――わけの分からない心を持つ殺人犯に。
そんな回路は備わっていまい。
そう、すべてはおおまかに予想通りにすぎた。ただ、解せない部分が一つ。
なぜ。あの子の遺体は山になどあったのか。
俺はそんなことをしていない。
俺にとっては……あの子を最初に発見するのが、緋音であってほしかったわけだし。
証拠になりそうなものや、凶器な手袋は早々に燃やした。…犯人はそう簡単に捕まることはないけど、完ぺきではない、くらいでとどめておいたのに。
遺体の損傷が激しいことは、俺にとって好都合といえば好都合だけれど……それだけは。
それだけは、ずっと気になっていた。
そんな風にすぎた、一年だった。
あれから一年。その間一年。緋音はずっと気づかなかった。
今、突然刺された彼女は。勿論俺を疑わない。…今回は俺じゃないけど。こんな状況にあってなお…もしかしたら、誰も疑っていないのかな。
「緋音。少し楽な姿勢でいたら?」
「そうだね…そのクッション、とってくれる?」
「うん。…大丈夫? 部屋の方がゆっくり休めるんじゃないか?」
「そうかな。…ありがとう。あき君は優しいね」
目の前の幼馴染が笑う。薄暗い夜闇の中、ほの明るい気すらする笑顔。
その笑顔は、きっと好ましいものなのだろ。美しいものなのだろう。尊いものなのかもしれない。でも、俺には分からない。世間ではそういうものだろうと、予想できるだけ。実感することが、できない。…ああ。
「…そう? 自分ではよくわからないけど…緋音がいうなら、そうなのかな?」
君の笑顔に返す俺の笑顔が。ただ君のソレを模造した化け物の擬態だと、今も君は気づいてくれない。
―――けれど緋音は、別に鈍い人間というわけでもないのだろう。
二人歩いている廊下で、かすかな争いの声を聞いた。その時すぐに、彼女は言った。
「今、お父さんと、あや君の声が…あちらの方から」
ふぅん。いつのまにか消えていると思ったら。秘密があるわりに、迂闊な家長だ。アレと二人きりになるなんて。
…いや。普通は。まっとうな人間なら。
あの人あたりのいい芸術家に、警戒心なんて抱かない、か。
妹が消えたことに、さして動揺するさまが見えない。この緊急事態に、恋人を気遣ったのは最初だけ。たぶんアレは俺の同類だ。
アレの獲物が桂悟さんか佐和子さんならいいが、緋音だったら。その時は。
…その時は、俺が排除しなきゃいけないし。そうでなくとも、あまり。関わってほしくない気がする。緋音には、なるべくなら何も知らせず。白く、白いままあってほしい気もする。
「たぶん、ろくなことじゃないよ。緋音がかかわること、ないんじゃないかな?」
「そうかもしれないけど」
「君の、おとうさんの秘密。知っただろ? それでも行くの?」
「知ってても。あの人はお父さん。私のお父さんは、あの人だけなの」
ああ。なんて。なんて強い目なんだろうね。この状況で。あんな秘密を知っておいて。君は変らないのなら。
…俺の秘密を知っても、君は変らないのだろうか?
そうだとしたら、少しだけ残念で。でも、きっと満たされるんだろうな。
「そう。緋音は…昔からそうだね」
廊下の向こうに消えていく姿を見つめる。走る彼女を追いかければ、彼女のために一緒に戦うこともできるのかもしれない。
それでもしない。それは俺の役目ではない。…なんとなく、あの男。俺のことは邪魔に思うんじゃないかな、と思うし。…警察だからな。俺。
ああ。警察、か。
「…ああ。君の方が、よほど警察官にむいているだろうにね」
なのに君はどうして……気づいてくれないのかな?
信頼とか、友愛とか。…恋情とか。そんなものがあるから。
君は気づかないんだろうか。
俺は―――…気づいてほしいんだろうか…?
「…わからないな」
本当に、なにもかもが。俺には遠くて。
満たされなくてもどかしくて……緋音だけが。意味を持つ。
緋音だけしかいない、と。それしか分からない。
それから、色々なことがあった。
なにかを隠している風だった彼女の父は、やっぱりなにかを隠していた。ショックといえばショックだが…俺の犯罪を隠したのが彼女ではなくて良かったと、その程度の気持ちだ。
なにかが壊れた風だった彼女の母は、思った以上に壊れてた。そうさせたのは俺なのだろう。悪いことをしたなとは思えるけど、それでも11人殺したら極刑だ。俺が刺しても刺さなくても同じ。…緋音危うい目にあったのは、彼女の所為もあるのだし。
なんとなく怪しいと…ああこれは緋音や美南海さんとは異質なものだと思っていた男は、やっぱりロクなものじゃなかった。同類だろうと、最初から思ってた。
なにかを隠していたのであろう美南海さんは、まあ。どうでもよい。姉妹そろって気の毒に。強く生きてほしいものだ。
そうして、緋音は。白城緋音は。
泣いて苦しんで、嘆いて恐怖して。
それでも願った。願ってみせた。
「私はみんな一緒にいたい」
よりにもよって。この事態の元凶の背中で、そんなことを。
それを聞いたときの気持ちを、どう説明しよう。
かわいそうな緋音。
君の家族は嘘つきな父に、君より自分が大事な姉に、壊れきった母で。
君を背負っている幼馴染は、今も君を殺したいと思っている。
まるで悲劇のヒロインみたいな、哀れな俺の幼馴染。
俺が君に期待したのは、いつでもまっとうで優しい君に夢見たのは、探偵役だったんだけど。
君は……こんなに、小さかったんだな。
ずっとそばにいたけど、わからなかった。
俺にそんなこと、分かるはずもなかった。
―――あれから、また。しばらくたって。
俺の目の前には緋音がいる。
いつかの約束通り、綺麗な彫刻を持って。
ごくごく常識的な、というか、作るのが大変そうな小さなオブジェ。透明な花。人工の花を片手に、俺は笑う。笑っているんだろう。
「綺麗だね」
「うん。ありがとう」
「緋音は器用だなぁ」
「芸術家だからね」
素直に褒めてみると、彼女が笑う。まだほんの少し影のある、それでも嬉しそうな笑顔。
好きなんだろうな。こういうの、作るの。昔からそういうの好きだったから。
「……でも、いいの? 怒られない? お父さんに」
問いかけてみれば、その顔が曇る。
…あまり興奮しないな、と思った。
「いい顔はしないけど。でも、いいの。私が決めたことだから」
「…ふぅん。そう。緋音は強いね」
「…そう?」
彼女の顔の曇りが消える。それがどんな感情を所以としているのか。分からないし興味も…興味は、ないかな。
俺は自分の手が届く範囲に、白城緋音がいればそれでいい。
今のところは、まだ。彼女の今際の姿とか、死体とか見るより……そちらの方が魅力的な気がする。
「私は取り戻したいものがあるから。…もう戻ってこないものがたくさんあるけど、それでも。もう一度、幸せになりたいから。頑張るの」
「そっか」
ならば君はいますぐに俺から逃げるべきなのに。
俺の目の前で彼女が微笑んでいる。
―――ちっぽけで、まっとうで、美しい君の笑顔。
その表情に感じる心が、恋とか愛じゃない俺は。
いつまで君と、共にあれるんだろう。
「私のことより、明君。なんかこの部屋、焦げ臭くない?」
「ん? うん。昨日魚こがしちゃったからね。それじゃない?」
「そうなの? 換気扇回さなきゃダメだよ。それに…珍しいドジだね」
「料理、あんまりしないから。うっかりね」
「そっか。…うん。そっか。あのね。明君」
「うん?」
「今度、お弁当でも、持ってこようか?」
「…それは、楽しみだな」
はにかむように微笑む君に、偽りの笑顔を返す。
手の中でもてあそぶ小さな花が、きらりきらりと輝いていた。
俺の大事な名探偵。どうか君は、最後まで。
壊れぬままに、生きていって。
部屋が焦げ臭いのはクローゼットの例の写真を焼いたから。こんがりだよ。でも彼がいないスキにパソコンをいじるとびっしり元データがあるよ。隠し撮りもあるよ。やったね犯人。所業がばれるよ!
そんなわけで半端ない罪悪感とやばい興奮に包まれながらのセッションでした。緋音ちゃんまじ可愛い。PLは、俺は下種なんてやめて緋音ちゃんと生きていくんだ!幸せに生きていくんだ! と何度かロールを捨てかけました。
でも「あー。濁流の心配さえなかったら綾目さんと友達なりたい勢いだ…クライマックスで音楽性の違いで解散しそうな下種の極みコンビだけど…」とも思っていました。本当楽しかった。
時間があったし書きなれたキャラではあったし(創作勢的な意味で)めちゃくちゃロールねれたのも楽しかったです。相蘇君は今後も緋音さんを生かさず殺さずのらりくらりと生きていくんでしょうね。『君が気づいてくれる日を。俺はずっと待ってるよ。ねえ、俺の名探偵?』ですね。
2017/05/31
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