私は、一つ上の姉のことが、好きだったわけではない。
とろくさくて、お人よしで、自分だってムキになったりするくせに、いつのまにか姉ぶって……
……どちらかといえば、疎ましかった気もする。
だってそうでしょう。子供の頃は、しょっちゅう取っ組み合いのけんかなんかして、二人して親に「女の子なのに」なんて怒られたりしてたのに。
中学だったかな。なんか好きな人ができた途端、しおらしい感じになっちゃったりしてさ。私が高校受験で悩んでた時なんて、やたらとにこにこ甘いモノ買ってきてりして。それまで彼氏ができたとかで家によりつかなくなってたのに、なに、みたいな。本当に、もう。わかりやすい。 気遣ってくれなんて頼んでないのに、いつも私の好きなものばっかり買ってきて。私があそこまでムキになって上を目指しているのは、一体誰に負けたくないからだと思っていたのか。
…いいえ、違う。そんなことはどうでもいい。
私が腹をたてているのは、あれだ。長じてからの姉の口癖。二言目にはいつもいってた、あの言葉。
『だって私は、あなたの姉だもの』
へらりと気の抜けた様な笑顔で、そんなことを口にする姉が、私は……好きなんかじゃ、なかった。
「…でも」
真新しい墓石の前で呟く。まだ姉以外誰も入っていない、新しい墓。
「…でも、嫌いじゃなかったのよ、姉さん」
だって、真面目に腹を立てるのが馬鹿らしくなるような人だったし。
大人ぶって、おとなしぶっても、サバゲー誘ってみたら化けの皮剥がれたし。大概雑だったし。
色々雑よね、あなたは。私に雑だのなんだのいうけど、あなただって、大概よ。
ああ本当……姉のことなら、たいがいわかると、思ってた。
二人とも大人になって、二人とも医者になってから。
会う時間は少なくなっていたけど、嫌った覚えはない。
認めるのはシャクだけど。仲がいい方だと思ってた。
…単純な、人のいい姉のことなど、分かっていると思っていたけれど。
それでも思いだすのは、姉にあった最後の時。
あの人がよくわからない理由から、長期入院を余技なくされていた時のこと。
姉は、身体的にやつれていて―――なによりも、精神面がやつれているのがよくわかるありさまだった。
一瞬死体かとぞっとするほどに、身体のすべてに力がなかった。
『姉さん、…久しぶり』
『…あら。光典。……あなた勤め先遠いでしょ。なにしてるのよ。もう』
『なにがもうよ。口うるさい。……んなことより、ねえ。…大丈夫、なの?』
姉の身体は快方に向かっているはずだった。
これからも、問題なく生活できるとのことだった。
―――だのに。
『…だい、じょう、ぶ?』
虚ろな、まるでがらんどうみたいな目をして、あの人は私の言葉を繰り返して。
『私に―――………気遣いを受ける資格など、もう』
その先は、聞こえなかった。
悲鳴のように、吐き捨てるように。
床に落ちて割れるようなその声に、私は何も言えなくなった。
あれが、最後。姉に会った、最後だ。
その数日後に退院した姉は、それから数か月後、職場に戻り、それから少しして―――不可思議な死を遂げた。
「……ねぇ、姉さん」
花を供えて、手を合わせる。
目を閉じると、浮かぶのはへらりとした笑顔。あの時の顔ではない。あの時の顔など、私の知る姉ではない。でも。
「なにがあったのか――――聞きに行く気は、50年はないけど」
次にあったら、ちゃんと教えなさいよ。
私もあなたにいうことが、たくさん、たくさん、できたから。
たくさん、たくさん―――あったんだよ。
「…おねぇ」
昔の呼び名で、小さくなじる。
あなたは、本当に。本当に、腹が立つ姉よ、馬鹿なお姉。
海山さん(一代目)があまりに人生いいことなかったので妹を作ったのですが彼女は彼女で姉の運を吸い取るかのようなシナリオ運で笑う。
ちょっとシスコンをこじらせている妹です。なお姉はふつーに妹を可愛がっていたし、自慢の妹と思っていた模様。
ちょっと友人自慢の妹にあいに行くだけだったはずが、大変な目に合った。…最近、旅行に行くとこうね。旅行を控えろってことかしら。……別に、どうでもいいか。
ぼんやりと悩みながらも、あれこれ言う友人を強制的に彼女の実家へおいてきて、帰路についている。
電車にゆられながら、ひどく眠い。
賑々しい友人と別れたからだろうか。ひどく静かで、戸惑う。……ああ。ホントは、違うんだろう、けど。
でも、そういうことにしたい。だって私は。本当は…私は。
どんなありさまになっているのだって、良かった。
黙っていなくなられるより、ずっと、そちらのほうが。
私なら。
私なら、あの友人みたいに、優しくは、ないから。
だから私なら、声をかける機会が、あったのならば―――……例えそれがむごいエゴだと分かっていても。
「……姉さん」
ねえ。あなたはなにに苦しみ。ひとりで潰れるようなあの顔のまま。帰らぬ人になったのだろう。
うとうとと頭が重い。
耐えきれず閉じた瞼の裏に、ひどくやつれた姉の死に顔が浮かび、ぼんやりと消えていった。
そうして、ひどくむなしい夢をみた。
むなしいし、夢だと一目でわかる。
だって、目の前に姉がいる。
なぜか仁王立ちだ。
そして私は正座だ。
……心からナニコレ。
「あのね、光典。私はあなたを友達に無神経なことをバカバカ怒鳴る子に育てた覚えは―――いえそもそもあなたを育ててはないけど。あれはないわよ、光典」
きつく眉をひそめた姉は、非常に腹の立つ顔でそういってくる。
「人様の家庭は人さまの家庭。それぞれのやさしさの形があるのよ。それをあんなに無責任に。まったくもう、短気ねあんた。それだといつか損するって言ってたでしょ、私。
それ以外にも、なによあなたは。
考えなしに変なものに手を出したり、人の家を家探ししたり…おばあちゃんちにいってお供え物に手を出したこともあったわね。あなた、ホント、…色んなことが雑なのよ。もう少し考えなさい」
姉の説教はつづく。
全体的にぽやんとした顔を怒りでゆがめて、なんかこう…なんかこう…
「なにを偉そうに抜かすのこの馬鹿野郎が!」
立ち上がって怒鳴る。
なんかぽかーんとしてたけど、立ち上がれるし、怒鳴れた。
姉は膨れて返事をしない。いい度胸だ、色々と。
「勝手に不気味な部屋遺して死んだやつに説教されるいわれないわよ! 何なのよもう…なんなの! 偉そうに! どうせ夢なら!」
あなたが死んだ理由を教えてほしい。
それを知れば、きっと楽になれる。
それを恨めれば――――あなたが一人で悩み苦しんでいたことを、自分がそれに気づかなかったことを。許せるのに。
「……そう、夢よ」
夢でしかないはずの姉は笑う。
姉の知らない、姉が死んだことの私の行いに説教するなんていう、願望まるだしの幻が笑う。
生きてたら、こんなことをいったんだろうなあ、と。そんな幻が、笑っている。
私が最後に見た、ひどく虚ろな眼差しで。
「私は夢。夢の中で起きたことは忘れてしまいなさい。……これからもそうしなさい、光典」
「……姉さん」
「それがきっと、人として生きていくのに役に立つから。……頑張りなさいよ」
姉が笑う。壊れたような目をしたままで。
最後に目にした顔のままで。
まるで、これが、夢じゃないような、声で。
「姉さん、待って……」
私は、あなたに。なにかできることはなかったの?
聞きたい言葉が声にならない。苦しい後悔を口にすら出せない。
がくん、と体が落ちる。
ああ。目覚めるのだと、なぜかわかった。
がくん、と体が落ちる。
電車の窓の冷たさが頬を刺す。
……なんだろう。ものすごく腹の立つ夢を見た気もする。……まあ、別に。思いだせないなら、そのままでいいか。
ぼんやりと友人とその妹のことを思う。どんな形になるかは知らないけど、きっとまた一緒にいられる二人を思う。
「……羨ましいわ。櫻」
情けなくて飲み込んだ言葉を、そっと吐き出す。
誰もいない車両に、声はむなしく消えていって。
私の失った、望めばあるのが当たり前だと疑いもしなかった声は。もう二度と、聞こえない。
途中別にネタバレでも本筋でもないミノリさんの探索者人生が垣間見える。マイペース舌馬鹿女王な探索者人生。
別に彼女の姉は自殺したわけじゃないのだけれど。何も語らずに自殺されたかのような苦々しさを漠然と抱えシスコンをこじらせたミノリさんは幸せになれるだろうか。
いや。別に今のところ彼女は幸せなんだけどね! 元気なんだけどね! こじらせているのはいつか直るかな、それより早く死ぬかな。どっちかな、みたいな感じです。